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【星野一義】1980年代「強力なライバルがひしめく中、トップドライバーの座を不動のものに」【日本一速い男の半生記(4)】

「日本一速い男」と呼ばれ、かの元F1ドライバーE・アーバインをして「日本にはホシノがいる」と言わしめた「星野一義」。通算133勝、21の4輪タイトルを獲得した稀代のレーシングドライバーの50有余年に渡る闘魂の軌跡を追う。(「星野一義 FANBOOK」より。文:小松信夫/写真:SAN’S、モーターマガジン社)*タイトル写真はマーチ 79Bニッサンで参戦し優勝。この年、FPで3勝してチャンピオンを獲得する(1981年5月10日全日本FP選手権Rd3レース・ド・ニッポン筑波)。

中嶋 悟がチームメイトに
70年代末から80年代にかけては、星野が30歳を越えて成熟した走りを見せるようになった時期。同時に強力なライバルとしのぎを削っていた時期でもある。ベテラン・高橋国光の速さは衰えていなかったし、長谷見昌弘、松本恵二といった同世代のドライバーも侮れない力を見せていた。

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さらに星野に続いてヒーローズレーシングに加入した後輩・中嶋悟や、続々と日本にやって来たG・リースをはじめとする外国人ドライバーたち…。星野はそんな状況の中、1979年~83年と5年連続でF2シリーズ2位と、速さを見せながら、一歩タイトルに手が届かない。

富士GCでも、79年以降は苦戦が続き、なかなか勝ち星を挙げられなかった。しかし、82年は最終戦でのシーズン初勝利によって久々のタイトルを手にして、その速さが衰えていないことを証明する。

また、この時期並行して参戦していた、F2とF3の中間的なマシンで争われていた全日本FP(フォーミュラパシフィック)でも、81年~82年に連続チャンピオンを獲得する。しかし82年限りで全日本FPシリーズは消滅してしまうのだった。

80年代初頭、スーパーシルエットで一躍脚光を浴びる
そんな80年代初頭にあって、星野の参加するレースの中で最も注目を集めていたのが、富士スーパーシルエットレースだった。富士GCのサポートレースのひとつで、フェアレディZやサバンナRX-3といった大排気量マシンが戦っていたスーパーツーリングレースに代わって79年にスタート。

当時のヨーロッパを中心に盛り上がっていたグループ5規定の市販GTカーの大改造マシン、ポルシェ935に代表されるいわゆる「シルエットフォーミュラ」によるレースだ。当初はスーパーツーリングマシンがそのまま走っていたが、このレースに日産はいち早く注目して、海外レース向けに開発していたバイオレットターボを送り込む。

さらにトムスがドイツのシュニッツアー製のセリカLBターボを持ち込んだのをはじめ、オートビューレックのBMW・M1、国内のチューナーが手掛けるRX-7ベースのマシンなど、戦闘力の高いマシンが参加するようになると、次第に人気が高まっていった。

星野は当初から、この富士スーパーシルエットレースに参加していたわけではなく、81年からシルビアターボで参戦。それ以前のシルエットフォーミュラでのレース経験は、80年にシルビアでマカオGPのスーパーサルーンレースを走ったくらいだった。

そして82年になると、日産が2台の新型シルエットフォーミュラをこのレースにデビューさせる。DRスカイラインに長谷見昌弘、910ブルーバードに柳田春人。これにS110シルビアの星野を加えて、「日産ターボ軍団」として人気を集める。

3車それぞれに、いかにもシルエットフォーミュラらしいド派手なエアロパーツが目立つルックスに加えて、パイプフレームによるレーシングカー的な構造の車体、そして強力なLZ20Bターボエンジンを活かした豪快な加速、盛大にバックファイアーを吐きながら走る印象的な姿によって、レースファン以外からも注目を集めるようになっていく。

星野とシルビアターボは、F2やGCでの鬱憤を晴らすかのような走りを見せ、デビューした82年にいきなりシリーズチャンピオンとなる。翌年シーズンには、市販車のシルビアがモデルチェンジしたのに合わせて、新型のSスタイルにリファインされたマシンでも、シリーズ2位を獲得する。

その後、国際的なレースレギュレーションの変更などの影響で、83年で富士スーパーシルエットのシリーズ戦が終わり、スポット開催されたスーパーシルエットレースも84年限りで終了。

足掛け3年の短期間で日産ターボ軍団は姿を消すことになったが、多くのレースファンに強い印象を残すことになった。そしてこの日産シルエットマシンたちが、84年のNISMO設立のきっかけとなり、日産のグループCマシンでのレース活動、そしてこの後の星野のレース人生にも大きな影響を残したのは間違いないだろう。(次回に続く)

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