主催者のCCC(セレブラシオン・サントネール・シトロエン)の発表によれば、3日間にわたるイベントの参加車両は約4200台、そのオーナーや同行者を含む公式の参加者は約1万人、そして観客動員数は約6万人に上ったという。4200台という数字は、どう見ても控えめに聞こえる。なぜなら、とくに登録エントリーせずに会場の外に停めていたシトロニストも相当数いたので、体感的には明らかにそれを上回っていたのだ。
トラクシオン・アヴァンは戦前モデルの中でも、もっとも多くの台数が詰めかけた車種。モデルごとに年式順に、四角四面ではなく全長の1/5ずつをずらして斜めの列をなして停められており、同じモデルの同じシルエットが、まるで鏡合わせの中を覗いたように、奥行きをなして並んでいる。その列は通路を挟んで左右対称になっており、地上からは想像するしかないが、この週末、ラ・フェルテ・ヴィダムをドローン視線で上空から眺めたら、シトロエンの歴代モデルがダブル・シェヴロン、つまり歯車のかみ合わせの山型を、無数に形成していたはずだ。まさしく故アンドレ・シトロエンが100年前に描いたプランというか、シトロエンと名のつく量産車によって、人々が自由な移動そして移動の自由を享受するというアイディアそのものの発現だ。
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シトロエンは日本では、個性的な一風変わったクルマであるかのように思われている節がある。ところが、じつはメーカー公認のオーナーズ・クラブ会員数が多い有数の自動車メーカーでもある。量産車ながら、後世になってみると趣味性が高いクルマという、いわば現在進行形のカルトの様なところがある。
マセラティのV6にハイドロニューマティック・サスペンションを備えたSMが、これだけ集まった例はない。しかも盛り上がっているのは、マニアックなパーツを並べたスワップミートや、シトロエン・ヘリテイジの公式展示、同じく希少なプロトタイプやワンオフ・モデルを含むオークションだけではなかった。会場隣、村のメインストリートには、地元ユール・エ・ロワール県の生産者たちによる物産市が立っていて、ペイ・デュ・ペルシュと呼ばれるこの地方の名物が並んでいたのだ。
オリジナル・パーツのデッドストックから2CVの新品シャシーまで揃う、スワップミートの様子。ようはシトロエン100周年イベントに地元が、がっつり目に便乗した格好だが、小麦粉やはちみつ、地産の果物によるジャムまたはチーズといった出店が、道の両脇にズラリと並び、こちらも賑わっていた。とくに田舎風パンは、移動式のパン窯がその場に設置され、地元のパン職人有志が数人がかりで焼き上げるというデモンストレーションまでやっていて、飛ぶように売れていた。
いってみればシトロエン的かつフランス的な感覚では、カルトとは、人を驚かせるために奇を衒うことではなく、当初こそ知られざる何かであっても、実践的に紡ぎ続けることなのだ。
名産品市が立てられた村役場前の様子。シトロエンの旧い消防車も飾られていた。シトロエンのテストコースを体験もうひとつ、このイベントのハイライトは、自分のシトロエンで走るテストコース体験だった。秘密主義で有名なミシュランがシトロエンのオーナーだった頃に開設された、そんな名残もあるテストコースが一般オーナーを迎えるとは、歴史的にみても千載一遇の機会なのだ。
折角なので、まずはプレス向けに用意されていた、オーナー有志のヒストリック・シトロエンでテストコースを周回するツアーに参加してみた。選んだモデルは1935年式トラクシオン・アヴァンだ。
田舎風パンにしては白っぽく、酸味と苦みを抑えたのがこの地方の特徴。この立派なパンが1個400円程度なのだ。低重心設計でアルミのモノコック・ボディ、量産市販車として初のフロントエンジン・フロントドライブ(FF)を採用したトラクシオン・アヴァン。鷹揚でふくよかな乗り心地と、フラットな姿勢の保ち具合は、今の目で見ても恐ろしくモダンなクルマのものだ。続いては筆者も、旧コンセルヴァトワールことシトロエン・ヘリテイジから借り出した1961年式2CV AZLPで、自らの運転でテストコースを回ってみる。
会場の内外で、ちょっとした食材とパンとワイン、木陰さえあれば、すぐにピクニックが始まる。テストコースだからといって、一般道ではありえないほどの過酷な状況は今回は確認できなかった。通常のフランスの国道もしくは高速道路でよく見かけるような、緩やかなS字カーブや、車輪片側だけ石畳に落ちるような路面、あるいはそこそこの速度で拾うような、舗装が古びて荒れた細かな凹凸の路面、そんな条件が多かった。2CVはラ・フェルテ・ヴィダムが開設して早々、ここを走り込んだ最初のモデルのひとつであることは間違いない。だがこのテストコースを回った後の感触として何より驚いたのは、市販デビューで20年近く先行する高級車であるトラクシオン・アヴァンに、2CVが同等レベルではないものの乗り心地や快適性という点で、かなりの程度まで迫っていた事実だった。戦争のために10年も市販が見送られたことを踏まえれば、2CVの先進性がことさら際だっていたといえる。
たまたま選んだトラクシオン・アヴァンは3列7座の「ファミリアル」仕様で、自営業者の商用車かつファミリカーとしてよく用いられていた。移動を愉しむということ大袈裟なようだが、シトロエンには100年経っても、昔と現代でクルマ造りが飛躍的な進歩を遂げたと思われる今でも、まったくブレずに受け継がれているものがある。帰りの道中、最新のシトロエンの1台であるC3エアクロスに乗りながら、その意をますます強くした。フラットで優しい乗り心地に、ステアリングの切り始めこそグラリと感じさせるが、動きが読みやすくて怖さのないハンドリング。いつしか目的地に着くことだけではなく、移動そのものを愉しんでいることに気づかされるような、滋味深さがあるのだ。
2CVのキャンバストップは、簡素さと開放感そのものだ。2CVと、日本市場に導入されて間もないC3エアクロスは、世代的では60年近い歳月に隔てられているものの、それぞれの時代の要件、乗り手の生活に寄り添うことを目的としている点では、まったく一緒だ。採光にこだわった開放的で広々とした室内空間や、ストライプや千鳥格子といったクラシックながらセンスのよい柄でまとめられたシートの類似性は、いうまでもない。ハンモック式か低反発の高密度クッションかという違いはあるし、後者のシートは当然、長い進化の結果でこそあれ、乗員の身体を優しく包み込みつつ、乗り心地の快適さの援けとなる。ちなみにC3エアクロスには修正舵による車線キープ機能は備わらないが、車線を踏み越えるとアラート音が鳴る機能はある。
2CVの屋根を見た後にC3エアクロスのパノラミックルーフを見ると、不思議な既視感がある。絶対的な出力は小さくても巡航速度にのせさえすれば、さえずるようなパワーユニットの調子は、イタリア車の朗々としたビートとはまた異なるし、ドイツ車や英国車など大パワー志向の欧州車にはないものだ。最終的に今回の425ccの2CVでは、パリの環状線から郊外まで80~90km/h制限の区間が、渋滞情報上で空いていることが確認できたので、高速道路を利用することすらできた。スペック数値からは想像できなかったようなことが、数日後にはすっかり可能になっていたのだ。
千鳥格子と組み合わされるテックレザーは樹脂起源なので、ヴィーガンフレンドリー素材でもある。前篇で述べたように、「la vie à bord(ラ・ヴィ・ア・ボール)」というフランス車ならではの感覚では目的地に着く以前から、移動そのものが愉悦の対象かつ目的たりうるので、車上で過ごし、味わい愉しむ時間の質こそが一大事といえる。だから「フランス的ないいクルマ」の感覚は必ずしも、ドイツ車的ながっちりした動的質感や、英国車の調度品のようなマテリアル感、イタリア車的なエクスタシーではなく、静的にせよ動的にせよ、柔らかくしなやかな質感に結びついている。
長距離を走ることが当初予想していたより、ずっとたやすかった1961年式2CV AZLP。既存のプラットフォームや技術要素で必要なものをセンスよく統合できれば面白い1台になるという好例、それがC3エアクロスだ。それはアドオン式に、新しい技術や要素で「過剰に盛る」のとは対極で、最初から美しい数式のようなシンプルなソリューションを志向する、そんなクルマ造りの賜物でもある。それに自動運転の実現に近づくほど、フランス車的なラ・ヴィ・ア・ボール、つまり車内での過ごし方の重要度は高まるし、シトロエンは単なる高速域でのパフォーマンスではなく、快適性という切り札で勝負していく野心を隠さないのだ。国ごとのクルマの個性が失われたなどといわれ久しいが、シトロエンはフランス車らしさを存分に保っている。
昨今の街アシとして人気のSUVであるのに加え、車高の高さも相まって、C3エアクロスはC3以上に2CVに似ている気がする。C3エアクロスは、シトロエンの100年にわたる伝統的な頭回しの軽快さと、独特のぬめり感を伴う柔らかさ、そして陽気な賢明さを、身近に感じるエントリーモデルとしても、またとない1台になるはずだ。
文と写真・南陽一浩 編集・iconic 取材協力・シトロエン・ヘリテイジ、プジョー・シトロエン・ジャポン
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