すべての物事が何かと便利で、何かと過剰でもある2019年のニッポン。それはそれで悪くない話である。何かと不便で、今にして思えばモノも不足していた昭和中期から後期にかけての世の中と比べれば、「ある意味、いい時代になったものだ」としみじみ思う瞬間は多い。
しかし人間というのは皮肉というかわがままなもので、世の中の高度情報化が進めば進むほど、ときには「良質なローテク」に身を任せる時間も持ちたくなる。
それゆえ、都市に住まう人々はときに山へ海へと出かけたり、別宅として古民家を購入したりするのだろう。結構な話である。
だが自動車によっても、人は居ながらにして──というか走りながらにして──「良質なローテクに身を任せる」という短時間の快楽を得ることはできる。
その方法のひとつが、イタリアの大衆実用車であった「フィアット パンダ」を購入し、2019年の本邦で普通に使ってみることだ。
現在はなかなかモダンなつくりの3代目パンダがフィアット・クライスラー・オートモービルズより発売されているが、ここで言っているのではそれではない。1980年にデビューした「初代」のフィアット パンダだ。この車の絶妙なローテクっぷりが、都市に住まう現代日本人には「効く」のである。
現在の視点から見ると非常にレトロスペクティブで可愛らしいデザインといえる初代パンダだが、それはもちろん「狙ったレトロ」ではなく、インスタ映え(?)を意識した結果の可愛らしさでもない。
工業デザインの世界的巨匠が「小型大衆実用車の本質」をとことん追求した結果として、このフォルムになったのだ。そしてそれが正鵠を射ていたものだから長きにわたって各国市民に愛され、長い間愛されたものだから、いつの間にか「レトロで可愛いデザイン」になってしまった――というのが本筋である。
初代パンダはフィアット社のクルマではあるが、開発を担当したのは、先ほど「工業デザインの世界的巨匠」と表現したジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタルデザイン。フィアット社からの委託を受けての全面担当だった。
ジウジアーロは開発と製造のコストを抑えることで「誰もが買える値段の小型実用車」とするべく、ボディ外板はひたすらの直線と平面を採用。そしてウインドウにもややこしい曲率はいっさい与えず、ひたすら真っ平らな「板ガラス」とした。
このあたりが、今にして見ると「レトロで可愛い!」となる理由のひとつなわけだが、その出発点は美観うんぬんではなく「誰もが買える値段で良質な小型実用車を作る」という思想だったのだ。
初代パンダはインテリアも徹底的に簡素化された。普通のクルマでは樹脂製のダッシュボードとなる部分には、棒とキャンバスで構成された「ダッシュポケット」を採用。そしてフロントシートは簡素なパイプフレームに伸縮性のあるキャンバスを張っただけの「ハンモック式」だ。
このように諸々のスペックを書いていくと、人は「初代パンダってのは貧乏くさい安手のクルマだったんだなぁ」と思うかもしれない。
だが真実は少々異なる。
「安手のクルマ」という部分については確かにそのとおりと言えるが、初代フィアット パンダは決して「貧乏くさいクルマ」ではない。
初代パンダのステアリングホイールを握っている最中に感じるのは、「日々繰り返される平凡で愛すべき生活が、今ここに確かにあることの歓び」だ。
後期型でも排気量1ℓでしかないエンジンはもちろん大したパワーではない。だが、マニュアルトランスミッションを適切に操作してやればごく普通に、いやどちらかといえば小気味よく、走る。
内外装は前述のとおりひたすら簡素なつくりとデザインを採用しているが、簡素ゆえに車内は意外と広い。そして計算しつくされた前述のダッシュポケットやハンモックシートもひたすら実用的であるため、どこへ出かけるにしても苦痛がない。
むしろあちこちへ積極的に出かけて、日々の暮らしに必要なあれこれをスーパーマーケットなどで買ったり、買ったそれをクルマの荷室や後席に積んで家に持ち帰ったり、ときにはお弁当をこしらえてちょっとしたピクニックなどを楽しみたい気持ちになるのが、初代フィアット パンダというクルマなのだ。
もちろん、もっともっとパワフルなクルマに乗ることや、至れり尽くせりの最新装備が「全部盛り」になっているクルマを自家使用するのが悪いわけではない。むしろそういったクルマを活用して効率的に生きることのほうが、どちらかといえば正義であるはずだ。
だが、人はそういった「正義」に飽き飽きする瞬間もある。特に、都市部に住まう人間はそうだろう。
そんなときこそ、初代フィアット パンダに乗ってみたいのだ。
単なるローテク&レトロ趣味ではない、「小型大衆車としての本質」を追求した結果としての「贅肉の無さ」が、ある意味贅肉だらけの物々に囲まれて生きる人間の心と身体に「効く」からである。「生活って、そういえばこのぐらいで良かったのかもしれないね……」と、久しぶりに思い出させてくれるからである。
初代パンダによってそれを思い出した結果、妙にミニマリスト的な世界観にどっぷり浸かる人もいるかもしれない。だが個人的には、そこに浸かる必要はないと思っている。2019年を生きる我々は、2019年なりに生きることのほうが自然だからだ。
だが、山間にある別宅としての古民家に泊まりに行くように、あるいは単純に山や海辺へ息抜きをしに行くように、「たまに」初代パンダに乗りたいのだ。
生活というものの本質を思い出し、そしてそれをなるべく忘れないようにするために。
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