もくじ
ー シンデレラストーリー
ー ゼロからのスタート
ー 才能が武器
ー チャンスは逃さず
ー 番外編1:F1コメンテーター、ベン・エドワーズ ジョージ・ラッセルを語る
ー 番外編2:F1界のライジングスターたち
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シンデレラストーリー
フォーミュラ1ドライバーになれたことが信じられなかったと、ジョージ・ラッセルは率直に話す。
「10歳のとき、F1ドライバーになりたいと思いましたが、子供には、それが実際どんなことなのか分かっていなかったのです」と彼は言う。「簡単だと思っていたんです。それがどれほど難しいことかを理解したのは、ようやく17歳になってからでした。どうやったらF1ドライバーになれるのか分かりませんでした。決して諦めたりはしませんでしたが、現実も認識していました」
21歳となったラッセルの現実は大きく変化しているが、その驚くべきF1デビューまでの道のりこそが、彼が2019年のモータースポーツヒーローアワードを受賞した理由となっている。彼には、その道のりを容易にする金銭的なバックアップなどなかったのだ。
キングズ・リン出身のラッセルこそ、モーターレーシングの世界では、依然として才能こそがもっとも重要であるということを示す、素晴らしいケースだと言える。もちろん、運もあるが、それはすべてのレーシングドライバーに必要なものだ。だが、ラッセルはチャンスを確実に繋げ、正しいひとびとに正しい印象を残すことに成功したからこそ、F1ドライバーになることができたのだ。
この点で、彼はこの賞に値するのであり、より重要なことは、彼には十分な可能性があるということだ。だが、ウィリアムズFW42は、彼に相応しいマシンだとは言えない。ラッセルの不運は、このかつてF1を席捲した名門が不遇にある時に、チームに加わったということだろう。
16回のワールドタイトルも、いまのこの厳しい状況では何の意味も持たず、それは、ラッセルがジュニア時代に記録してきた、数々の輝かしい実績も同様だ。
カートでは何度もチャンピオンを獲得し、英国フォーミュラ4、GP3、そして昨年のフォーミュラ2のいずれも、彼にとっては問題ではなかった。だからこそ、彼はF1ドライバーになることができたのだが、それも、ここで実力を発揮することが出来なければ、何にもならない。
ゼロからのスタート
ラッセルはそれでも笑みを絶やさない。「ゼロからのスタートです」と彼は言う。「F1へと上り詰めるためのひとつのステップではありましたが、いまは次の段階です。多くのドライバーはF1に到達したことで満足するかも知れません。確かに、F1デビューを果たして、天にも昇るような気持ちでないと言えば、それは嘘になるでしょう」
「ですが、満足してしまえば、次は過ちを犯すかも知れません。そして、その過ちに気づく前に、次のドライバーがやって来て、せっかく掴んだF1のシートを失ってしまうことになるのです。非常に厳しい世界です。F1のシートはわずか20しかありません。ですから、シートを失わないためには、シートを手に入れるよりも多くの努力が必要なのです」
だが、この大きな瞳をした、まるで少年のように見えるラッセルに騙されてはいけない。ジョージ・ラッセルはまったく油断などしておらず、この厳しいF1という世界に完全に順応している。若いF1ドライバーたちは、ひとつの目標に対するその驚くべき献身が、特徴とも言えるが、ラッセルはそのなかでも傑出した存在であり、それは、単にかれの身長が180cmを越えているからというだけではない。
これまでの実績以上に、ラッセルには何かがあると感じさせるが、それは、まさに彼がF1ドライバーになるために生まれてきたということかも知れない。
「わたしより11年早くカートを始めた兄がいます。彼がカートを始めたのは11歳の時だったので、まさにわたしはサーキットで育ったようなものです」と、ラッセルは言う。「ですから、カートを始めたのは自然なことでした」
「最初にカートに乗ったのは7歳の時です。誕生日に両親がカートを買ってくれたんです。その週末の土曜日、PFインターナショナルという地元のサーキットに行きました。すべてはここから始まったのです」
ジョージ・ラッセルに親近感を抱く理由のひとつが、そのどこにでもある親子の物語にある。「父がメカニックを務め、母がすべてのセッティングを小さなノートに記録してくれました」
「ラッキーだったのは、父が兄と一緒にわたしの面倒も見てくれたことです。兄はある意味実験台だったとも言えます。父がミスを犯すときは、必ず兄のマシンだったんです!」
才能が武器
ワークスのカートに乗り、マクラーレン・オートスポーツBRDCヤングドライバー・アワード輝いて、10万ポンドの賞金を得たことで、金銭的な負担は軽くなったが、このステップアップもまた、モータースポーツの伝統に則ったものだった。彼はその才能によって注目を集めることに成功したのだ。
「グラビティという会社を経営しているグウェン・ラグルーというフランス人でした」とラッセルは言う。「2011年、カート場でわたしを見た彼は、わたしを高く評価してくれました。数年後、彼は(ドライバー育成アドバイザーとして)メルセデスに加わったのですが、最初に契約したのがわたしだったのです。誰がどこで見ているか分かりません。メルセデスに加わることができたのも彼のお陰です」
ラッセルの成長の核となっているのがメルセデスでの経験であり、彼の将来のカギを握る存在でもある。だが、メルセデスに加入したのは、ラグルーに才能を見出されただけが理由ではない。ラッセルは、突然のeメールから初めて、メルセデスF1チーム代表のトト・ウルフに自分を売り込んでもいたのだ。
「2014年の年末にトトにメールを送りました。そうしたら、彼から20分もせずに返信が来たのです」とラッセルは言う。
「それまでは、メールを送ると、すぐにベッドに入っていたので。こんなことは初めてでした。翌日、携帯の電源を入れると、彼から電話があったことに気付きました。2週間後には彼のオフィスで面会しています。その時は特に進展はありませんでしたが、彼からは「これからも連絡を取り合おう」と言われ、実際、コンタクトは継続していました」
こうした事情があったので、グウェンが『ジョージ・ラッセルに会う必要があります』と言った時には、トトはわたしのことを知っていました。ですから、その時トトは、『いいや、すぐに契約する必要がある』と、言っただけでした」
最初のミーティングからラッセルが契約書にサインするまでの間、フォルクスワーゲンからのサポートに興味を抱いたことで、彼はウルフのアドバイスに逆らい、メルセデスとのフォーミュラ3契約を断っている。
「彼は『間違った選択だ』と言いました」とラッセルは話す。「ですが、どのチームで走っても、好成績を残すことができれば、彼は自分に関心を持ち続けてくれるだろうと考えたのです。時には自分の考えを押し通すことも必要です。勝ち続ければ、誰もが関心を持ってくれますが、勝てなくなれば、それもすぐに失われます」
チャンスは逃さず
2年間、メルセデスでF1のテストドライバーを務めつつ、F2で同じ英国人ドライバーとして話題のランド・ノリスを下したことで、ラッセルは今年F1のルーキーイヤーを迎えることができたのだ。
「いまだにF1ドライバーになれたことが信じられません」と彼は言う。「ですが、すべてを掛けてF1シートを獲得したアレックス・アルボンと比べれば、状況はそれほど悪いものではありません。2年間をメルセデスで過ごしたことで、シミュレーションや1週間を超えるテストなどを経験してきました。どうやってF1チームが運営されているかも理解しています。こうしたすべてが、起こるべくして起こったのだと感じています」
4月のバーレーンGPを終えた後、このグランプリで、まさにルイス・ハミルトンがドライブして勝利したマシンのステアリングを握るという絶好の機会を得るため、ラッセルはこの地に留まっていた。最低のマシンから最高のマシンへと乗り換えた彼は、F1キャリアで最高のスピードを味わっている。
どう感じたのだろう?
「まさに想像したとおりです。史上最速とのF1とも言える今年、すべてのレースで1位と2位を独占しているんですから」 思わず笑みがこぼれる。「世界最速のマシンをドライブする、3人のドライバーのうちのひとりになれました」
現実に戻ろう。「高いパフォーマンスを発揮しなければ、注目を集めることはできません」と彼は話す。 「ドライバーとして、目立つこともなく、時には自分の実力を存分に発揮することができないと感じることもあります。ですが、注目をしてもらわなければならないひとは限られています。ウィリアムズとメルセデスのチームメンバー、そしてトト・ウルフです。彼らがわたしのキャリアを左右するのですから」
ウィリアムズを、かつてF1で下位に沈んでいたミナルディのように思うなど、不思議な感じもするが、フェルナンド・アロンソもマーク・ウェバーも、下位チームからキャリアアップを果たしたのであり、ジョージ・ラッセルもそのことは理解している。それが彼にとって、いまの現実だ。
番外編1:F1コメンテーター、ベン・エドワーズ ジョージ・ラッセルを語る
「2018年のF2では非常に強い印象を残しました。ラッセルは安定しています。予選では見事な速さを見せ、決勝ではその有利を活かしたレース運びをしていました」
「F1での評価を下すのは時期尚早です。最近、あるトップチームのメンバーと、ジョージと彼のチームメイトであるロバート・クビサの評価がどれほど難しいかについて話したところです。間違いなく扱いづらいマシンですが、これまでのところ、ラッセルはほとんど大きなミスを犯していません」
「つねに予選ではクビサを上回っていますが、ロバートはそれほど速いドライバーではありません。最近行われたバーレーンのテストで、間違いなくメルセデスはラッセルを高く評価したはずですが、チーム内から彼のパフォーマンスに関するコメントは何も聞こえてこないのです」
「つまり、ラッセルは正しい方向に進んでおり、難しい状況にかかわらず、依然として可能性を感じさせるドライバーであり、メルセデスチームに対して、速さと精神的なタフさを証明することで、将来彼らのマシンをドライブしたいと考えているということです」
「今年、ラッセルがその才能を証明するチャンスはほとんどないかも知れません。ですが、ひとつかふたつのチャンスがあれば、彼はそれを活かすことができるはずです。彼は、チャンスの転がるF1という、多くのドライバーが羨む場所にいるのです」
番外編2:F1界のライジングスターたち
ランド・ノリス
昨年、F2ではラッセルの後塵を拝したこの10代のF1ドライバーは、マクラーレンが復活の兆しを見せつつあるなか、さらにポテンシャルのあるマシンを獲得することに成功している。裕福なノリスは、長くF1のスターとなることを嘱望されているが、ラッセル同様、彼の実力は、チームメイトのカルロス・サインツJrを上回ることで証明されるのであり、そうした時には印象的なパフォーマンスを披露している。バーレーンで記録した6位という成績がまさにその結果だ。
アレクサンダー・アルボン
ロンドン生まれのこのタイ人ドライバーも、去年のF2で印象的な走りを見せており、トロ・ロッソへと電撃加入を果たしている。ノリス同様、ラッセルにとっては皮肉な結果だが、彼の友人であるアルボンも、より競争力のあるチームからF1にデビューしている。初めてのポイントを獲得するとともに、中国GPのドライバー・オブ・ザ・デイに選ばれたことが彼の才能を物語っている。
エステバン・オコン
フォース・インディアで2年を過ごした後、このフランス人ドライバーはどんなパフォーマンスを見せてくれるのだろう? かつて、カートでラッセルと凌ぎを削ったオコンも、現在はF1シートを失っているとは言え、依然として有望なF1パイロットのひとりだ。ふたりともメルセデスと契約しているが、リザーブドライバーでるオコンのほうが有利な立場にあり、いつの日か、英国人ドライバーの前に立ちはだかる存在であることを証明するだろう。
ミック・シューマッハー
史上もっとも成功したF1ドライバーの息子として、ミックには途轍もないプレッシャーが掛かっている。ミハエルの息子は、昨年、F3チャンピオンの座を獲得して周囲を驚かせると、今シーズンはF2を舞台にレースを戦いながら、すでにフェラーリのマシンもテストしている。これこそ運命というものだろう。
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