G500とスープラ
タミヤは決してシンプルとは言えない構造を持ちながら、簡単に組み立て可能なラジオコントロールモデルを初めて生み出すことに成功したメーカーだ。
数えきれないほどの子供たちが、タミヤのお陰でクルマや機械への愛情に目覚め、いまや世界中にコアなファンが存在している。
1960年代以降、タミヤはプラスチック製モデルやラジオコントロール(R/C)カーの高い品質でその名を知られるようになったが、何よりひとびとを驚かせたのがデザインやディテールに対するそのこだわりだった。
誰もが夢中になったR/Cカーやバギーでは、複雑なシャシーとドライブトレインに加え、実車さながらのウィッシュボーン式サスペンションやダンパー、ディフェレンシャル、変更可能なギアレシオまで再現していた。
R/Cカーを操るには本物のドライビングスキルが求められ、まるで反射神経を試すかのように、R/Cバギーをタイトコーナーへと突っ込ませる経験などなかなか出来ないだろう。
そして、タミヤから登場した最新のR/Cカーの2台が、メルセデス・ベンツG500とトヨタ・スープラだ。
G500は新CC-02(CCはクロスカントリーを意味している)シャシーをベースに、シンプルなタブ形状ではなく、ラダーフレーム構造を採用しており、複雑な機構を持つサスペンションとドライブトレインは実車さながらの動きを見せる。
その結果、20種類のレシオが選択可能なシングルスピードのギアボックスとともに、悪路のレースでは最高のパフォーマンスを発揮することが出来るだろう。
信頼と尊敬の証し
一方のスープラだが、タミヤのロードゴーイングモデル向けTT02シャシーをベースにしており、実車と同じタイミングで販売が開始されている。
これこそがタミヤに対する信頼と尊敬の証しであり、トヨタではスープラが公開されるはるか以前に、タミヤに対して極秘デザインとCADデータへのアクセスを許可していたのだ。
創業当時、タミヤがこの2台を創り出すことになるとはまったく想像出来なかった。
かつては木材を扱っていたタミヤが決して精巧とは言えない木製モデルの製造を始めたのは、第2次世界大戦後のことだ。
当時登場し始めたばかりのモデラーたちは、研いだばかりのペンナイフで少しずつこうしたモデルの形を整えていったが、最終的に完成させるには大変な根気のいる作業だった。そして、そんな若者のひとりがタミヤ創業者である田宮義雄の息子、俊作だ。
1960年代に入り、当時新たに登場し始めていたプラスチック製モデルに関心を持ったタミヤは、そのための金型を開発している。
なお、田宮俊作の製品作りに対する情熱はいまも衰えておらず、タミヤを率いる立場でありながら、彼はいまも現場主義を実践しており、個人的に新しいモデルのための計測や研究などを行っているという。
素晴らしき出会い
当初、タミヤの製品は日本とアジア市場だけで販売されていたが、その状況にもすぐに変化がもたらされている。
当時英国では、おもちゃ卸のリチャード・コーンスタム社(RIKOと言えば思い出すかたも多いだろう)のデビッド・ビンガーが、欧州では販売されていない新たな商品を探していた。
1966年、米国出張中に輸入されたタミヤの製品を見つけた彼は日本へと向かい、若き日の田宮俊作と、その父でありタミヤ創業者の義雄と初めて顔を合わしている。
これが、タミヤとビンガーの長きにわたる成功物語の始まりであり、タミヤの英国と欧州市場進出のきっかけとなる出来事だった。
現在タミヤ製品の輸入元となっているホビー・カンパニー社のトップを務めるのは、デビッドの息子、ピートだ。
後年、田宮俊作は彼に、「デビッドは熱心に英国進出を進めてくれましたが当初は懐疑的でした。ですが、デビッドの勇気と先見の明が、われわれに欧州市場進出の機会を与え、タミヤを世界的なブランドにしてくれたのです」と書いた手紙を送っている。
ビンガーはこの話を受けて、「父が欧州全域にまたがるネットワークを構築するとともに管理していました。さらに、すぐにセールスの拡大にはモデルラインナップの拡充が必要だということ証明したのです」と、語っている。
伝説のプラモデル
モデルラインナップが増えるにつれ、タミヤのプラモデルはその品質の高さと、病的なまでの細部へのこだわりで知られるようになっていった。
F1マシンのモデル化に大きな可能性があると感じたデビット・ビンガーは、グリン・ピアソンを英国に拠点を持つF1チームに派遣し、彼らのグランプリカーを商品化する権利を獲得している。
その結果誕生したのが、ホンダRA273やロータス49、ロータス72といった伝説的なプラモデルたちだ。
「ロータス72の大ヒットによって、タミヤの名は英国中で知られるようになりました」と、ビンガーは言う。
ビンガーは田宮俊作のことを、完ぺきさと細部にこだわる「究極の記録魔」だと評している。
「他のスタッフはコストを気にしていましたが、彼は完ぺきさだけを求めていました。それは今でも変わりません。つねに自ら興味を持った対象の情報を集め、決して写真や伝聞だけでは満足しないのです。かつては写真撮影と研究のために世界中を飛び回っていました」
F1がいまよりも牧歌的だった時代、エンジンは交換するものではなく修理するものだったために、溶接補修されたオイルパンをモデルにしたタミヤのプラモデルでは、その溶接線まで再現されていた。
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みんなのコメント
以降は、日東のガメラとかイマイのサンダーバード、スポーツカーやレーシングカーも作ったかな?
小学校高学年になって、ミドリのSFシリーズを挟んで現実の戦争兵器を作る様になってから
”タミヤ”というブランドを意識する様になったと思います。
↑
出ました大嘘(笑)、嘘書くな。初期のタミヤ4輪プラモデルは非常にいい加減で、スケールさえ表記無しのデタラメキットや海外製品のフルコピーも有ったんやで。まともな4輪キットは60年代後半のホンダF1位からやね。あと最初期の1/12RCカーやけど、他社は既に半完成で出してたんよ。更にタミヤRCカーも品質は悪く、シャフトは曲がやすく、アップライトも簡単に割れていた(笑)。ネジの規格も統一されておらず、いい加減な作りやったな。AYKを始め他社とは違いが有り過ぎたな。
単純に販路拡大で生き残っただけや。