転校した学校の小学生に小嶋松久がいた。後にコジマエンジニアリング(KE)を立ち上げ、F1に挑戦する、あの小嶋さんだ。
意気投合した富田は、小嶋の父からもたいへん可愛がられ、小嶋家に出入りするようになった。そこにはクルマやバイクがあって、富田は急激に興味をもちはじめる。あの頃は誰もがそうだったけれど、まずはバイクに乗りたくてしようがない。
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公立高校に受かれば単車を買ってあげる。育ての叔母がそう約束してくれた。富田少年は急に勉強を頑張りはじめると、仲間内でただひとり公立高校に受かった。
叔母の内職を手伝う条件で、富田は山口オートペットという2気筒の50cc原付バイクを買ってもらう。当時、みんなはホンダのカブを買ったものだが、人気で2カ月待ち。1カ月すら待ちきれない富田は多少性能が劣るけれどもすぐ乗れるオートペットを選んだのだった。それまで園芸好きのか弱い少年だった富田にとって、勉強を頑張って一番欲しいモノを手に入れるという経験は、その後の人生を決めた最初の転機であったことは確かだ。
免許を取ってすぐ、小嶋の勧めでJAFのモータースポーツライセンスを取得し、モトクロスレースにハマっていく。オートバイだけじゃない。ラグビーや玉突き(ビリヤード)、喧嘩まで、日々明け暮れた男らしいモノやコトはすべて小嶋から教わった。
18歳のとき、富田は2台目の単車トーハツ・ランペットでモトクロスレースに初出場することになった。そのときすでに小嶋は全国的に有名なライダーになっていた。
オートペットを買ってもらい納車された日は、一睡もせずに眺めていたという。また、当時マン島TTレースなどに強く影響を受けていた富田は、レーサー風に改造することを決めた。世界はきっと広いに違いない……レーシングドライバーになりたい。少年時代にはそう願ったこともあった。当時レーサーになるにはまずライダーとして二輪で成功し、四輪へとステップアップするのが王道だった。
小嶋のアドバイスもあって富田もそれなりに活躍できた。けれども小嶋にはまるで適わなかった。初めてのレースでも富田は、予選第1ヒートの1周目こそ小嶋の教え通りに走ってワークスライダーたちを抑えアタマを取ったが、それが精一杯だった。2周目にはコースアウトしてしまい、予選不通過。一方の小嶋といえばマフラーまわりを小改造しただけの富田のバイクを駆って、予選第2ヒートをトップで駆けぬけている。
富田は早くも悟った。こんなに身近にこんなにも速いヤツがいる。世界はまだまだ広い。レース界にはとてつもなく速いヤツばかりがいるに違いない、と。
もっとも富田は自分に“実力がない”と言い聞かせたかっただけ、なのかも知れない。当時、レースの世界における二輪から四輪へのステップアップには、かなりの資金が必要だった。よっぽど目に止まる活躍をしてメーカーから声を掛けてもらわない限り、自力で戦闘力のあるクルマを買って出ていかなければならなかった。今でも四輪レースに参加するためにはそれなりの経済力が必要だが、当時のそれは今とは比べ物にならなかった。
金持ちしかできない。富田にはそんな余裕などまるでなかったのだった。
あのハヤシさんとル・マン十代も終わりに近づいた頃。パブリカコンバーチブルで京都の街を夜な夜な駆けていた富田は、いつしか同じように京都でスポーツタイプのクルマを乗り回す若者と知り合った。後に童夢を立ち上げる林みのるだ。
富田が自動車販売ビジネスで成功を収めはじめたころ、レーシングカーコンストラクターの道を歩んでいた林はオリジナル開発のスーパーカー、童夢−零を引っ提げて一躍時の人となった。その名を世界に轟かせた童夢は、79年のル・マン24時間レース初挑戦を皮切りに、日本発レーシングカーコンストラクターとして有名になっていく。
904GTSを通じて多くの仲間との交流を深めた富田。レース後には彼らと旅に出かけるなど、車仲間以上に人として交流を深めていたことがうかがい知れる富田はル・マン24時間レースを応援しにフランスまで行っている。仕事の都合でレーススタート直前にしか行けない富田が乗る便は、部品などを日本からル・マンへと運ぶ“最終便”でもあった。重たいデフを運んだこともあったという。後にアマダがメインスポンサーとなったとき、林に頼まれて日本から法被を運んだことがある。シャルルドゴールの入国でトラブったが、何とかル・マンに持ち込んだ。この法被が人気で、富田はアルピナのブルゾンと交換してご満悦だった。
レース中にはこんなこともあった。アルナージュを立ち上がったところにあったチームのタイミングピットに豪華な和食の弁当を運ぶ役を買ってでた。シトロエンで場外に飛び出した富田だったが、レース当日のル・マン周辺は大変な渋滞でにっちもさっちもいかない。
そうこうしているうちに白バイの警官と目が合った。やばい。国際免許証なんて持っていない。フランス語も話せない。瞬く間に警官たちと野次馬に囲まれてしまった。知らぬ存ぜぬで押し通そうとする富田。ひとりの警官が片言の日本語で話かけてきた。「日本の免許証はありますか?」
思わず日本の免許証を差し出す富田。万事休す、か。と、警官たちが笑いだした。なんと、子供がクルマを運転していると思われていたのだった。事情を知った白バイの先導で、弁当と富田とシトロエンは悠々、アルナージュへと向かった。
童顔の富田義一。三十代も半ばの話である。
あのタチさんとル・マンある時、富田は童夢USAの金古真彦(カーデザイナー)に会いにいこうと林に誘われ、ロサンゼルスへ行くことになった。その機中で林から紹介されたのがレーシングドライバーの舘信秀(後のトムス代表)だった。
当時すでに、日本のツーリングレースにおけるトップドライバーだった館は、セリカターボでアメリカのレースに出る準備のため、林と一緒に訪米したのだった。LAで意気投合した館と富田。舘が童夢セリカターボとして翌年のル・マンに挑戦すると知り、小さいながらもステッカー・スポンサーを買って出た。富田は日本での輸入車販売で日ごろ苦労しているナンバー取得への思いをこめて、市販車ならナンバーが装着される位置にトミタオートのステッカーを貼らせてもらったという(その場所は元々、ハヤシレーシング=林みのるの親戚が経営するアルミホイールメーカー、の場所だった)。その位置がガイシャ販売業者にとって最高のポジションだと思っていた。
ル・マンで仲良くなった生沢徹とは、その後も交流が続き、写真のポルシェ904GTSや、公認チューニングカーなどの話で意気投合した。残念ながら舘と童夢セリカターボのル・マン初挑戦(80年)は予選不通過に終わっているが、その経験があればこそ、その後トムスと童夢はトヨタをグループCカーによる耐久レース(WEC)、そしてル・マンの舞台へと引っ張り出すことに成功する(ル・マンへの本格参戦は85年から)。
トヨタがル・マンで初勝利するのは、それから30年以上後のことだ。
富田はこの時期、ル・マンや国内レースに頻繁に出入りし、生沢徹や関谷正徳、鈴木亜久里といった名ドライバーたちと交遊を結んでいる。
次回予告
日本レース界の黄金期を垣間みた富田だったが、自身は自動車レース活動より自動車販売ビジネスから逸れることはなかった。否、むしろ身近な仲間たちがレーシングカーを製作し世界へ挑戦する姿を見て、元々あったエンジニア魂に火がつき始めていた。そう、誰かが造ったものを売る、だけでは飽き足らなくなってきたのだ。富田が次に目をつけたのはAMGやハルトゲといった独チューニングカーの世界だった。1980年代始めのことである。
文・西川 淳 編集・iconic
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