初代より「人馬一体」のドライブフィールを貫く、マツダ「ロードスター」。誕生から30年が経過した2020年現在は、4代目(2015年デビュー)が販売されている。
この4代目は、大型化していた先代から、初代のコンセプト「ライトウェイトスポーツ」へと原点回帰を果たし、軽快な身のこなしで、永らくファンから高く支持されているモデルだ。
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ライトウェイトスポーツカーといえば、CR-ZやMR2、シルビアなど、過去には多く存在した時代もあった。しかし当時から現在まで生き残っているのは、(S660やコペンなど、軽自動車で出てきたもの以外は)このロードスターのみ。なぜロードスターだけが、生き残ることができたのだろうか。
文:吉川賢一/写真:MAZDA、ベストカー編集部
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ロードスターの成り立ちを知る
ライトウェイトスポーツカーとして確固たる地位を築いた「ロードスター」。意外にも、この初代誕生のいきさつは、あまり知られていない。
初代ロードスター。レッドのボディ色はこのクルマのメインカラー
ロードスター誕生へと動き出したのは、1983年ごろ。日本車メーカーが軒並み、海外進出を始めた時代だった。当時、マツダ本社から、カリフォルニアでデザインスタジオを起こし、新しいクルマの提案を求められていたのが、デザイン本部長(当時)の福田成徳氏だ。
当時、日本から見て、アメリカは日本よりもずっとクルマ大国で、テールフィンの生えたデカいクルマたちが、7レーンのハイウェイを行きかっている、というイメージが強かった時代であったが、福田氏によると、実際にカリフォルニアの道を走っていたのは、日本や欧州から来た、エコやセーフティの問題をクリアしたコンパクトカーたちが多かったという。
コンパクトカーが多い市場、ということであれば、その市場向けには、コンパクトカーを造る、というのが一般的な流れだが「コンパクトカーが道を埋め尽くして走っているのはつまらない」と思った福田氏。「便利なクルマも大切だが、走って楽しくなる相棒の「ドライブミーカー」もあっていいのではないか」と考え、作られたプロトタイプカーが、「DUO101」だ。
初代RX-7のサスを装着し、デフもついていて、実際に走れるクルマであった。このプロトタイプカーの効果もあり、マツダ本社は「GO」と判断、いよいよロードスター・プロジェクトが動き出すこととなった。
しかし、無表情で背高のっぽ、ノーズ回りのデザインが石鹸箱のようで、プロポーションに面白みがない、など、デザイナーたちには、まだまだ改良したい部分が多くあった。
「楽しめるクルマ」を追求した、ロードスター
初代ロードスター(NA)に携わる開発エンジニアには、社内で有志が募られた。その結果、スポーツカーに理解あるエンジニアが多く集まった、という。
そして、集まったエンジニアたちは、お客様はロードスターに何を求めるのか? を真剣に考え、その結果、「楽しめるクルマ」だったら買ってくれるのではないか、と考えたそうだ(2代目3代目ロードスター開発主査貴島孝雄氏のコメント)。
プロトタイプカーでは、フロントサスはストラット、リアサスはリジットであったが、初代ロードスターではダブルウィッシュボーン(DWB)に改修している。これは、お客様の好みにキャンバー調節してダンパー交換する、といった自由度を持たせるためだった。
「ストラットでも成り立っていたじゃないか」という声には「ストラット並に安く、軽く造る」と宣言した。一般的に、DWBでは、ストラットの1.5倍はコストかかる。これをクリアするのは並大抵の努力では成しえない。メーカーエンジニア出身の筆者からすれば、ありえないことだ。
重量についても、マツダの設計基準では板厚2.0ミリ以上取ることが規定だったが、板厚を1.8ミリまで薄くし、強い防錆対策を施し、クロスメンバーやその周辺部材を軽くした。その結果、DWBでもストラット並みに軽量にすることができた。エンジニアたちが「楽しめるクルマ」を追求した結果だ。
また、車体のパワープラントフォームも、ドライビングの楽しさのために、最初からやると決めていたという。アクセルオンで即トラクションがかかり、背中からグッと押される加速感のために、デフと車体がねじれないようにした。
しかも、エンジンミッションとデフを一つのフレームで繋いだため、ミッションマウントラバーは不要、デフマウントラバーも不要、とコストも下がり、軽くなった。一挙両得のアイディアだ。
このように初代ロードスターは、スポーツカーを愛するエンジニアたちが、とことんまで「楽しめるクルマ」を追求し、開発されたのだ。
そして、2代目のロードスター(NB)開発時には、こんなこともあった。
NBへのモデルチェンジの際、ヨーロッパ側の規制でリトラクタブルヘッドライトが禁止となった。日本やアメリカではリトラでもよかったのだが、作り分けるとコストがかさむ。「楽しめるクルマ」を追求するためには、コストは出来るだけ抑えねばならない。その結果、固定式に統一されることになった。
2代目ロードスター。リトラクタブルヘッドライトを廃止したが、ロードスターらしさは残した一台
しかしこれが意外な効果を生む。重たいリトラのユニットは、ヨー慣性の増大を招いていたため、廃止により軽量化になり、ヨー慣性低減に成功したのだ。
その効果もあったのだろう、NBは、2003年のAUTO CAR誌にて、ポルシェを破って「ベストハンドリングカー」を受賞した。
逆境すら逆手にとって活かす
このようなエンジニアたちの熱意は、4代目(ND)でも、しっかりと息づいている。NDでは燃費改善のため、ヘッドライトがLED化された。
LED化したことで低いノーズにできるのだが、重量がかさむ。しかしマツダのエンジニアたちはそれを逆手にとり、ユニット本体を元よりも低い位置にレイアウト、重心を下げることに役立てたのだ。また、ライトユニットの奥行きが短くすむので、オーバーハングを短くでき、ヨー慣性も小さくできた。
4代目ロードスター。初代に比べると塊感が増したデザインだ
初代ロードスターへ、ストラット並みのコストでDWBサスペンションを織り込んだように、エンジニア自身が納得するスポーツカーを、ちょっとだけ頑張れば買える、リーズナブルな価格で実現しようとする熱意の表れだ。
作られた時代は異なるが、先人が築いてきた歩みを、後輩エンジニア達がしっかりと見てきたからこそ、「何か工夫ができるはずだ」という思考を繰り返すことができたのだろう。
変わらぬ熱意があったからこそ、生き残れた
高性能スポーツカーでは、速さを得るためにアルミニウムやカーボンを使うことも多々あるが、コストが上がり、だれでも手に入れることはできなくなる。
ロードスターは、コストを抑えながらも、あの小さくて低くて可愛らしいボディに、ぎちぎちに詰め込んだハードな走りのメカニズムをもっている点、走れば走るほどドライバーに馴染む奥深さを持っている点、こうした魅力があるからこそ、4代にもわたり作り続けられた。
マツダは「ロードスターが4世代にわたって作り続けられたのは、ロードスターを乗っている方やオーナーズグループの皆さんの笑顔によって支えられてきたおかげだ」とし、これからも、お客様との対話を、続けていきたい、という。
「このクルマを手に入れるほんの少しの勇気を持てば、きっと、だれもが、しあわせになる」――平成が始まった1989年に誕生した「ユーノス・ロードスター」のキャッチコピーだ。
このキャッチコピーには、ロードスターを生みだした、マツダの技術者たちの想いが込められている。そして、それは4代目となった現行ロードスターにも変わらず織り込まれ、その想いがユーザーに伝わっているからこそ、ここまで生き残ってこれたのだろう。
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みんなのコメント
重量もなんかめちゃくちゃ軽いような書き方してるけど、当時の基準からすれば別にそこまで軽い車じゃないよね。