平成の自動車史に燦然と輝くライバル関係といえば、「ランエボVSインプレッサ」だろう。
ともに競技の世界をも席巻した三菱のランサーエボリューションとスバルのインプレッサWRXは、1992年の発売から2000年代に入ってもなお進化を続け、世界的に見ても高性能なコンペティションモデルとして多大な功績を残したことは今更言うまでもない。
今考えても、衝撃的な性能をもってデビューしたこの2台は、いったいどのようにして生まれたのか? 平成という、日本自動車史において最も輝いていた時代が終わろうとしているいま、そのなかでも最も強い輝きを放ったといえる代表車2台の背景を、お伝えします。
文:佐藤篤司
写真:編集部、SUBARU
ベストカー 2019年2月10日号
「ギャランではもう戦えない」 ランエボ登場のきっかけと事情
1980年代終盤から1990年代にかけてのWRC(世界ラリー選手権)では、フォード「エスコート・コスワース」、ランチア「デルタインテグラーレ」などの欧州勢と、三菱「ギャランVR-4」、トヨタ「セリカ GT-FOUR」、レオーネRXから主戦力の座を譲り受けたスバル「レガシィRS」などを中心とした日本勢がしのぎを削り合う、グループA全盛期だった。
そんな激戦のなかに身を置き、マシン開発の先頭を走っていたひとりのエンジニアがいた。当時、三菱で開発にあたっていた吉松広彰氏だが、彼は力をつけ始めた海外勢、特にランチアの強さを目の当たりにして「これからのラリーは4WDとコンパクトボディじゃなければ勝てない」と確信を抱いた。
すると即座に、セールスも好調でパフォーマンス面でも不足がなかったギャランVR-4であっても、「もう戦えない」と上層部を説得。直近の上司から「予算はとってやるが、人員はまわせない」と言われながらも、一部署の片隅で、たった3人で開発がスタート。「ギャランの製作グループからは白い目で見られながら徹夜の日々が続いた」という。
部品はすべてワンオフ、外装やフレームは板金屋に頼んで叩き出し。ベース車両は1991年11月にデビューした新型ミラージュ/ランサーで、もちろんギャランよりひと回り小さなボディサイズ。そこに2L直列4気筒ターボエンジン(4G63型)と4WDシステムというギャランVR-4のコンポーネンツを移植するという方法だ。
「開発期間は1年くらいしかなかった」という厳しい条件のなかで、エンジン出力はギャランに搭載されているものより10ps高い250ps。車重はギャランVR-4に比べ150kg以上も軽く、戦闘力の向上が図られた。だが「テスト中にそこら中が壊れまくって、とにかくトラブルのデパートのようだった」と吉松氏は振り返る。
さらに、車名決定でも多くの候補が出され、最終的に残ったのは「ランサー2000ターボ」や「レボリューション(革命、無から有を生み出すことなど)」、そして「エボリューション(進化、常識を否定すること)」といった候補だった。
そして1992年9月、ついに型式名〝E-CD9A〟の「ランサーエボリューション」、通称〝エボI〟のデビューを迎える。
だが、社内的には“所詮、追加モデル”ということで華々しい発表会もなく、広報資料のみでの発表という、いささか寂しい物だった。それでも「開発に携わった人々は誇らしい気分で満ちていた」と吉松氏は当時の思いを語る。
ところが、このマシンは全世界に大きな衝撃を与えた。ホモロゲーション取得のために売り出した限定2500台は3日で完売し、増産分を含めてトータル7000台を完売したのだ。
ランエボの“強敵”インプレッサ誕生の背景
しかし、そんなランエボIの船出に立ち塞がった存在こそ、同じ1992年に現われたスバル「インプレッサWRX」である。スバルのレガシィRSに代わるひと回り小さなマシンはWRC参戦車両として開発された最高性能モデルであったが、その成り立ちはランエボと少し違っていた。
1980年代の後半、スバルでは軽自動車と主力のレガシィの中間に大衆車の中心となる車両開発が始まっていた。この開発の中心にいたのが伊藤健氏だった。
「新車の開発の全権を委任されたような状態」と伊藤氏だが、目的はあくまでも大衆車開発。新たなモデルは当初、WRC参戦などという思いはなかった。開発当初はすでにレガシィでWRC参戦に向けて準備が続き、中心的存在ではあった。
一方で「開発が進むにつれ、小振りなクルマにレガシィのハイパワーターボエンジンを乗せたらどうなるだろうか?」というプランが浮かんできたという。実現すれば「一躍“ハイパワー車ありき”となり、大いに話題になる。プロジェクトの目玉ができる」と考えたという。
そんな思いを強くしたのは、このプロジェクトが始まってすぐ。伊藤氏は当時の五味部長とともに欧州ディストリビューター(卸売業者)を訪ねて意見交換を行い、ジュネーブモーターショーにも出かけた。
そこではレガシィのWRC参戦の発表会に立ち会い、それが終わるとイギリスのレーシングカーコンストラクター「プロドライブ」を訪れ、デビッド・リチャーズとデビット・ラップワースに会ったという。
その際、ラップワースにレガシィを前にして「本当はこのクルマで全長が150mm、ホイールベースが60mmくらい短いと最高なんだが……」と言われた。それはまさに開発を進めている「WRX」の寸法だった。「“今作っているよ!”と言いたかったが、そこでは言葉をのんだ」と伊藤氏。ふたりはWRXプロジェクトの大いなる可能性を確信して帰国したという。
そして、課題である冷却性能、駆動系やボディ剛性の強化、レガシィより短いエンジン前部に詰め込まなければならないインタークーラーの問題などを一つひとつクリアし、一般路からサーキット走行までこなせるほどのターボモデルを完成させた。
正式名称は開発時に便宜上使っていた通称のWRX=ワールド・ラリー・エックスを採用してデビューさせたのだ。
当初は互いを意識してなかった“エボ”と“インプ”
三菱 ランエボとスバル インプレッサWRX。結果としては伝説とも呼ばれるライバル関係が1992年から始まったわけだが、どちらも“より小さなボディにハイパワーエンジンと4WDを移植する”というコンセプトにおいては同じ。だが、その成り立ちには少しばかり差があったようだ。
以前、吉松氏と伊藤氏に同じ質問をしたことがある。「開発時にお互いの動きや情報を掴んではいなかったのですか?」である。
すると、どちらも「まったくわからなかった」と声を揃えて言うのである。三菱の吉松氏は「技術屋というのは外のことに疎くて、情報もほとんどなかったし、あまり関心もなかった。自分のプロジェクトに精一杯だった」という。
一方、スバルの伊藤氏によれば「クルマをまとめるに当たり、性能の目標数値を明確にする必要があり、コンペティターとしてクラスの違う日産のスカイラインGT-Rを定め、さっそくR32を購入して、あらゆる道路で乗り回した」という。
つまり、まったくランサーのことなど同クラスのライバルを想定もしていなかった訳だ。だが完成した2台は“時代が求めていたスポーツカー”だったということだけは明確だ。
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