容姿からは想像し得ないエネルギッシュさ
短いトンネルへ差し掛かる。小さなクルマが、散弾銃のような爆音を反響させる。こんな陽気にも関わらず、近隣のビルへ閉じこもって働くサラリーマンの耳にも、届いていることだろう。
【画像】オイルクーラーむき出し NSU 1000 TTS シムカ1000と同時代のスポーツ 最終TT RSも 全133枚
車内には、開いた窓から排気ガスの煙が流れてくる。ブラック・ビニールのインテリアが、陽光で照らされ熱を帯びている。NSU 1000 TTSのアクセルペダルを徐々に傾ける。僅かなくすぶりを経て、さらに数mm傾けると、弾けるような加速が始まる。
何度も繰り返したくなる、悦に入る体験だ。これで最後にしよう、と頭の中では考えるが、体が無意識に動いてしまう。チャーミングな容姿からは想像し得ない、エネルギッシュさだ。
オレンジ色の1000 TTSを記録に残そうと、路肩で見物する人がスマートフォンを向ける。接近すると、想像以上の轟音に誰もが驚く様子を隠さない。
筆者のサーモンピンクのシャツは、汗でずぶ濡れ。写真撮影のために10分ほど窓を閉めて走らせたが、真夏にボイラーの前にいるような、酷い時間だった。
出発した場所を正確には記せないが、ポルトガル・リスボン郊外にある工業地帯の一角。といっても、周辺で労働に励んでいる人には、サウンドで気づかれているに違いない。
1000 TTSのオーナーは、マヌエル・フェラオン氏。世界で最も素敵な紳士コンテストがあったら、きっと彼は上位に入賞するだろう。熱心なカーコレクターで、フェラーリやアストンマーチン、マセラティなどを複数台所有している。
1960年代のジャイアントキラー
ACコブラ 427にフォードGT40、ロータスやローラのレーシングカー、グループB時代のラリーマシン、数え切れないほどのアバルトも、彼のガレージへ美しく並んでいる。そんな素晴らしい建物の入口側に、オレンジ色のNSUが停まっていた。
見事なコレクションのなかで、エキゾチックさでは上位にランクインしないかもしれない。それでも、ドイツ生まれのアバルト的な存在感を、強烈に放っている。近年では多くの人の記憶から消え、話題に登る機会も限定的だが、称えるべき価値はあると思う。
1000 TTSは、1960年代のジャイアントキラーといえた。レーシングカー然としていないスタイリングでありながら、参戦規定を満たすために作られたホモロゲーション・マシンでもあった。
ベースを遡ると、1961年に発売されたNSU プリンツ4へ辿り着く。リアエンジンの小さな2ドアサルーンで、1000 TTSはその最終進化形といえた。
当初、プリンツ4のリアアクスル直上に載ったエンジンは、598ccの空冷直列2気筒。シングルだが、オーバーヘッド・カム(SOHC)のヘッドが自慢だった。
1962年になると、NSUはホイールベースを延長した直列4気筒エンジン仕様を投入。フロントとリアのデザインへ手を加え、プリンツ1000としてラインナップを拡充する。
リアに搭載された1.0Lエンジンは同じく空冷で、45度傾けられていた。アルミ製のSOHCヘッドが組まれ、高い回転域まで躊躇なく吹け上がる個性を備えていた。
そのまますぐに競技へ出られるNSU
1965年には、スポーティな1000 TTが登場。排気量は1085ccへ拡大され、最高速度は148km/hが主張された。丸目4灯のヘッドライトに黒のストライプ、クロームメッキのTTエンブレム、開閉可能なリアウインドウなど、見た目での違いも明らかだった。
1969年になると、1177ccへ排気量を増やした1200 TTへ進化。強化バルブスプリングとツインキャブレターなどでチューニングされ、0-97km/h加速13.0秒、最高速度160km/hという能力が与えられた。実際の試乗テストでは、そこへ届かなかったが。
同じ1969年、NSUはフォルクスワーゲン傘下へ買収されるが、1200 TTは1972年まで生産が続いた。ロータリー・エンジンのサルーン、Ro80を提供するなど、技術的な特徴を持つメーカーといえたが、1977年以降は同社による量産車は提供されていない。
古いクルマ好きの記憶には残っているかもしれないが、NSUはサーキットやラリーでも確かな成功を残してきた。現在のアウディの一翼を担っていることを、ご存じの方もいらっしゃると思う。
今回の主役、1000 TTSが発表されたのは1967年。当時のAUTOCARは、「そのまますぐに競技へ出られる、インスタント・ラリーカーに属するといえます。ドライバーが必要とするものが、すべて搭載されています」。と紹介している。
もちろん、誇張などではなかった。排気量1.0L以下クラスのグループ2へ合致するよう、シリンダーのボアが69mm、ストロークが66mmへ改められた、996ccの4気筒エンジンを積んでいた。
オプションを盛り込めば100psに届いた
4気筒のヘッドはSOHCのままながら、タイミングが改められ高回転域でパワーアップ。圧縮比は10.5:1と驚くほど高く、専用の鍛造ピストンが組まれた。
長いスワンネック・マニフォールドを介して燃料を供給したのは、2基のソレックス社製ツインチョーク・キャブレター。ベース仕様の最高出力は84ps/6150rpmと、驚くほどではなかったが、NSUは複数のギア比を設定していた。
エンジンに用意されたオプションは、太いスポーツ・エグゾーストにラムパイプ、大容量のキャブレタージェット、強化デスビや高性能プラグなど。すべてのアイテムを盛り込むことで、最高出力は100psに届いたという。
サスペンションは、形式としては通常のTTと大差なかった。フロントがウイッシュボーン式、リアがスイングアスクル式で、コイルスプリングとダンパーという構成。それでも、明確なネガティブ・キャンバーと強めの減衰力が与えられていた。
スチール製の大径ドラムブレーキと、大容量の燃料タンクを指定することも可能だった。スチールホイールもワイド。余計なホールキャップは備わらず、ドーム状のホイールナットで固定された。
1000 TTSの生産数は2402台で、1971年7月に廃盤となるが、モータースポーツでの活躍はしばらく続いた。ドイツレーシングカー選手権に向けて、1万rpm以上まで回る1.3Lユニットを積んだ例を開発したチームもあったようだ。
この続きは後編にて。
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