父が所有していたテスタロッサ
1988年の英国でフェラーリへ試乗することは、タイムトラベルのような、今以上に特別なものだった。マクラーレン以外のメーカーが、F1グランプリで優勝できることを実感するものでもあった。不可能を可能にするブランドだった。
【画像】フェラーリ・テスタロッサ 同時代のランボルギーニ・カウンタックとディアブロも 全125枚
20世紀の英国で、フェラーリを輸入していたのがインチケープ・ドッドウェル社という大手の貿易企業。当時の広報担当者は、可能な限り自動車メディアから自社の輸入製品を遠ざけるよう、努力していたように記憶している。
1980年代中頃のフラッグシップ・モデルとして、テスタロッサは1984年に発売された。だが、英国編集部が試乗できたのは4年後の1988年。5.0L水平対向12気筒エンジンを直接味わうまでに、新鮮味は薄れてしまっていた。
テスタロッサの評価は、必ずしも優れているとはいえなかった。先代のベルリネッタ・ボクサー、512BBiより速かったが、スタイリングはそれ以上に美しいとはいえなかった。ドライバーとの一体感も薄れてしまったと、紙面には書かれている。
わたしは、その1988年の6月にAUTOCARへ入社した。だが上司は、正しい人事の判断ではなかったと考えていた。自分の名前が紙面に載ることはなく、筆者もやる気を少し失っていた。
AUTOCARにとって、筆者が大切な存在であると確信を抱いてもらうための、結果が必要だった。そこで、フェラーリが大きな役目を果たした。父はテスタロッサを所有していたのだ。
細かいところまで記憶に残っている
父も状況を理解していたため、相談してみると英国編集部にテスタロッサを貸してくれた。そこで組まれた企画がランチア・デルタ・インテグラーレとの比較試乗だったが、もちろん筆者は、記事の執筆をしていない。
少なくとも取材時は、2台のステアリングホイールを握り、どちらもクラッシュさせなかった。このイタリア製スーパーカーには借りがある。
それから数十年が経ち、偶然にも英国編集部のスタッフが1台のテスタロッサをクラシックカー売買のウェブサイトで発見した。前オーナーの名前は間違いなく父だったが、筆者にはとても手の届かない金額で売られていた。
取材からしばらくして、父は英国のグレイポール社というフェラーリ・ディーラーへテスタロッサを売却。ある男性が買い取り、25年ほどコレクションとして飾っていたという。走行距離は1万3000kmほど。その殆どを、父が走らせてきた。
筆者が父の真っ赤なフェラーリを目にしたのは、1988年が最後だ。そして再び、グレイポール社へ戻ってきたらしい。数時間でいいのでAUTOCARへ貸して欲しいと尋ねてみると、快く応じてくれた。
久しぶりにテスタロッサと対面する。筆者が実際にステアリングホイールを握ったことのある、唯一で、そのもののクルマだ。細かいところまで、面白いほど記憶に残っていた。
実は比較的コンパクトなボディサイズ
ボディの横へ近づくと、サイド・エアインテークに隠されたドアハンドルへ自然と腕が伸びる。ボンネットとエンジンカバーを開くことも、チルトだけするステアリングホイールの位置調整も、ハンドブレーキのリリースも、考えずにできた。
新車当時は、テスタロッサは全幅が広すぎて乗りにくいという批判が挙がった。ところが実際は1980mmで、フェラーリ458イタリアと大きくは違わない。実際に乗ってみれば、さほど不満は感じられないはず。
全長は4500mmで、ミドシップ・スーパーカーの割にボディサイズは比較的コンパクト。運転席からの前方視界も良い。ステアリングは良く切れるし、荷室空間も想像以上に大きい。見た目からイメージするより、普段使いしやすい。
キーをひねると、ボッシュ社製の機械式インジェクションが、12本のシリンダーへガソリンを供給しだす。滑らかに回転し始める。
トランスミッションのフルードが冷えている時は、ゆっくりダブルクラッチを踏んで2速を選ぶ必要がある。あるいは、飛ばすか。
レイアウトとしては水平対向12気筒だが、向かい合うピストンは同じ方向に動くため、ボクサーユニットというわけではない。バンク角が180度の、V型12気筒と説明した方が正しい。
排気量が5.0Lもある、オーバーヘッドカムの48バルブ・ユニットだが、最高出力は英国仕様で390ps。排気量が1.3L多いF12ベルリネッタと比較すると、馬力は半分程度でしかない。
この続きは後編にて。
複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!
愛車を賢く売却して、購入資金にしませんか?
複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!
愛車を賢く売却して、購入資金にしませんか?
愛車管理はマイカーページで!
登録してお得なクーポンを獲得しよう
みんなのコメント
シャープでグラマスで低い。
白人だから似合うとも感じた。
車も、戦闘機も、なぜかアジア地域の国民には、カッコよく見えない。