新型コロナウイルスの感染拡大に揺れる国内モータースポーツ界。2020年はGT500クラスへのクラス1車両の導入、年間2戦の海外開催、熾烈さを増すGT300クラスなど数多くのトピックスがあったスーパーGTも、開幕から5戦が延期となってしまった。ただ7月の開幕を前に、ちょっぴり知識をつけておけば、来たる開幕がより楽しく迎えられるはずだ。そこで、不定期連載となるがスーパーGT参戦チームのチーム名とカーナンバーの由来をお届けしよう。第16回目は、GT500クラスでARTA NSX-GTを、GT300クラスでARTA NSX GT3を走らせるARTAだ。
■ARTA
GT500クラス #8
マシン:ARTA NSX-GT
ドライバー:野尻智紀/福住仁嶺
カーナンバー:8
監督:鈴木亜久里
タイヤ:ブリヂストン
開幕までに知識を増やそう。カーナンバーとチーム名の由来を知る:ADVICS muta Racing INGING
GT300クラス #55
マシン:ARTA NSX GT3
ドライバー:高木真一/大湯都史樹
カーナンバー:55
監督:鈴木亜久里
タイヤ:ブリヂストン
エグゼクティブ・アドバイザー:土屋圭市
鈴木亜久里プロデューサー/総監督率いるARTAは、『AUTOBACS RACING TEAM AGURI』として1997年10月10日、F1日本グランプリが行われていた鈴鹿サーキットでの発表会で誕生した。世界で活躍するレーシングドライバーを目指す才能を幅広く募り、その才能をサポートしていくという一大プロジェクトに、長年モータースポーツを支え続けるオートバックスが賛同。1998年からフォーミュラ・ニッポン、JGTC全日本GT選手権、全日本F3選手権に参戦を開始した。
JGTC/スーパーGTのGT500クラスでは、1998~99年はニスモとともにニッサン・スカイラインGT-Rを走らせ、98年は本山哲/土屋武士がドライブ。99年は亜久里/ミハエル・クルムが駆った。そして2000年からは、ホンダNSX-GTにスイッチ。AUTOBACS RACING TEAM AGURIとして亜久里/土屋圭市という今も盟友として続くコンビが結成される。2002年からは土屋圭市/金石勝智というコンビとなり、2003年最終戦鈴鹿では、土屋のJGTC引退レースが多くの感動を呼んでいる。
代わって2004年から加わった伊藤大輔は、2007年にラルフ・ファーマンとのコンビで初のチャンピオンをチームにもたらした。その後も伊沢拓也や井出有治、武藤英紀、松浦孝亮、小林崇志、そして野尻智紀といったトップドライバーを擁し参戦。鮮烈なオレンジのカラーリングは、いまやスーパーGTを代表する存在であるといってもいいだろう。
一方GT300クラスでは、1999年にザナヴィARTAシルビアが登場。2000年からはaprがMR-Sをオートバックスカラーで走らせ、2002年には新田守男/高木真一組がチャンピオンを獲得。2003年からはARTA Garaiyaが登場した。
ガライヤは2005年まで参戦した後、2007年に復活。2013年からはホンダCR-Zにスイッチし、2015年まで戦った後、2016年にはオートバックス傘下の企業でBMWディーラーを手がけていたこともあり、BMW M6 GT3を走らせ、特に富士スピードウェイでは無類の強さを発揮している。
高木真一を軸に、多くの若手ドライバーが組んできていたが、2019年は鈴鹿1000kmでスポット参戦して以来の加入となった福住仁嶺とともに、ホンダNSX GT3でチャンピオンを獲得。2020はディフェンディングチャンピオンとして挑む。
■レーシングスポーツブランドとしてのARTA
そんなARTAは、2018年までは『AUTOBACS RACING TEAM AGURI』というチーム名で公式エントリーされていたが、2019年から『ARTA』と登録されているのをお気づきだろうか。これは、プロジェクト誕生から21年目となった2018年に“レーシングスポーツブランド”として生まれ変わり、シンプルで、強さをイメージ黒を基調としたデザインのブランドとして展開されているからだ。特にGT300では、それが顕著に打ち出されている。
すでにARTAブランドからはアンダーアーマーやクストスなど多くの有名ブランドとのコラボレーションアイテムが登場しており、サーキットでも販売されている。鈴木亜久里プロデューサーとしても、「『ARTA』という名前がひとり歩きしてほしい」と願っているそうだ。
さて、ARTAのカーナンバーと言えば、GT500クラスではホンダとなってからは『8』と『1』しか使っていない。この『8』というカーナンバーは、「若い数字から探していったらたまたま空いていた数字」が由来なのだ。
実は、ARTAでは2000年にNSX-GTを走らせるにあたり、希望していたカーナンバーがあった。それは、鈴木亜久里プロデューサーが1987~1988年に全日本F3000でつけていた番号である『55』だ。88年には全日本F3000チャンピオンを獲った、ラッキーナンバーでもある。
ただ1999年から『55』はタイサンが使用しており、2003年までバイパーの番号となっていた。そこで空いていた『8』を使ったのだ。一方2003年からARTAはガライヤを走らせ43を使用していたが、その後2013年にCR-Zにスイッチするにあたり、待望の『55』をGT300クラスで使っているというわけだ。とはいえ『8』もすでにすっかりARTAのイメージが定着しており、チームとしては末広がりの縁起が良い番号として大切にしている。
なお脱線するが、この取材をするにあたり、以前掲載したARTA Garaiyaのカーナンバーについて、『43』はカーマン・アパッチ号に由来するとお届けしたが、それに加え、兵庫県尼崎市にあるオートバックスSA43道意店のスタッフがガライヤに深く携わったから……という由来もあるのだというお話もいただいた。オートスポーツwebのコメント欄にも同様のご指摘をいただいたが、当たっている」とのことだ。
2020年はGT500クラスには野尻と福住という速さあふれるふたり、GT300には大ベテランの高木と、若き大湯のふたりで挑むARTA。今年もオレンジとブラックのNSXからは、目が離せそうにない。
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