実用性は度外視で軽さを追求したロータス
少なくとも現状では、ロータス340Rやルノー・スポール・スパイダーに並ぶようなモデルが、新たに登場するとは考えにくい。まともなルーフだけでなく、ヒーターも備わらず、内装は殆どない。ピュアでダイレクトな運転体験が、ひたむきに追求されていた。
【画像】実用性は度外視 ロータス340R ルノー・スポール・スパイダー エリーゼとVX220、クリオ V6も 全122枚
340Rは2000年、スポール・スパイダーは1996年と、登場は4年ほど異なる。しかし、異なる経緯で導かれた基本コンセプトは、非常に近い。
スポール・スパイダーと時を同じくして発売されたのが、初代ロータス・エリーゼ。押出成型のアルミニウム材を用いたシャシーは軽量・高剛性で、当時の英国価格は2万ポンド以下。多くのクルマ好きを驚かせ、熱烈な歓迎を受けるに至った。
エンジンは、ローバー社製の自然吸気1.8L直列4気筒。ただし、当初のKシリーズの最高出力は119psにすぎず、シャシーには大きな余裕があった。スポーツ135とスポーツ160という高性能仕様も提供されたが、「スーパー」なエリーゼも計画は進められた。
その頃のマネージングディレクター、クリス・ナイト氏は、実用性は度外視で軽さを追求したロータスのスタイリングやパフォーマンスについて、社外の意見を求めた。彼が頼ったのは、AUTOCARだった。
340R誕生に関わったAUTOCAR 目標は500kg
「ロータス・エリーゼを発売以来高く支持してきた弊誌へ、過激な仕様への協力依頼をいただきました。340R誕生のきっかけといえます」
「わたしたちは、(本社のある)へセルの設計スタッフと協力しながら、極端なアイデアを精査していきました。オリジナルより一層軽く、自ずとより速いものの創出が目指されました」。現在の英国編集部編集長、スティーブ・クロップリーが回想する。
1998年10月上旬、ラッセル・カー氏率いるロータスのデザインチームは、エリーゼのシャシーへ工業用クレイを載せて、スタイリングの検討を本格化。AUTOCARが提案したのは、500kgという車重目標だった。
「340は、パワーウエイトレシオを意味しました。(初代の)エラン26Rへの敬意を表す、R付きのモデル名も提案したんですよ」。クロップリーが説明する。だが、公道用モデルとしての規制を満たす上で、車重の目標値は650kg以下へ変更された。
量産仕様では、675kgに決着。最終的に、340は生産数の表す数字になった。エリーゼから不必要な装備が徹底的に省かれたことを考えると、50kgしか軽くならなかったのは、意外に思えてしまう。
フロントガラスを装備しないという、大胆なアイデアすらあったらしい。しかし、先行して市場へ投入されていた欧州仕様のスポール・スパイダーは、小さなエアロスクリーンだけ。AUTOCARとしては、フロントガラスの採用を強く推したそうだ。
179psのKシリーズを積んだビキニ姿のエリーゼ
英国の公道用モデルの規則では、むき出しのタイヤは認められていない。そこで限りなく小さく薄い、クリップで固定するサイクルフェンダー兼マッドガードが装備された。
先細りのフロントノーズ両端には、F1風のウイングが与えられ、テールにも大きなウイングをマウント。有効なダウンフォースがもたらされた。
かくして仕上がった340Rを、「ワンピースの水着というより、ビキニ姿のエリーゼ」だと、AUTOCARは表現している。ドアのないボディへ乗り込むには、アルミ製バスタブ・シャシーを乗り越える必要がある。
タイヤはヨコハマが選定され、ハイグリップな専用コンパウンドのA032が開発された。サイズは、前が195/50の15インチ、後ろが225/45の16インチで、テクノマグネシオ社製のホイールが組まれる。
シャシーは、エリーゼのサーキット専用仕様、スポーツ190がベース。スプリングは引き締められ、ダンパーはアップグレードされたが、192psを発揮するKシリーズ・ユニットの最強版は、公道用に認証を受けてはいなかった。
かわりにミドシップされたのは、179psのKシリーズ。7800rpmで最高出力を発揮し、パワーウエイトレシオは265ps/tが叶えられた。トランスミッションは、スポーツ190用の5速クロスレシオ・マニュアルが継投されている。
340Rの計画が発表されたのは、1998年10月の英国モーターショー。量産仕様の決定には至る前だったが、反響は想像以上といえ、その場で販売契約が結ばれている。
F1の成功で絶好調にあった20世紀末のルノー
当時AUTOCARに在籍していた、ジャーナリストのクリス・ハリス氏が340Rへ試乗したのは1999年12月。「どんな価格帯の例と比べても、同等のスリルを味わえるモデルはほぼないでしょう」。と絶賛している。
生産が本格化したのは、それから2か月後の2000年初頭。この時点で、340台の予定数はすべて納車先が決まっていた。英国価格は、3万5000ポンドだった。
限定のロータスだから、340Rの需要は充分に想定できた。だが、一般的な自動車メーカーが過激なモデルを提供したら、同等の反響を得られるだろうか。1993年にルノーの上級副社長へ就任したパトリック・ル・ケマン氏は、可能性があると主張した。
20世紀末のルノーは、F1の成功で絶好調にあった。ル・ケマンは、ルノー・スポールのクリスチャン・コンツェン氏と意見を共有。ワンメイクレースのベースモデルになり得る、公道用スポーツカーの開発へ踏み切った。
コンセプトで描かれたのは、ケータハム・スーパーセブンの現代版。発案から9か月足らずで、2シーターのミドシップ・ロードスターのデザインは決まったという。
フルサイズのクレイモデルをもとに、フランスのノガロ・テクノロジーズ社がボディを成形。アルミ製プラットフォームは、ノルウェーのハイドロ・アルミニウム社が開発した。同社はこの数年後に、ロータス・エリーゼのシャシーを生産してもいる。
スポール・スパイダーの開発速度も、相当に早かった。1994年10月には量産化が決定し、1995年3月のスイス・ジュネーブ・モーターショーで、試作車が公表されている。
この続きは、ロータス340R ルノー・スポール・スパイダー(2)にて。
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