困難に直面していたフェラーリ
text:Shinichi Ekko(越湖信一)
photo: Shinichi Ekko(越湖信一)、Ferrari S.p.A.モンテゼーモロの功績のひとつは、しばしば混乱を招いていたフェラーリと親会社フィアットとの関係を良好なモノに修復したことにある。今稿では少しまわり道となるが、彼がフェラーリの改革に手腕を振るう以前の、「モンテゼーモロ登場前夜」を振り返ってみたい。
創始者エンツォ・フェラーリへの求心力で成り立っていた「地方の中小企業」であったフェラーリも、1960年代後半にはビジネスに行き詰まりが見えていた。フェラーリのような少量生産メーカーにも、衝突安全性や排気ガスなどに対する規制がおよびはじめ、特にメインマーケットである北米への対応は待ったなしの状況であった。
さらにイタリアにおける労働運動の激化により、富裕層向けプロダクツを生産するメーカー故にしばしば攻撃のターゲットともなり、生産性は大きく落ち込んでいた。
フィアット傘下に
そんな危機的状況の中、フェラーリはイタリアを牛耳る大手自動車メーカー、ジャンニ・アニエッリ率いるフィアットとの関係が深まっていった。1968年にはフィアット傘下となることが発表され、エンツォの私企業であったフェラーリにフィアットの力が大きくおよびはじめることになった。
巷では「エンツォはスクーデリアを担当し、ロードカー部門はフィアットの手にゆだねた」というような記述が見られるが、それは必ずしも実態を表わしているものではなく、エンツォの意思はすべてにおよんでいたという。
少量生産による高付加価値ビジネスをモットーとしていたフェラーリだが、ロードカー部門で安定した収益を確保するのはそう簡単なことではなかった。206GTからはじまり246GT、308GT4、そして308GTBという量産志向のモデル開発でその道筋を掴んだものの、安定した品質での量産化には課題が多かった。
フェラーリの歴史は、創始者であるエンツォ・フェラーリの神格化で始まっている。合理性とは正反対たる感情で、顧客はフェラーリを手にすることを望んだ。
「スポーツカーは欲しがる顧客の数より1台少なく作れ。そうすれば、買えなかった1人が次はもっと欲しくなり、皆はそれを見てさらに熱心に競争して買うだろう」というエンツォのマーケティング手法は、マスプロダクションを社訓とするフィアットには理解できない代物であった。
308GTBがFRPボディを捨てた理由
要はフィアットの力をもってしても、エンツォによりすべてが支配されたフェラーリという組織をなかなか変えることができなかったのだ。もちろん従来からのフェラーリ派閥も様々なトライを行った。
例えば、長年フェラーリのボディ製造を担当したカロッツェリア・スカリエッティは1960年代に実質的なフェラーリの傘下となっていたが、FRP技術をロードカーの量産に活かそうと考えた。ディーノ206、246ではプレス治具にFRP成形した雄型を用い、より微妙な曲線を正確に形づくることに成功した。
そして、続く308GTBではボディ素材への採用まで広がった。ところが、ここでフィアット側との軋轢のひとつが生まれたと、当時スカリエッティのマネージメント担当していたオスカー・スカリエッティは語ってくれた。
「このFRPボディを使うことで軽量化を達成しつつ、作業効率が向上しました。その後スティールボディへ変更されたのは、製造コストや製造のマンパワー問題、ましてやクオリティの問題でもありません」
「それはアフターサービスの問題でした。つまり、ボディがダメージを受けた時に、FRPをリペアする体制が世界各国に整っていなく、ボディ全体を交換してしまうと事故車というイメージで見られてしまう。そういったフィアット側のマーケティング的な物言いでFRPからスティールへと変更することになったのです。」
1980年代後半、348系の開発時には、よりフィアット派閥の力が強まってきたようだ。年間販売台数もこのころになると1970年おわりと比較して倍増し、4000台あまりとなっていた。
348系がモノコックボディを採用し、スカリエッティにおいても溶接ロボットの導入がはじまったのは主として量産化を目的としていた。そこにはフィアットのノウハウが大きく活かされたが、この刷新された主力モデル348系のマーケットにおける評価は必ずしも芳しいものではなかった。
エンツォはロードカーにもこだわっていた
そんな流れをエンツォはどのように眺めていたのであろうか。エンツォがロードカーに関心がなかったということは都市伝説のように語られているが、これが「たわごと」であることを筆者に証言してくれたのはピエロ・フザーロであった。
「エンツォがロードカーに関心がなかったなんていうのは全くの戯言だ。彼は細部に至るまですべての報告を求め、彼が承認しない限り何も進まなかった」と。
フザーロはフィアットからフェラーリに送り込まれたのは1970年代後半、そしてエンツォの没後に間髪を入れずフェラーリのCEOに任命された人物であり、まさに前述した混乱の渦中にいた人物であった。
彼もフェラーリ再建のために懸命に取り組んだが、当時のフェラーリはそんな生易しい改革で回復するような状況ではなく、ある意味で病んでいたと彼は語った。モデル開発のスケジュールは場当たり的であり、それも深い関係のあるピニンファリーナに牛耳られていた。そしてさらに深刻だったのは製品のクオリティ問題であった。
フェラーリ再建の適任者として
エンツォはフザーロのバランス感覚も高く評価しており、公私ともとても親しい関係にあった。エンツォ没後に求められている改革を指揮することができるのは、フェラーリとフィアットの思惑をひとつにまとめることができる、強力なリーダーシップを持った者であると考えた。それはまさに「カリスマ」たる人物だ。
エンツォの頭の中には、ひとりの人物以外、その適任者はいないと考えていたに違いない。スクーデリア・フェラーリを立て直し、のみならず赤字続きであったフィアット社の立て直しまで成し遂げていた人物。そう、ルカ・ディ・モンテゼーモロの存在であった。
続きは「【第3回】マラネッロの改革 ピニンファリーナとの関係の見直し」にて。
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