東アフリカ・サファリラリーを走った姿を再現
「1971年のサファリラリーでスタートラインへ並んだ姿、そのままである必要がありました。誰かが間違いを教えてくれるなら、喜んで直しますよ」。と笑顔で話すのは、ニール・ロビンソン氏だ。
【画像】「18年」で完全復元! フォード・エスコート Mk1 サファリラリー 宿敵240Z MSTのレストモッドも 全118枚
18年を費やした、愛車を見つめる。「でも、あえてオリジナルとは違う場所が3か所あるんですよね」
そのクルマとは、ティモ・マキネン氏とヘンリー・リドン氏のペアで、東アフリカ・サファリラリーを戦ったフォード・エスコート Mk1 ツインカム・サファリラリー。総合20位で完走したが、優勝はしていない。他のエスコートより速かったわけでもない。
その年に優勝したのは、ダットサン(日産)240Z(フェアレディZ)。しかも、見事に1-2フィニッシュを勝ち取っている。
とはいえ、フォードの存在感は小さくなかった。サルーンのゼファーとアングリアは以前からの常連で、コルティナ GTは1964年に優勝。1969年にも、大きなタウヌス20M RSで優勝している。
1971年のサファリラリーは、エスコートでの初戦。グレートブリテン島南東部、ボアハムに拠点を置くフォードのコンペティション部門は、勝利を目指していた。できれば、欧州のチームで。過去の優勝チームは、いずれも東アフリカからのエントリーだった。
暑さと砂埃、整備時間を考慮し1.6Lツインカム
フォードのワークスチームは、16バルブのコスワースBDAエンジンをテストしていた。だが、耐久性は未知数だった。暑さと砂埃、整備できる時間の短さを考慮し、自社の1.6Lツインカム・エンジンが登用された。
1970年のロンドン-メキシコ・ワールドカップ・ラリーでは、従来的なオーバーヘッドバルブのケント・ユニットを改良し優勝。その後、フォードの技術者はツインカムに対する理解を深め、自ら142psの1.6Lツインカム・エンジンの開発を進めていたのだ。
翌1971年のサファリラリーには、6台のワークスマシンが参戦。装備は、ワールドカップ・ラリーの仕様と同等だった。フロントフェンダーとルーフを守る、露出したバザード・バー以外。
結果的に、ツインカム・エンジンのエスコートは、シングルカムの240Zのペースを超えられなかった。その1台を駆ったのがマキネンで、サスペンションとプロペラシャフトに大きなダメージも被った。
1972年には、テストを重ねたコスワースのBDAエンジンへスイッチ。エスコート RS1600は、見事に優勝している。
フォードのツインカムから、DBAへ載せ替えるのは難しい作業ではなかった。ボアハムの技術者は、実際に数台を交換している。他方、LVX 943Jのナンバーで登録されたこの1台は、ラリー後にそのまま売却された。
ロビンソンが購入後に過去の足跡を辿っているが、1980年代に誰が所有していたのかは判明していない。複数の小さなラリーイベントへ、参戦したことは突き止めたが。
キッカケは叔父さん 自宅を売却してお金を工面
エスコート Mk1へ、ロビンソンが強い関心を抱くキッカケを作ったのは、彼の叔父だった。1973年式のエスコート 1300スポーツを所有しており、小さい頃は学校まで送ってもらったという。
その後、クラブマンレーサーへ改造。ロビンソンが買い取り、2台目の愛車になった。現在もそのエスコートは所有しているものの、近年は走らせていないとか。
「ロンドンに引っ越し、充分な給料を貰える仕事へ就き、Mk1のRS 2000を買ったんです。かなりの額のボーナスが出た時に、RS 1600も手に入れました」
この2台体制が組まれると、彼はフォードのイベントへ積極的に参加。オーナーズクラブにも関わるようになった。そこで、エスコートの第一人者として知られる、デイブ・ワトキンス氏と対面。しばらくして、元ワークスカーが販売中という情報を聞きつけた。
その頃、映画業界で働いていたロビンソンは、アメリカ・サンフランシスコに移住していた。「販売価格は、自分が払える金額より高かったんです。しかし、その時は妻も買うべきだと賛同してくれたんですよ」
「自宅を売却してお金を工面しました。このクルマと出会ってから、自分が夢中になっている様子を見て、妻も共感してくれていたようです」
それが18年前。購入後の8年間は、クルマの調査と部品の収集に費やされた。ひと段落すると、ワトキンスとロビンソンはレストアの方向性を入念に打ち合わせた。
古い写真を収集 シートベルトは復元
「どのワークスマシンにするか、正確な過去のラリーカーにするか、決める必要がありました。1度作業を始めたら、後戻りが難しいことですから」。そこでロビンソンが選んだのが、本来の、優勝を逃した1971年のツインカム・サファリラリーだった。
具体的な仕様を確認するため、入念な調査と作業が始まった。多額の費用を費やし、古い写真を買い集めることも必要になった。以前の歴代オーナーが所有していた期間に、状態は徐々に変化してもいた。
「サファリラリーへ参戦した時の姿を取り戻すため、考古学的な思考も持ち込む必要がありました」。と彼が振り返る。完全になくなっていたフロントガラスは、最後に残っていたスペアパーツを発見した。
「当時のレース用シートベルトを見つけるのは、極めて難しいことでしたね。だいたい、走り終えると交換され、捨てられてしまうので」。それでも彼は諦めず、2組のベルトの残骸を発見している。
バックルは、その頃製造していたメーカー、ウィランズ社へ連絡を取った。「社長へ古い写真を見せると、ちょっと待って、といって部屋を出ていかれました。持って来られた靴箱の中に、幸運にも当時の新品が入っていたんです」
実際の競技では使用しないという誓約書へ、ロビンソンは署名。同社が特別にシートベルトを製作してくれたそうだ。
この続きは、フォード・エスコート Mk1 サファリラリー(2)にて。
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