BMWの高性能モデルといえば「BMW M社」の『M3』や『M4』といった特別なエンジンを搭載した『Mモデル』。「アルピナ」もBMW車のエンジンなどをチューニングしたハイパフォーマンスモデル。どちらも正規ディーラーで販売されてはいるが、じつはまったく異なる会社のクルマだ。
BMWブランドの高性能モデルとして知られる「M3」や「M4」といった通称「M」モデルが、BMWの完全子会社である「M GmbH(通称M社)」のプロデュースによって開発されBMW本体が生産を担当する。一方で2015年に設立50周年を迎えた「アルピナ」は、BMWの車両をベースにした高性能モデルを生み出すチューニングブランドとして世界的に知られた存在。BMWをベースに市販車を販売するが、こちらは完全独立の別会社である。
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アルピナのチューニングカーにBMWが車両保証を与えた
現在にまで続く「アルピナ」の誕生となるきっかけは、1962年にまで遡る。まずは、そこから説明していこう。その中心人物は、ブルカルト・ボーフェンジーペン。彼は、ドイツでオフィス用事務機メーカー「アルピナ」を創始したDr.ルドルフ・ボーフェンジーペンの息子として生まれた。
クルマ好きであったブルカルト・ボーフェンジーペンは、より高いパフォーマンスを求めるべく、1962年にBMW1500の改良に着手。手始めに専用ウェーバー・ツイン・キャブレターの開発を行なう。このツイン・キャブレターの開発には、父親の経営する工場で働く若いエンジニアたちが協力したのだという。
ほどなく完成したアルピナ製ツイン・キャブレターを装備したエンジンは、まさに彼が期待通りのパフォーマンスを発揮。当時の自動専門誌にも大々的に取り上げられたほどだった。しかし、評価したのはメディアだけではなかった。BMW社の要職にあったポール・G・ハーネマンは、「アルピナ」が手がけた製品の高い品質を認め、自社製品と同様の車両保証を「アルピナ」がチューニングしたBMWにも与えたのである。
1965年1月1日、ブルカルト・ボーフェンジーペンはBMWのチューニング事業をメインとする新会社「アルピナ・ブルカルト・ボーフェンジーペン合資会社」をカウフボイレに設立。事業開始当初の従業員はわずか8人だった。
ニキ・ラウダなどの名レーサーを率いてアルピナはツーリングカーレースを制覇
「アルピナ」は引き続きBMWのエンジンチューンをメインに事業を行ないながら、1968年に自社製品のパフォーマンスをより向上させるべく、ツーリングカーレースへの参戦にチャレンジする。レースでの勝利こそが、自社製品の優位性を多くの人々に伝えられると考えられたからだ。ドライバーには、デレク・ベル、ハラルド・エルトゥル、ジェームス・ハント、ジャッキー・イクス、ニキ・ラウダ、ブライアン・ムール、ハンス・シュトックら、後のF1やツーリングカーレースの歴史に名を残すそうそうたるレーサーたちが名を連ねていた。
レース参戦から間もなく、最高の結果が出た。1970年、「アルピナ」は欧州ツーリング・カー選手権、ロングディスタンス・クラシック、スペイン・フランス24時間耐久レース、そしてすべてのドイツ選手権を制覇するという偉業を成し遂げ、その名を世界中に知らしめたのだ。
翌年、「アルピナ」は、BMWの高性能モデルとして今も歴史に名を刻む「BMW 3.0CSL(3.0CSのライトウエイトバージョン)」の開発プロジェクトリーダーに指名される。ホモロゲーション用の市販車を開発しながら、レースでは同時にワークスチームともいえる立場でレーシングマシンを手がけたのだ。余談だが、このプロジェクトの際にデザインした20インチホイールが、現在にまで知られる伝統的な「アルピナ」のアイコンともいうべきホイールデザインのベースになっている。
こうしてBMWとともにレース活動を続けた「アルピナ」は、1973年にデレク・ベル、ハラルド・エルトゥル、ニキ・ラウダ、ブライアン・ムールを擁し欧州ツーリング・カー選手権でメイクスチャンピオンを獲得。いっぽうニキ・ラウダは、「BMWアルピナ3.0CSL」に乗り、ニュルンベルク6時間耐久レースで新記録を樹立し優勝を果たしている。その後もレースの世界で類い希なパフォーマンスを発揮し、存在感と名声を不動のものにしたが、1977年、「BMWアルピナ3.5CSL」で欧州ツーリングカーレースのチャンピオンを獲得すると、有終の美を飾るようにアルピナは10年に及ぶレース参戦から手を引くことになった。
アルピナが高性能コンプリートカーを発表
その後「アルピナ」は、ご存知にようにBMWをベースにした独自モデルを開発。1978年、当時4気筒エンジンしか搭載していなかった初代3シリーズ(E21)に直6エンジンを搭載し登場した「B6 2.8」は、ボディサイズ以上のエンジンを搭載した高性能モデルのはしりとして、ハイパフォーマンスモデルの方向性をいち早く確立した。
かつてはBMWからホワイトボディが送られ、「アルピナ」でコンプリートモデルを製造していたというが、現在は反対にアルピナが開発・製造したエンジンをBMWに送り、同時に「アルピナ」の仕様に合わせた「アルピナ」のパーツをBMWの製造ラインでアッセンブリーし、市販モデルが生産されている。
冒頭、BMW社内で「M社」の開発プロデュースモデルである「M3」や「M4」も製造していると紹介したが、アッセンブリーラインがBMW社内にあるという点では「アルピナも」「M」も同一。ただし、BMW直系のDNAと持つ「M社」に対して、「アルピナ」は、独立した法人=自動車メーカーとしての意思を持つ別会社であることは今も変わっていない。
BMWのモータースポーツ部門としてスタートした「M GmbH(通称M社)」
いっぽう1972年設立当初の名称が「BMWモータースポーツ社」だった現在の「M GmbH(通称M社)」は、過去、その「M」のイニシャルが示すようにBMWのモータースポーツ部門として機能。レーシングマシンの開発・製造やF1などのレーシングエンジン、Sで始まる市販モデル用エンジン(例えば初代M3のエンジンはS14B23と呼ばれる)の開発のほか、モータースポーツ用/アフター用パーツの開発、カスタマー向けのスポーツドライビングスクールを行なっており、これは現在も続いている。
「M社」は『Mモデル』をプロデュースし、新型車の開発をBMWと連携して行なうが、例えば『M3』や『M4』の場合、生産はドイツ・バイエルン州にあるBMWのレーゲンスブルク工場で通常の3シリーズや4シリーズなどと同一の混成ラインで実施。一方の『M5』や『M6』は同じバイエルン州のディンゴルフィング工場で生産されている。
我々がつい思いがちな「M社」が『Mモデル』を直接製造しているという認識は正しくなく、新車関連でいえば、「BMWインディビデュアル」とよばれるビスポーク(オーダーメイド)モデルの生産が「M社」の担当となる。これは従来どおりガルヒングにある「M社」のファクトリー内で実作業を行なっているのだ。
ちなみに「アルピナ」がドイツ自動車登録局に自動車メーカーとして正式に登録されたのは1983年。日本に「アルピナ」を広めた現在の正規インポーター、「ニコル・オートモビルズ」が日本への輸入業務を正式に開始したのはそれよりも1年早い1982年のことだった。
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