マークXの生産終了が秒読み段階に入っている、という情報を聞いて、まさに栄枯盛衰、思わずしんみりしたクルマ好きも多いのではないだろうか?
たしかに、2017年のマークXの販売台数は、1年間でわずか8460台。月間平均約700台にまで落ち込んだ。トヨタ車の中では販売劣等生で、これでは生産終了となっても仕方ないかもしれない。ただ50代以上のクルマ好きは、こうした現状を前にして「昔のマークIIは売れまくっていたのに……」と嘆いているのではないか。
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ということで、かつてのマークIIはどれほど売れていたのか? 50代以上のクルマ好きにとっては一番印象深いと思われる、X70系(GX71)と言われるマークII、チェイサー、クレスタを懐かしみながら、なぜ売れたのか、どれほど売れたのか? 当時の新車販売台数とともに、モータージャーナリストの清水草一氏が解説する!
文/清水草一
写真/ベストカーWeb編集部
■まさに時代の寵児だったマークII三兄弟
中年以上のオッサンならば、1980年代のハイソカーブームを覚えていることだろう。ハイソカーとは、「ハイソサエティ・カー」の略。つまりの上流階級のクルマという意味で、自ら名乗るのはあまりにも恥ずかしいネーミングだが、当時は日本経済が天井知らずの上昇を見せていた時代で、多くの国民が物質的な豊かさを追い求め、「ちょっとでも上級のものを!」と血マナコになっていた。
なかでもクルマは、物質文明の象徴的存在。みんな少しでもいいクルマに乗りたがっていたから、「ハイソカー」という恥ずかしいネーミングも、実に誇らしいものだった。
1970年代までの日本は、高度成長期とは言っても、「ゼイタクは敵」的な戦前的価値観がまだ根強く、隣近所の目は厳しかった。そんな横並び一億総中流社会のなか、ゴージャスな香りのするクルマに乗るのは、かなりイケナイことだったが、1980年代、そのシバリがついに大きくゆるんだのである。
ハイソカーブームの火付け役となったのは、1981年に登場した超ゴージャスな(※当時の価値観です)2ドアクーペ、トヨタ・ソアラだったが、ソアラはあくまで憧れの頂点。販売台数から見て爆発的なヒットとなったのは、それよりはややお求めやすい価格の4ドアハードトップ、マークII/チェイサー/クレスタの、いわゆる「マークII三兄弟」だった。
■腰が抜けるほど売れていたマークII三兄弟
マークII三兄弟人気に火がついたのは、マークIIで言うところの4代目(1980年登場のX60系)からで、5代目(1984年登場のX70系)で決定的になった。
マークII三兄弟(X70系)の販売台数を見ると、腰が抜けそうになる。販売されていた1984年8月~1988年7月、4年間計48カ月で、合計(セダンも含む)約115万台。月間平均だと約2万4000台も売れたのだ! 昨年、登録車で一番売れたプリウスが月平均1万3000台ちょっとだから、その2倍近くってことになる。
X70系最後の年に当たる1988年の年間販売台数ランキング(登録車)は次のようなものでした。
1位:カローラ 27万5019台
2位:マークII 19万3282台
3位:シビック 17万1270台
4位:クラウン 16万536台
5位:カリーナ 15万2942台
車名別販売台数ランキングで、マークIIが2位ですよ2位。ハイソカーに数えてもいいクラウンも4位に食い込んでいる。
このページの最後にこの4年間の新車販売台数を掲載しているのでぜひ見てほしい。
月販台数を見ると、(三兄弟のなかで)一番売れたマークIIで、一番売れた月は1987年3月の2万5514台! なんとこの月は、マークIIが2万5514台、チェイサーが1万11556台、クレスタが7523台の三兄弟の合計で4万4593台を売り上げている! セダンがこんなに売れるんなんて今ならば到底考えられない!
それから29年後の2017年には、こうなりました……。
1位:プリウス 16万912台
2位:ノート 13万8905台
3位:アクア 13万1615台
4位:C-HR 11万7299台
5位:フリード 10万4405台
ほとんどハイブリッドカーのランキングみたいですね。
ちなみに昨年のマークXの販売台数は、わずか8460台。月間平均約700台にまで落ち込んだ。1988年の20分の1以下である。
■マークII三兄弟がこんなに売れた訳
というわけで、ハイソカーブームの主役だったマークII三兄弟(X70系)は売れに売れたのだが、その人気の要因は、主に3つあったと私は考えている。
●その1 直線基調の、クリーンで、ちょっとスポーティな4ドアハードトップのスタイリング
乗用車のフォルムは、基本的には丸っこいもので、直線基調は本来、トラックやバスなどの働くクルマのものだが、日本人はクリーンな直線基調が大好き。和箪笥や障子など、家具や屋内の調度品もみんな直線基調でしょ。桂離宮とかも。ロココ調のグニョッとした優美な曲線とは真逆ですね。
マークII三兄弟(X70系)のスタイリングは、そんな日本人の美意識にピッタンコはまったのだ。加えて、「実用的な4ドアだけど、ちょっとスポーティなハードトップ」という、ちょうどいい感じもバカウケした。
当時、スポーティであること=カッコいいものだったが、スポーティ=ゼイタク=悪でもあったので、ある程度の実用性(=美徳)を持つ4ドアハードトップは、ゼイタクと美徳とのバランス点として、ベストだったのである。
●その2 ボディカラーのスーパーホワイト
当時、日本人が好きな色は、ダントツで白。今でもトップではあるけれど、昔はもっと白志向は強かった。
そんな白崇拝のニッポンに、トヨタの「スーパーホワイト」が降臨したのは、81年発表の初代ソアラからだ。
それまで、クルマのボディカラーの「白」というのは、ちょっとアイボリーがかったものだったが、トヨタのスーパーホワイトは、本当の真っ白――純白だった。当時19歳の学生だった私も、白いソアラには「うわ、まぶしいっ!」と激しい衝撃を受けました。それはもう、自分の心が真っ白に浄化されるような白でした……。
日本人が断然一番好きな色である「白」。クルマのボディカラーでも、白が圧倒的な人気だったが、その白に革命が起きたのである。白いソアラは、国民全員(たぶん)の憧れとなった。
初代ソアラで初採用されたスーパーホワイトは、遅れてマークII三兄弟にも採用された。言わばスーパーホワイトの微妙な大衆化。これに多くの国民が飛びついた!
この頃、スーパーマーケットなどの大きな駐車場に行くと、本当のホントに白いマークIIだらけで、自分のクルマがどれだかわからない、と真剣に言われたが、それでもみんな白いマークIIを競って買ったのだから、つまり日本人の横並び意識は、まだまだ根強かったのですね。
●その3 十分な動力性能
当時の日本人は、クルマに関してかなりのスペック至上主義。なかでも、わかりやすい馬力(最高出力)を重視した。今じゃ考えられないけど。
マークII三兄弟(X70系)の主力エンジンは、2L直6の1G-GEU。直6というだけでかなりゼイタクだったが、このエンジンは1気筒あたり4バルブのDOHC! 最高出力は160馬力を誇り、ライバルである日産のL型やVG型を寄せ付けなかった。
実際の1G-GEUは、高回転化によって低速トルクが細くなっていたが、当時はそんなことよりスペックが大事で、実用性能はあまり問題とされなかった。
1985年には、これに2個のターボを装着した日本車初のツインカム・ツインターボ(2Lで185馬力)、1GーGTEUも登場。当時サラリーマンだった私は、誰かの(忘れた)クレスタターボに乗せてもらって、あまりの加速に「シートに背中が押し付けられる~~~~!」とビックリ仰天しました。「ツインカム・ツインターボ」というなんでもアリの満艦飾感も、オーナーの優越感を激しく刺激した。
というわけで、マークII三兄弟(X70系)は、当時のハイテクカーであり、時代のほぼ先端という感じだった。それが世情と見事にマッチしたと言える。
ちなみに、友人の父親がこの世代のチェイサーに乗っていて、それに乗せてもらったこともあるのですが、残念なことに1.8L直4仕様。私はつい「これ、1.8じゃんか!」とバカにしてしました。ごめんなさい。今じゃ考えられないけど、当時はそういう空気感だったんです。
実際には、4発のマークIIもけっこういたわけですが、一見見分けはつかなかったので、とにかく「マークII三兄弟ならすべて善し」でした。
このようにして、時代の勝利者となったマークII三兄弟(X70系)。その大勝利は、続くX80系でも継続され、販売台数はさらに上向いたが、クルマそのものは完全なキープコンセプトで、時代の先駆け感はなく、輝きは落ちていた。
つまり、X80系の販売台数がさらに増えたのは、バブルの頂点へと向かう超好景気による部分が大。ハイソカーと言えば、X70系にトドメを刺すと言っていいだろう。
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