1954年、東京モーターショーの前身である「全日本自動車ショウ」が開催されてから、2019年で65年が過ぎた。そんな東京モーターショーの歩みを、当時のニューモデルやコンセプトカーなど、エポックメイキングなモデルを軸に振り返ってみたい。
1950年代中盤、戦後の復興とともにニッポンの「自動車ショウ」が始まった
1949年(昭和24年)、GHQによる自動車の生産制限が解除された当時、日本の自動車製造技術は欧米から20年以上遅れていたと言われる。それから5年後の1954年、「第1回 全日本自動車ショウ」が日比谷公園の特設会場で開催された。1963年まで、この名称で開催される。しかし、国産各社は日産とオースチン(A40)、日野とルノー(4CV)、いすゞとルーツ(ヒルマン)など、海外車両のノックダウンを開始したばかり。展示はトラックとオートバイが主体で、267台の出展車両のうち、乗用車はわずか17台だった。
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だが翌1955年には「純国産にこだわって開発されたトヨペット・クラウンが登場。日産もダットサン110型をデビューさせ、純国産乗用車時代の到来を印象付けた。日本のモータリゼーションの幕開けと言えるだろう。さらに、通産省(現・経済産業省)が作成した「国民車構想」に刺激を受け、1956年から61年にかけて、鈴木 スズライト、スバル 360、三菱 500、マツダ R360クーペ、スバル 450、トヨタ パブリカなどが次々と誕生し、日本に「軽乗用車」と「大衆車」という新しいカテゴリーが生まれていくことになる。
1957年の第4回ショーでは、トヨペット コロナ、プリンス スカイライン、ダットサンスポーツ・プロトタイプなど、発売前のクルマを展示したのがトピックだった。コロナはダットサン110の独壇場だった小型タクシー業界から熱い視線を浴び、スカイラインは先進技術が注目され、ダットサンスポーツは戦後初の2座スポーツカーへの高い期待値で、ショーの華やかさを盛り立てている。
会場を後楽園競輪場に移した1958年の第5回ショーでは、スバル 360が大人気となる。一方、1000ccクラスではダットサンが210型を展示。コロナとの対決姿勢を明確にして、トヨタvs日産の熾烈な販売競争の火蓋を切った。のちにBC戦争と呼ばれた、コロナvsブルーバードの競争は、ここから始まった。
1950年代最後のショーとなった1959年の第6回ショーは、晴海の日本貿易センターでの初開催となる。日産はブルーバードの愛称をつけた310型を、プリンスは戦後国産車初の3ナンバー車となるグロリアを出品。そのほか三菱 500、ダットサンスポーツ211型など、多くのモデルが展示され、1960年代への飛躍を予感させる充実したショーとなった。
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