今ではすっかり成熟した我が国のバイク文化と市場だが、かつては混沌の時代があった。その混沌の中から飛び出し、日本のスポーツバイクの歴史を塗り替えた1台がある。ヤマハRZ250だ。
RZが生まれた背景のひとつには、日本の二輪免許制度があった。1975年に制度が改定され、400ccを超えるバイクに乗るにはいわゆる「限定解除」という免許試験場での難関実技試験が必要になった。マンガ『750ライダー』に描かれたような、高校生が大型バイクを乗り回すような世界は、夢の話になってしまった。
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だがこの制度には大きな落とし穴があった。バイクのエンジンは、単に排気量だけでパフォーマンスを区分できるものではない。4ストロークと2ストロークがあるからだ。後者は前者にくらべ、同じ排気量でも高回転高出力化ができる。だから“ツースト”は、排気量の大小にかかわらず尖鋭的な高性能車を作ることができた。
RZの登場以前からカワサキ・マッハやスズキGTなど、“750キラー”と呼ばれた小兵ハイパワーのモデルが存在していた。パフォーマンス抑制をもくろんだかもしれない制度改定は、かえって250~400ccクラスの充実をうながし、停滞していく大型車以上の高性能・高技術の発達を見た。RZはそんな中、現れたのだ。
当時の、言ってみれば上限の400ccよりさらに小さい250cc。のちにRZ350も追加されるが、それだって50cc少ない。ヨンヒャクはこの頃排ガスのクリーン化など社会の要請により4ストロークが主流になっていたが、そこに“ラスト・2ストローク“の雄叫びを上げたのだった。
2ストロークの先代モデルRDシリーズとは大きく異なる新開発の水冷ユニット、ロードバイク初採用となる後輪を1本のコイル/ダンパーで支えるモノクロス・サスペンション、渦巻くようなスポーク形状の新しいキャストホイール。マフラーは、メッキ仕上げが多かった当時から訣別する漆黒のチャンバー。
ヤマハ製品の多くを手がけるGKインダストリアルによるクリーンな外装ともども、すべてのディテイルにヤマハの世界GPレーサーがダブッて見えた。カウリングこそ持たないが、“レーサーレプリカ”の誕生だった。以降中型バイクシーンは2スト車を中心に怒濤の性能競争、技術競争、デザイン競争へ突入し、80年代の路上をサーキットさながらの風景にしていった。
PROFILE
金子直樹
フリーランス執筆業。1964年東京うまれ。乗り物およびモータースポーツの歴史と文化考察を中心に、20世紀の工業製品、都市文化、交通、芸能音楽、ファッションなど硬軟取り混ぜて扱う。浮世絵などから見た江戸時代の生活も長年の興味で、下町観光ガイドを時おり開催する。趣味は手ぬぐい集め。
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