もくじ
前編
ー 同時代の英国車とは「まったく違う」
ー スタイリングは「新たなショック」
ー 手で動かせるワイパー
ー シトロエン 隣にジャガー/ローバー
ー 1964年型 DS19サファリ
ホンダ・シビック・タイプR vs アバルト124スパイダー 比較テスト
後編
ー シトロエン乗りの儀式
ー 最良の選択はスラウ製のパラス
ー マシュマロのような乗り心地
ー DS21デカポタブル登場
ー ありふれた風景が、優美な世界に
ー 電気なし 水道なし 60年前の「未来」
同時代のクルマとは「まったく違う」
4台のシトロエンDSを目の前にして、ふたりの言葉が心のなかで響きあった。ひとつは、哲学者のロラン・バルトが1957年に発表したエッセーの一節、「この新しいシトロエンが空から落ちてきたのは明らかだ」という言葉。そしてもうひとつは、ロバート・カンバーフォードがMOTOR TREND誌で、DSを「18世紀以来の決まりきった機械設計の概念を、初めて本当に打破した」と評した言葉だ。
今回の取材車はDS19のサルーン、DS19サファリ(英国でワゴンはこう呼ばれた)、上級グレードで英国スラウ工場製のDS21パラス、オープンのデカポタブル。1967年にフェイスリフトするまでの前期型の多彩さを代表する4台であり、それぞれに独自の魅力を放っている。
まず1957年型のDS19は、55年にデビューしたオリジナルと同じスペックを持つ。DSが同時代の他のクルマといかに妥協なく違っていたかを物語る1台だ。トラクシオン・アヴァンの “ライト・フィフティーン”(本国名はシトロエン11)ですでにお馴染みだった1911ccエンジンは、ボンネットの下に潜んでいる。フロントに “ダブル・シェブロン” のトレードマークもない。
これが高級セダンだと理解するのは、当時の人々には難しかっただろう。
スタイリングは「新たなショック」
DSのデザインは、後のアメリカ車に見られたロケットのような未来的デザインとは違う。フラミニオ・ベルトーニのデザインはまさに「新たなショック」だったが、それを乗り越えてあらためて見れば、合理的なディテールに気付くはずだ。
リアピラーに設置されたターンランプは後続車から見やすいし、グラスファイバー製の軽量なルーフパネルは重心を下げることに貢献している。そしてインテリアは当時のどんな慣例にも逆らうデザインを持っていた。
60年前の真っ当な英国車にとって、人工的な素材を使うのは恥ずべきことだったが、シトロエンはそれを喜んで多用した。スリムなピラーと明るい色の樹脂トリムの組み合わせが、“動く紳士クラブ” のむさ苦しい英国車の雰囲気とは対照的な開放感をインテリアに与えている。ウーズレー60/9はDSより1年旧いだけだが、大きなステアリングや木製のダッシュボードなど、あえて旧いクルマに見えるように考えて作ったかのようだ。
逆に言うと、このシトロエンは謹厳実直な人には向かないクルマだった。
手で動かせるワイパー
しかしそれでも、クランクハンドルでエンジンを始動させるためのブラケットを見れば少し安心できただろうし、電気が切れても手で動かせるワイパーはもっと親しみが湧く装備だったかもしれない。
そんなDS19が1955年のアールズコート・ショーで登場したとき、付けられた値札は1726ポンド。勇気あるモータリストにとって注目すべき安さだったが、ショーのスタンドで注文しようにも出来なかった。シトロエンのスラウ工場はDS生産に向けた長期改修中で、それが終わるまでさらに8カ月もかかる状況だったからだ。
それでもミステリアスなDSとなれば、待つ価値はある。英国での広告コピーは、「あなたは最愛の人をどう表現しますか? お母さんは子供をどう表現しますか?」だった。
シトロエン 隣にジャガー/ローバー
ライレー・パスファインダーでは、こんな風な広告を打ったりはできない。もしやったら、大事な顧客の退役軍人たちが大騒ぎを始めてしまう。「ステアリングホイールの下に滑り込めば、そこは10年後の未来だ」などと記述されるクルマは、この時代の英国の5~6人乗りサルーンには皆無といってよかった。これはジョン・ボルスターがAUTOSPORT誌に書いた言葉である。彼はツィードのジャケットを着たような当時の英国車の印象を要約して、こう結論付けた。「今の英国車はモダンなボディをまとったビンテージカーだ、という感覚になり始めている」
55年のショーで、シトロエンのスタンドの隣りにはジャガーとローバーがあり、それぞれライバルとなり得るニューモデルを披露していた。ジャガーは “2ℓ”(実際には2.4ℓ。後に言うマーク1)を、ローバーはP4 90を出品。どちらも新しい時代の精神を体現しているように思われた一方、スタンダード・バンガードのフェイズIIIやハンバー・ホークMk IVなどの地元勢は、DSに比べたら農作業用のトラクター程度の洗練度にしか見えなかった。
インテリアの装飾は最小限だが、そこにはいかなる潔癖主義とも違う新鮮さがある──何カ月も待ってようやくDSを手にしたドライバーたちは、すぐにそう気付いた。ライバルの英国車はステアリングが重く、ブレーキやシフトも扱いづらいかわりに、室内装備が充実している。それに対して、シトロエンの思想は明快だ。
1964年型 DS19サファリ
クルマというのは欠点を我慢して乗るようなものではない。凝ったヒーターやベンチレーション、ソフトな座り心地のシート、そして注意深く考え抜かれた快適性を、無条件に享受すればよい。
リージェンシー・レッドの美しいボディカラーを持つ1964年型のサファリに、話題を移そう。シトロエンは輸入関税を避けるためにスラウに工場を建設し、1926年から66年まで操業したが、その恩恵はサファリも例外ではない。郊外用途に最適なクルマとして、ハンバー・スーパースナイプのエステートと競合する値付けが可能になった。スラウ生まれのサファリは本国産と違ってシートが本革張り。63年からはウッド張りのダッシュボードを採用し、ボディカラーの選択肢が増えると共に、バックアップランプが標準装備になった。
DSシリーズのなかで、スラウで最初に生産が立ち上がったのは58年のIDだ。DSの廉価版という位置づけのIDは、ステアリングとブレーキに油圧を使わず、ギアボックスはマニュアル。エンジンも当初はDSの78psに対して67psにデチューンされていたが、63年以降のサファリはDSと同じエンジンを採用している。
「シトロエンDS 4種乗り比べ」後編は、シトロエンを始動する儀式から始めよう。
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