マン島TTのヒーロー、ジョン・マクギネス選手
マン島TTの現役ライダーで最多となる23勝を上げ、ジョイ・ダンロップ(故人)が持つ26勝に最も近い男、ジョン・マクギネスが大英帝国勲章のMBEを与えられた。
これによって氏名にMBEをつけることができ、彼の名はジョン・マクギネスMBEとなった。
【画像5点】無限MUGENの電動バイクやノートンでもマン島TTに参戦、マクギネス選手の活躍を写真で見る
MBEといっても多くの日本人にはなじみが薄く、何のことかわからないだろう。MBEとは大英帝国勲章のひとつで、「The Most Excellent Order of the British Empire」、栄誉ある活動をした人に対してイギリス王室が授与する勲章だ。
大英帝国勲章には5クラスがあり、MBEとは「”Member” of the Most Excellent Order of the “British Empire”」で、大英帝国勲章のメンバー(会員)となったことを意味する。
大英帝国勲章は、日本の文化風習でたとえると褒章にあたると考えていいだろう。日本では毎年春と秋に叙勲がありさまざまな褒章がある。
そのなかで一般的に有名なのは、科学技術分野における発明・発見、学術およびスポーツ・芸術文化分野における優れた業績を挙げた人に与えられる紫綬褒章だ。
これはあくまで例えだが、加賀山就臣が紫綬褒章を授与されたような出来事だ。
しかし残念ながら日本のモータースポーツ界で紫綬褒章を与えられた選手はいない。
MBEを授与されたレーシングライダーはほかにサミー・ミラー、ジョナサン・レイ、マリア・コステロなどがおり、イギリスではモータースポーツが文化としてしっかりと根づいていることがわかる。
このニュースを受けて、アダム・チャイルドがジョン・マクギネスMBEにインタビューしたレポートが編集部に届いたので紹介しよう(インタビューが行われたのは2021年1月)。
アダムはイギリスでもっともメジャーなバイクメディア「MCN」でテストライダーを務めた経歴を持ち、ジョンと同チームでマン島TTに参戦したこともあるジャーナリストだ。
ジョン・マクギネス選手。イングランド出身、1972年4月16日生まれで、初めてマン島TTに参戦したのは1996年のこと。1999年にマン島TTライトウェイト250クラスで初優勝して以降、様々なクラスで優勝を重ねていく。ロードレース世界選手権 500ccクラスへの参戦経験もある。
50歳を迎えたが、現役でマン島TTに挑み続けるライダーである。
大英帝国勲章MBE授与のきっかけはチャリティ活動
アダム:新型コロナ禍の影響で、2020年、そして2021年もマン島TTが中止になった。そんな状況だけど、ジョンは今何をしている?
ジョン:2020年のスーパーエンデューロ世界選手権で優勝したビリー・ボルトのマネージャーをしているイアン・ホルトからCBR600RRを買ったんだ。イアンはブルース・アンスティ(ニュージーランド出身のマン島TTトップライダー)が初めてTT参戦するためにここへ来たときに彼をサポートした人物だ。僕はこのバイクを2002年スーパースポーツ世界選手権のチャンピオンマシンレプリカにしようと思ってる。
僕のバイクコレクションはマン島TT関連のものばかりだから、ちょっと違うものも欲しかったんだ。バイクは手に入れたから、あとは塗装をするだけだよ。
アダム:そうそう、僕は君のことを「サー」をつけて呼ばなくてはいけないのかな?
ジョン:そうさ、なにしろ勲章だからね!いやまあ、僕のことをどう呼んでもいいけど、名前の後ろにMBEがつくんだよね。博士号を取ることとMBEは違うけど、ちょっと妙な気分だ。なぜなら推薦によってMBEを授与されたからで、レースで勝ったわけでもないのに賞をもらえたことに戸惑ってるよ。
首相や内閣府が僕のチャリティ活動を認めてくれたんだ。できる限りのことをしたいと思って、僕は血液バンクや救急航空機配備のためにチャリティをしてきた。そういうことをきちんと見てくれてた人がいて、それが推薦につながっった。やり続けることは大切だと思ったよ。
アダム:MBEの候補になっていることは知っていたの?
ジョン:まったく知らなかった。「イギリス政府」と書かれたメールが来たから、自動車税を払い忘れたと思って不安になったくらいだよ。読んでみたら「叙勲者リスト」と書いてある。すると妻が言ったんだ。「あなたもそのひとりよ」って。
彼女は僕を推薦してくれた人と一緒に推薦状を作ってくれていたんだ。推薦状には僕と仕事をした人の署名が必要なんだけど、僕を推薦してくれた人とそうでない人がわかるのは興味深かったね。
アダム:そんな重要な通知がメールで来るの!?
ジョン:そうなんだよ。だから僕は彼らに電話をして「非常に光栄です」と伝えたんだ。MBEのことを事前に公言してはいけないと言われたから、僕はもちろんそれを守って誰にも話さなかった。知っていたのは家族だけだよ。女王陛下からの通達とあれば襟を正さなければならないからね。平凡な一年の終わりに起きた、とてもうれしい出来事だったよ。
アダム:それで君の氏名は正式に変わったの?
ジョン:そう。僕は正式にMBEになった。電話代の請求書の宛名は以前のままだったけど、地元の副統監からお祝いの手紙をもらったよ。ツイッターの名前を「John McGuinness MBE」に変えてみたけど、自慢してるみたいで恥ずかしいね。
アダム:女王陛下には会えるの?
ジョン:パンデミックが終わったときに、ガーデンパーティーが開催されたら最高だよね。
2019年、2020年は中止となったマン島TTだが……
アダム:そのパンデミックのせいで2020年、そして2021年とマン島TTが中止になったけど、2022年のことは考えている?
(*2021年8月時点では5月29日~6月10日開催予定となっている)
ジョン:2016年はシニアTTで自己最高速度を出したけど、2017年、2018年は怪我のために乗れなかった。2019年もダメだったし、それからはレースが中止になってしまった。どうなるかはわからないよ。気持ちは若いままだけど、2022年に僕は50歳になってるんだ。
もちろんTTは僕がやりたいことの重要なひとつだし、動機はいくつかある。僕にとってTT参戦100回目となるスタートを切りたいし、リタイヤしたままで終わらせたくないんだ
(*2019年シニアTTで、ジョンはエンジンボルト脱落により1周目でリタイヤした)
マシントラブルは何度も経験してきたけど、バンガロー(マン島TTで走るスネーフェルマウンテンコースの31マイル地点の名称)のストローバリアに腰掛けてたことを、僕のTTキャリアの最後になんてしたくない。だけど、あとは時の運に任せるしかない。最後がどうなるのかは誰にもわからないよ。
50歳になっても、あと10年はヨロヨロとクラシックバイクを走らせることはできるけど、230馬力もあるスーパーバイクでブレイヒル(スタートから数十秒で到達するポイントで、勾配がきつい下り坂を全速力で駆け下りる)を走るのは厳しいだろうね。でも、どうなるかは僕次第だ。次のTTまでに僕は歳をとってしまうけど、焦らずに待つしかないよ。
アダム:このままカワサキに乗り続ける?
(*2020年からジョンはQuattro Plant Bournemouth Kawasakiと契約)
ジョン:今のところはそうだね。僕は忠実な男だし、追い詰められたら何があっても勝負に出るよ。
アダム:TT-ZERO(電動)の無限、そしてスーパースポーツ(600cc)は?
ジョン:600とスーパーストック(市販車1000ccクラス)は、ボーンマス・カワサキがあるから大丈夫。でも無限はどうかな。本田博俊さんとは今もよく話してるし、彼は僕のMBE叙勲を最初に喜んでくれた人のひとりだ。2019年、怪我がまだ治っていない僕の代わりに、彼は他のライダーを起用することもできたんだ。それなのに彼は僕が完治するのを待ってくれた。いい人だよ。
(*この年ジョンはTT-ZEROで2位入賞して無限のワンツーフィニッシュに貢献した)
アダム:2022年はマン島TTが開催されることに期待してるけど、そのときあなたのキャリアは有利に働く?それとも不利かな?
ジョン:いい質問だね。勝手な想像をすると、月曜日と火曜日に雨が降ってくれればいいかな。そうすれば水曜日と木曜日は僕のキャリアを生かせるチャンスがあるし、それで速いライダーたちを圧倒できれば完璧だ。でもそんな奇跡には期待できないだろうね。
というのは、数年前まで、国内選手権を走っていたライダーたちがTTコースを把握するには、それまでの経験から得たスキルをかなり修正していたはずなんだ。それには時間がかかったし、簡単なことではなかった。
でも最近のライダーは何をどうすればいいかを知っている。ヒッキー(*ピーター・ヒックマン。2014年TTデビューで5勝をあげ、2018年にはシニアTTで1時間43分08秒065の最速記録を樹立したTT最速ライダー)は3、4周も走ればすっかりとコース状況を把握してしまう。
TTデビューから間もなくて、最高位が10位あたりのライダーには難しいかもしれないけど、トップ10の常連たちは最初から130mphでラップするだろう。
(*1周60kmのコースを平均速度209km/hで走破する速さで、約17分で周回)
アダム:マイケル・ラッター(1994年TTデビューの48歳。TT勝利数7)やブルース・アンスティ(1996年TTデビューの51歳。TT勝利数12)のようなベテラン勢はどうだろう?アンスティは何年ものブランクがあるのに130mphのラップを記録している。
ジョン:ブルース・アンスティのDNAがあれば、誰でもスーパーマンになれるんじゃないかな。彼は魔法使いのような男だよ。ラッターはとても賢くて博識だし、レース経験も豊富だ。そのキャリアを存分に生かして常に上位を走っている。ジェイムス・ヒリアーも同じだよ。ハッチー(イアン・ハッチンソン)はすべてを知り尽くしているし、コース状況に合わせるのも巧みだ。ガリー・ジョンソン、マイケル・ダンロップ、ディーン・ハリソン。誰がトップ6に入ってもおかしくないライダーたちだ。
僕は49歳だし、転倒するときが来るかもしれないけど、それだけは避けたい。レースを続けていくことは非常にむずかしいね。それに今は2021年1月で、2022年6月に僕がどうなっているかに答えることもやはりむずかしいよ。今はまだトップレベルのTTライダーで、ブレイヒルを全速力で駆け下りる準備もできている。でもね……。
アダム:ショートサーキットだけで2年間レースしていたライダーたちが、ロードレース(公道)に戻るのはどれだけ大変なんだろう?
(*マン島TTなどに参戦するライダーたちが「ロード」ないしは「ロードレース」という場合は公道を用いたレースを指す)
ジョン:バイクはアップデートされるし、新型も登場するだろうから誰にも何もわからないよ。みんなが慎重に走り出すことを願うばかりだ。大きなプレッシャー、そして周囲の期待。今が苦境なぶん、みんなうきうきして飛び出していくだろうけど、それがいい結果を生むとは限らないからね。
アダム:君やブルース、ハッチーのようなライダーは、ショートサーキットからロードレースへと簡単に切り替えられるんだろうね。でもピーター・ヒックマンをはじめとするショートサーキットのトップライダーたちは、BSB(ブリティッシュスーパーバイク選手権)で3年間も激しいレースをしてきた。そんな彼らでも苦戦するのだろうか。
ジョン:僕にとってはそうあってほしいけど、彼らは勝利に貪欲だからそうはならないだろう。BSBで毎週走っていて、テストプログラムをきっちりとこなしていれば、すぐにTTに出られるよ。彼らにとってショートサーキットとロードレースでの修正はあまり必要ではないし、バイクの出来もいいからね。彼らが次のTTで最初の練習走行をするときにじっくりと観察したいと思ってるけど、みんなさっさと先へ行ってしまうだろうから、それも難しそうだね。
アダム:レースが中止になっている2年間で、コースが大きく変化することはあるのかな。2001年は口蹄疫蔓延のためにマン島TTが中止になったけど、そのときは何か変化はあった?
ジョン:とくに変わったことはなかった。僕は600ccでかっ飛ばしていたし、スーパーバイク選手権にも出てたから気にしたことはなかったね。2002年のレースではみんなかっ飛ばしてたよ。
アダム:2022年のマン島TTの全体的な見通しはどう?これまで以上に重要なものになる?それとも一部のライダーやチームがいなくなったりするかな?
ジョン:いやいや、それはない。今まで以上になるよ。TTには多くの人や企業が関わっている。僕のレース活動の中心はTTだし、それはデイビー・トッドもジェイムス・ヒリアーもダボ・ジョンソンも同じだ。
ライダーたちはTTに支えられているし、TTがなくなってしまえばスポンサーシップも価値も意欲も、すべてなくなってしまう。だから誰もが必死になってTTに出場しようとする。もしもTTがなくなったら、みんな途方に暮れてしまうよ。スーパーバイクでブレイヒルを全開で駆け下りることができるのは、世界でここだけなんだから。
アダム:実力あるチームだったり、あるいはトップ20以下のライダーが戻ってこないのではないか。僕はそんな心配をしているけど、それは杞憂かな?
ジョン:ファクトリーチームはその前からすでにいないよ。今やTTの主力は、シリコンエンジニアリング(カワサキ)、パジェッツ(ホンダ)のような、技術力も資金も、そして優秀な人材もいて実力あるプライベーターだ。ボーンマスカワサキもそうだよ。
アダム:ところで君が最後にマン島へ行ったのはいつ?こんなに長い間、マン島へ行かないなんてことはあったのかな。
ジョン:2019年のクラシックTT(マン島TTの後、8月下旬に開催されるクラシックバイクのレース)が最後だよ。初めてマン島へ行ったのは1982年で、僕は10歳。父が連れていってくれたんだ。それからは毎年マン島へ行っているし、多いときは年に2度、いや4度はマン島へ行く生活だった。だからさびしいよ。
マン島の人たちや友達と会えないこと、彼らとレースの話をすることすべてが恋しい。これ以上予期せぬ出来事が起きないといいな。
アダム:TTはマン島にとって重要だからやめることはないだろうけど……。
ジョン:安全と衛生管理がしっかりと施行されることを願ってるよ。
アダム:今年、クラシックTTが開催されたら、君は出場するのかな?
(*インタビューが行われた段階では開催予定だったが、2021年3月10日にマン島政府は中止を発表した)
ジョン:そうだね。パトン(カワサキ製650cc並列2気筒エンジンを搭載するイタリアのネオクラシックスポーツマシン)を持ってるし、カワサキの旧車も考えてるよ。僕にとってもスポンサーにとってもプラス材料だ。マン島TTはプレッシャーが強いけど、クラシックTTは楽しいよ。
アダム:BSBと併催されるドゥカティ・トリオプションズカップ(ドゥカティUKが主催するパニガーレV2のレース)には今年も出場するの?
ジョン:もちろん。感覚を研ぎ澄ませておくためにね。
アダム:いろいろ話してくれてありがとう。僕はそろそろ寝るよ。おっと、お辞儀をしなくちゃいけないかな、殿下(笑)。
ジョン:ああ、そうだな(笑)。話せてよかったよ、相棒。
ジョン・マクギネス選手のマン島TT優勝記録
マン島TTにおけるジョン・マクギネス選手はマン島TTで47回表彰台に上り、23回の優勝をあげ、2007年には同レースで史上初となる平均速度130mph(約209km/h)の記録を出した。
1999年 TT Lightweight 250優勝 (Vimto Honda)
2000年 TT Single優勝(Chrysalis AMDM 720)
2003年 Lightweight 400優勝(Honda)
2004年 Junior 600優勝(Yamaha YZF-R6)
2004年 Lightweight 400優勝(Honda)
2004年 Formular 1優勝(Yamaha YZF-R1)
2005年 Senior優勝(Yamaha YZF-R1)
2005年 Superbike優勝(Yamaha YZF-R1)
2006年 Senior優勝(Honda CBR1000RR Fireblade)
2006年 Supersport優勝(Honda CBR600RR)
2006年 Superbike優勝(Honda CBR1000RR Fireblade)
2007年 Senior優勝(Honda CBR1000RR Fireblade)
2007年 Superbike優勝(Honda CBR1000RR Fireblade)
2008年 Senior優勝(Honda CBR1000RR Fireblade)
2009年 Superbike優勝(Honda CBR1000RR Fireblade)
2011年 Senior優勝(Honda CBR1000RR Fireblade)
2011年 Superbike優勝(Honda CBR1000RR Fireblade)
2012年 Superstock優勝(Honda CBR1000RR Fireblade)
2012年 Superbike優勝(Honda CBR1000RR Fireblade)
2013年 Senior優勝(Honda CBR1000RR Fireblade)
2014年 TT Zero優勝(Mugen Shinden)
2015年 Senior優勝(Honda Fireblade)
2015年 TT Zero優勝(Mugen Shinden)
レポート●アダム・チャイルド まとめ●山下 剛
写真提供●アダム・チャイルド/山下 剛 編集●上野茂岐
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