1980年代に多くの日本車がFF(前輪駆動)化された。なかでも印象的な5台を小川フミオがセレクトした。
みなさんは、前輪駆動とか後輪駆動とかで、クルマをわけて考えたこと、ありますか? 自動車メディアは、けっこう意識するんですね。
いっときは、前輪駆動か後輪駆動かは、メーカーの製品づくりのポリシーと密接に結びついていたといえる。なので、駆動方式をみることが、自動車好きの楽しみであったのだ。
今、ふつうに運転するぶんには、前輪駆動か後輪駆動か、ほとんど意識させられることはない。海外では、メルセデス・ベンツやBMWは後輪駆動か全輪駆動、アウディは前輪駆動か全輪駆動。いっぽうフランスのシトロエンは戦前から前輪駆動にこだわってきた。
日本車は、いま、メーカーあるいは車種で、前輪駆動なのか後輪駆動なのか、こだわって作るようになった。たとえば、レクサスの高級セダンは、あえて後輪駆動、といったぐあいである。
以前は、ちょっと昔の話になるけれど、1970年代までは、日本車といえば、ほぼ後輪駆動。なぜかというと、それしか作れなかったからだ。前輪駆動は、フロント駆動輪の左右の回転差を調節する等速ジョイントの技術に不慣れだったりして、伝統的な後輪駆動方式を採用していたのだった。
1980年代になって、ようやく技術も熟成するとともに、パッケージングという考えかたが、クルマのマーケティングで重要という認識が生まれた。前輪駆動車の場合、小さくても広い(おおぜいで窮屈な思いなしに乗れる)クルマにしやすく、クルマで出かける機会が増えたひとたちに、そこは大事なことだったのだ。
そこで、コンパクトカーは前輪駆動が増えた。ミドルクラス(排気量でいうと1.6リッターから1.8リッター程度が当時こうジャンル分けされていた)のセダンも、前輪駆動化が進んだ。当初は、まさにフランス車のようにパッケージとして広いことを第1にしたような、機能主義的なスタイルのクルマ(たとえば1982年のトヨタのカムリ/ビスタ)も出てきて、おもしろかったものだ。
ところで、よく「FF」とか「FR」って言葉を目にする。FFはフロントにエンジンを置いてフロントホイール(前輪)を駆動するということ、FRは、Fは同じで、Rはリア(後輪)のホイールを駆動することを意味している。もともと富士重工(現SUBARU)が作った用語ともいわれており、これが定着したのは、まさに、前と後ろ、どっちの車輪を駆動するかが、クルマづくりの重要なテーマだったと思われていたことを表している、と、思う。
ただし、エンジンがフロントいがいのクルマのほうが珍しい(70年代初頭まではリアエンジンのちいさな車もけっこうあった)ということで、途中から、FFとかFRっていう分け方は、あまり意味のない概念になってしまった。
(1)トヨタ「コロナ」(8代目)
トヨタ・コロナといえば、保守的ミドルクラスセダンの代表格だった。それが1983年に突如「FFコロナ」の名とともに登場したのだから、けっこう驚いた記憶がある。トヨタ自動車はこの時期、ミドルクラス車の大変革期にあり、車種の目的を明確化しつつ、それぞれに最適の駆動方式を選択するというクルマづくりを断行したのだった。
FFコロナもその一環で開発された。本来、コロナとしては8代目にあたるものの、わざわざ車名に“FF”と、使ったのも、メーカーとしての覚悟みたいなものの表れかなと思ったものだ。
スタイリングコンセプトも大胆である。ファストバックのテールゲート付きまで用意され、まさに“実用車は前輪駆動”としていた英国やフランスで実用セダンとして好まれるスタイルだ。
同時期に発表された、前輪駆動セダンの「ビスタ/カムリ」よりホイールベースは85mmも短く、全長も4330mmに抑えられていたものの、当時の水準では、室内もじゅうぶんに広かった。1.8リッターを中心としたエンジンもさほどトルクは太くなったため、すこし乱暴にアクセルペダルを踏み込んでも、前輪の回転差ゆえにステアリングホイールが左右どちらかに引っ張れるようなトルクステアもなく、運転しやすかった。
このとき同時に、後席ドア後ろのリアクオーターウィンドウを持つ6ライトスタイルのノッチバックセダンも、すこし遅れて発表された。トヨタは手堅く”保険”をかけたのだ。同時に、このノッチバックセダンの発表の理由として、ライバルの日産「ブルーバード」が前輪駆動化されて登場したことがあげられる。「BC(ブルーバード対コロナ)戦争」といわれた競合関係はまだ続いていたのだ。こういうのがあると、ユーザーも楽しい。メーカーは大変だろうけれど。
(2)トヨタ「カムリ」(2代目)
まさに欧州車的なセダンである。1983年に発表された2代目トヨタ「カムリ/ビスタ」は、前輪駆動化された。初代が「都市型スポーティセダン」をうたった後輪駆動だったのに対して、大きなコンセプトの変更で、びっくりしたのをおぼえている。
しかもスタイリングは、初代がボディのふくらみをそれなりに強調してエモーショナルな雰囲気を出していたのに対して、ほとんど直線基調。2600mmと当時としては長いホイールベースのシャシーに、全長4400mmのボディと、室内の広さを強調したパッケージを特徴としていたのだ。
インテリアのスペースを広く見せるために、無理やり(というかんじで)リアクオーターピラーにウィンドウをもうけた6ライトボディを採用。たしかに当時乗ると、明るいクルマだなぁ、と、思ったものだ。じっさいに、小手先のデザインテクニックがなくても、じゅうぶん広かった。前輪駆動化の恩恵、ということをトヨタは強調したように記憶している。そのとおりだったのだ。
欧州的としたのは、パッケージ優先のスタイルであること。つまりマーケットが求めているのは、エモーションを優先した窮屈なクルマでなく、日常的にリアシートを使えて、荷物もたくさん載せられる”機能”だという割り切りの成果といえる。それにしてもつまらないスタイルで、1986年にモデルチェンジしてうんと高級感が盛り込まれたときには、結局ここに戻るのか、とおかしく思えたものだ。
(3)日産「マキシマ」(2代目)
1983年に前輪駆動化されて、ライバルのトヨタ「コロナ」に大きな衝撃(おおげさ)を与えたのが7代目の日産「ブルーバード」。当時日産が凝っていた薄いルーフでキャビンの存在感を希薄にするスタイリングとともに、1.8リッターツインカム(DOHC)ターボや、4ドアハードトップボディなど、持てるものをほとんど注ぎ込んだ感がある。
もうひとつの特徴が、V6エンジン搭載の高級版「ブルーバード・マキシマ」の設定だ。1984年にこのモデルが発表された時期は、だんだん世のなかのお金の流通量が増えていて、高級車が好まれるようになっていた、いわゆるバブル前夜でもある。
日産ではこのクルマの成功に自信を得て、1988年に日産「マキシマ」と、独立したアッパーミドルクラスのセダンを手がけたのだった。
マキシマは、当時の言葉でいう“3ナンバー・サイズ”であることを、特徴としていた。全長4765mm、全幅1760mmと、けっこう大きく、そこに3.0リッターV型6気筒エンジンを搭載。駆動方式は初代から引き継いだ前輪駆動なので、よく走り、しかも広かった。
かつ主ターゲットは北米市場なので、たっぷりとクッションの入った大ぶりのシートをはじめ、サイズに余裕がかんじられたのも、この時代の消費者の嗜好によく合っていた。リアウィンドウを寝かせぎみにして、躍動感を演出したスタイリングも、このクルマの個性となっている。
(4)ホンダ・アコード(2代目)
1980年代初頭まではホンダのミドルクラスは「アコード」だった。1976年登場の初代も、シビックを上品にしたようなコンセプトに好感がもてたもので、1981年の2代目は初代をすこしずつ大きくして、さらに時代に合わせて洗練させたクルマとして評価できた。
ホンダは一貫して前輪駆動方式にこだわったメーカーである。ただし1980年代までは、エンジンパワーに負けてトルクステアが出るなど、けっこう荒っぽさがあったのも事実だ。それでも、1984年にスピリットチームへのエンジン供給から始まったF1を代表するモータースポーツでの健闘ぶりなど、なくなってはいけないメーカーと、自動車ファンは思っていた。
初代より70mm延ばされたという2代目アコードのホイールベースは、それでも、2450mmしかなかった。当時のホンダの生産設備ではぎりぎり、と言われたものだ。1985年の3代目になって2600mmへと飛躍的にホイールベースも延びるものの、2代目はホンダファンいがいにとって、ややツラいプロダクトである
リアウィンドウを思いきって寝かせてハッチゲートを設けた2ドアファストバックと、4ドアノッチバックセダンがラインナップされていた。4ドアセダンははっきりいって、”まだ70年代?”と、つっこみを入れたくなるような古色蒼然としたスタイルで、ホンダ黄金時代を迎える前は、はっきりいって”このていど”と思われたものだ。しかし80年代中頃から、ホンダ車はがらりと変わる。そこにいたるまでを支えたのが、2代目アコードだといえる。
(5)マツダ・カペラ(4代目)
1982年に発売された、マツダのセダン「カペラ」の4代目。このときからカペラはパッケージング優先の前輪駆動方式を採用した。2510mmのホイールベースに全長4515mmのボディは、空間効率がよく、後席もじゅうぶんな広さを持っていた。
マツダといえばロータリーが看板だったが、カペラはずっとレシプロエンジン。ロータリーはスポーツカーの「RX-7」のものだった。でもそれでもセダンをスポーティに仕立てたいという考えをマツダ(当時は東洋工業)の開発陣は持っていたようだ。2.0リッターエンジンを搭載して、足まわりの設定もよく、スピードを出して楽しめるクルマである。
発表直後に扁平率60%と、当時としては輸入車でしかお目にかからなかったようなスポーティなタイヤを装着したモデルを発表。これも、マツダのこだわりだったのだろう。さらに翌年には2.0リッターターボエンジンを導入するなど、ミドルクラスのセダンでもクルマ好きを楽しませようとしてくれていたのが、好感がもてた。
ターボモデルでは145psもあったので、ハンドリングには少々荒っぽいところもあったけれど、まあ、ギリギリまで飛ばさなければいいのだけれど。
ボディデザインは端正。米フォードと提携関係があったため、海外市場での成功を念頭に、フォードのデザイナーとのやりとりがあったためだろうか。1985年に追加された4ドアファストバックボディは、美しかったものの、日本ではまったく売れないスタイルだったし。プロファイル(サイドビュー)でみるとウェッジシェイプ(クサビ形)を意識したスタイリングなど、いまも魅力的なモデルだ。
文・小川フミオ
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みんなのコメント
それと、車名にFFを付けたのは
発売当時、従来のFRコロナも併売していたため、それと区別するため。
ココにカムリまで加わって、今やアメリカで三つ巴の販売競争を繰り広げるまでに
成長しましたね。
さすがに日本国内ではサイズが大きくなったのと、やはり販売の主力がミニバンに
偏っていることもあり、アメリカほど多くは見かけませんね。
2代目カムリは地味な存在でしたが、FF化されてフロアトンネルが小さくなった
後席のゆとりは上級クラスのマークⅡ3兄弟を上回るほどで、兄弟車のビスタと共に
当時の自動車ジャーナリストの間では評価の高かったクルマでした。
(ですよね元NAVIのオガワさんw)