長い歴史を持つWRC世界ラリー選手権は、多くのメーカーが参戦し、名ドライバーを輩出してきた。
日本メーカーや日本人ドライバーも挑戦を続けており、2021年のサファリラリーではトヨタヤリスで参戦した勝田貴元選手が2位を獲得し、日本人として27年ぶりにWRCの表彰台に上った。
実はFFにこそスバルの真髄が? なぜインプレッサだけに“FF”車が設定されているのか
今回は1990年代から2000年代初頭までWRCの取材を行った佐久間健氏が目撃した決定的な瞬間をご紹介したい。
主役はフェラーリF1ドライバーカルロス・サインツJr.の父、カルロス・サインツだ!
文・写真/佐久間健
【画像ギャラリー】コースアウトするインプレッサ、目前を走り抜けるセリカ……カルロス・サインツの慟哭
■コースアウトしたインプレッサを助けようと観客が駆け寄った
闇夜の中で懸命にコース復帰を試みるスバル インプレッサ。サインツを助けようと観客がマシンに駆け寄る。ラリーはコースアウト即リタイヤではない。だから一縷の望みにすがりたくなるのだ
今回ご紹介する写真は1994年のWRCの最終戦で撮影したものだ。
この年は全10戦が行われ、セリカのD・オリオールが9戦終わった時点で110ポイントを獲得してトップ。2位はスバルのC・サインツで、99ポイントを獲得して追う展開となっていた。
サインツがチャンピオンになるには、自力優勝してオリオールが5位以下になるか、2位ならばオリオールが8位以下でなければならない。
そしてWRC最終戦はちょうど50周年を迎えた英国のRACラリー。11月の英国は天候が悪く1993年は雪に見舞われた。1994年は比較的暖かったものの、例年のように雨が多く降るラリーとなった。
ラリーが始まると、オリオールは早くもSS3で、フロントサスペンションにダメージを負って4分ほどタイムロス。サインツもラジエーターを破損したもののタイムロスも少なく4位で走りきった。
オリオールは第2レグに入り徐々に順位を上げてきたのだが、今度はコースオフして転倒。さらにターボもブローしてしまう。しかしそれでも走り続けたオリオールは、第3レグに入り9位まで順位を上げてきた。
そして運命のSS24、今度はサインツがコースオフ。現場に居たギャラリーがサインツのインプレッサを引き上げるべく車に走り寄るが、なかなかコース復帰ができない。
私がいたのはこの現場から100mほど先のコーナーで、サインツが脱出しようともがくエンジン音が聞こえたので走って現場へ向かった。
■走り去るセリカ、遠ざかる王座……悲痛な表情で頭を抱えるサインツ
目前を走り去るオリオールを呆然と見送り、降車して頭を抱えるサインツ。悲痛な表情は気の毒で見ていられない。わずかな希望にかけて奮闘したからこそ、夢やぶれた時の絶望感は計り知れない
現場は着くと沢山のギャラリーがサインツの車に群がっていて、それこそ押したり引いたりを試みている。熱くなったターボエンジンから吐き出される排気ガスは、時に赤い炎がマフラーから出るほど熱せられているので、車の後ろでプッシュしているギャラリーは慌てて逃げ出す。
また2分ごとにスタートする後続のラリーカーが、この現場の横を全速力で走り抜けていった。現場は大混乱だった。
急いで何枚もシャッターを切るが、この当時はフィルムカメラのため36カットしか撮れない。フィルム交換ももどかしい。そしてサインツの横をオリオールが走り抜けていく。
万事休す! これでオリオールのチャンピオンが決定する。
サインツは車の中で茫然とする、そして車をおりると頭を抱え込んでしまう。
ラリー取材はレース等と違い1日で撮影できるのは、せいぜい2~3か所前後。この時のRACラリーのSSは4日間で29か所。1日にSSがほぼ7か所くらいだ。
そして1つのSSでコーナーは数10から数100か所あるだろう。撮影できるのは、そのうちの1コーナーだけ、もしくは見通しがよくても、その2~3コーナーくらいしかない。
今回はコースオフした現場から数百mほどだったので、急いで駆け付けていろいろなシーンを撮影できたが、コースオフした場所を撮影できるのはまれだ。
ラリーで決定的なシーンを撮影するのは、相当歩留まりが悪い行為といえるだろう。
●解説●
1994年のRACラリーにはトヨタとスバル、そしてフォードがワークスで参戦。トヨタはセリカGT-Four、スバルはインプレッサWRX、フォードはエスコートRSコスワースで参戦。すべてグループA規定のマシンだ。
オリオールの勝利によってドライバーズチャンピオンを獲得。またこの年のメーカータイトルもトヨタが獲得した。
* * *
佐久間 健/大学生のときに、初めてラリーに参加する。最初はドライバーだったが、のちにナビゲーターとなり篠塚建次郎、岩下良雄、高岡祥郎、横山文一、平林武らとコンビをくみ1986年には綾部美津雄とレオーネで全日本ラリー選手権のチャンピオンになる。
ラリーは1974年にはじめてWRCのツールドコルスを取材。その後年に何回かWRCを取材し、1990年代にはWRC全戦を取材するようになる。全戦取材は2004年まで続いた。その他アジアパシフィック選手権、ダカールラリー、パイクスピークヒルクライムなどの取材も行う。
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