さる2018年晩秋の北米ロサンゼルス・ショーにて、第8世代に当たる「992」シリーズへの移行がスタートしたポルシェ911は、言わずと知れた自動車史上最高の傑作スポーツカーである。
辛辣なジョークを好む英国人エンスージアストなどからは、今や世界的にも稀有となったリアエンジン・レイアウトに引っ掛けて「Wrong End(誤てる端っこ)」と揶揄されたりもするように、その設計思想は強烈なまでに個性的。しかし、ポルシェ911こそ機械工学的にも最も高度な思想の基に作られたクルマ、あるいは「パーフェクト」という言葉に最も近いスポーツカーであるはず、という見方も決して誤ったものとは言えない。
新型911に試乗──圧倒的に進化したタイプ992で実感したポルシェの自信
ポルシェ911のデビューは、1963年秋のフランクフルト・ショーにまで遡る。「901」と名付けられた小さなスポーツクーペがステージ上に現れた時、当時の識者の多くは先代モデルに当たる「356」シリーズとのコンセプト的な相似点を指摘し、その正常進化形と考えたものの、のちに半世紀を遥かに超える長命とドラスティックな進化を果たし、この「901」がかくも偉大なるスポーツカーへと成長を遂げることになるとは、恐らく開発作業を総轄したフェリー・ポルシェ博士、あるいは彼のスタッフを含めた誰ひとりとして想像し得なかったかもしれない。
ワールドプレミアの直後に、「901」の呼称が、仏・プジョー社の登録商標に抵触すると指摘されたことから、新たに「911」と改称された「901」は、まずフェリー・ポルシェ博士を最高責任者としてそのプロジェクトがはじまり、車両全体を総轄する主任エンジニアには、先行して開発されたレーシングカーの「904GTS」で成功を収めていたハンス・トマラ技師が抜擢されることになった。
トマラ技師の指揮のもと、車体設計は1930年にポルシェ研究所が創立されて以来、フェルディナンド・ポルシェ博士の右腕として活躍してきたエルヴィン・コメンダ博士がベテランとして参画し、内外装のデザインは、フェリーの長男で「ブッツィ」と愛称された若きデザイナー、フェルディナンド・アレグサンダー・ポルシェが担った。
そして、のちに名機として称賛される空冷ボクサー6気筒SOHC2リッターエンジンは、トマラ技師の指導のもと、「あの」フェルディナンド・ピエヒが線を引いたと言われている。ポルシェ博士の孫の一人であるピエヒ技師は、のちに「908」や「917」などのレーシング・プロトタイプでポルシェにモータースポーツの覇権をもたらしたのち、アウディに移っては「クワトロ」でオンロード4WDを提唱するとともに、3代目の「100」では、実用車のエアロダイナミクスに革命的進化をもたらした巨匠。また、2010年代初頭までは、最強の自動車メーカー経営者としても知られてきた人物である。
ところが、こんなきら星のごときレジェンド的エンジニアの面々が手がけ、生まれた瞬間から偉大な歴史を歩んだとしてもおかしくなかったはずのポルシェ911は、意外なことにその幕開けから致命的ともなりかねない深刻な局面に立たされたこともまた、有名なエピソードなのである。
1963年にデビューした最初期バージョンのポルシェ911は「Oシリーズ」と呼ばれる。2211mmという歴代911中最も短いホイールベースと、4.5Jのか細いホイールがアピアランス上の特徴だが、実はこの特徴こそが初期モデルに起こった災厄の一因となる。
このディメンションからも想像されるように、最初期型911の操縦性は非常にシャープで、一定のスイートスポットにハマれば、高度のロードホールディング性能と強大なトラクションを生かして素晴らしいハンドリングを見せる。ところが、件のスイートスポットが極めて狭いため、路面状況やドライバーのスキル、あるいはショックアブソーバーやブッシュの老朽化などの問題があれば、とたんに破綻をきたす。つまりは、オーバーステアに悩まされたのだ。
これは、リアエンドに重いエンジンやトランスミッションをぶら下げる「誤てる端っこ」のリアエンジン、リアドライブ(RR)車では往々にして起こりうることだった。だが、テストの段階では巧みな操縦者を得て操縦性の不満は出なかったという。ところが現実に、不特定多数のドライバーを対象とする商品として世に放たれると、危険なほどのトリッキーな操縦性に悩まされるドライバーが続出してしまった。また、生産工程での組み付け誤差や部品の経年劣化の問題などを重要視せず、サスペンション各部にもステアリングにも本来は必要な一定程度の「遊び」を深刻に考慮せずに設計を進めたトマラ技師やコメンダ博士の誤算もあった……、とも言われている。
とにもかくにも、操縦安定性とスタビリティの確保のために、とりあえずは車両前端に重量物を配置せねばならない。というのが、当時のポルシェ技術陣の出した回答だった。そこで窮余の策として、試行錯誤の上に選ばれたのは「バンパー補強材」と称する片側11kgに及ぶ鋳鉄製の重りを、フロント・バンパー左右の裏側に取り付けて前後の重量バランスを改善するという、世界的テクノロジー集団ポルシェとしては少々お粗末と言わざるを得ない選択だったのだ。
この問題に抜本的な解決を見るには、1969年モデルの「Bシリーズ」発表まで待たねばならなかった。このモデルからはホイールベースが2268mmにまで延長されるとともに、シリンダーブロックを従来のアルミニウム合金製よりもさらに軽量なマグネシウム合金製とするなどの大々的な改良を実施、後輪に懸かるウェイト比率は大幅に下げられることになる。
さらに、それまでノーズ左側にあったバッテリーを6Vずつ2分割してノーズ前端左右に配置した結果、デビュー以来、911の操安性をなんとか担保してきた22kgもの鉄の塊は、ようやくお役ご免となったのだ。
そしてそれは、フェリー・ポルシェやコメンダ博士など、ポルシェ博士とともにポルシェ研究所を設立して以来、同社のテクノロジーを支えてきた旧世代のエンジニアから、前述のピエヒや、のちに世界最強の「レン・シュポルト」たちを次々と送り出すことになるヘルムート・ポッド、ノルベルト・ジンガーなど、新世代のエンジニアへの世代交代が図られることをも意味していたのかもしれない。
1966年、失意のトマラ技師はポルシェを去り、後任のテクニカルマネージャーには若きピエヒが就任することになる。しかし、大きなミスこそ犯してしまったものの、稀代の名車911を主に手がけたのがトマラ技師であることに間違いはなく、その名誉は永遠に称えられて然るべきだろう。
加えて、21世紀の現代に至るポルシェの美風、すなわち、フルモデルチェンジやマイナーチェンジとは別に、必要とあらば細かい仕様変更や進化をつねにおこなっていく企業的スタンスは、既に開祖356の時代から萌芽を見せていたものの、そのスタイルが定着したことに、創成期の911の失敗が無縁だったとは思えない。
真の傑作が生まれるには、やはり人知れぬ辛苦があるということを、ポルシェ911のストーリーが如実に示しているのである。
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