今でこそディーゼルエンジンは広く認知されたばかりでなく、超高級車の一部からレーシングカーにまで搭載されて活躍しているが、こうなる前はどうだったかというと、若い人には想像もつかない別世界かもしれない。世の中はそれほど劇的に変わったので、ちょっくら、その直前の経験を語っておこう。TEXT:熊倉重春(KUMAKURA Shigeharu)
昨今、あちこちの観光地で、古い蒸気機関車を復元して走らせ、けっこう人気を集めているらしいが、私は、そんな特別列車に乗る気にはなれない。はっきり言って、汚いからだ。幼いころ、内房の保田まで海水浴に連れて行ってもらったことがあって、その列車は蒸気機関車に牽引されていたが、せっかく気分よく乗っていても、ともすると「トンネルだ、窓を閉めろ」の声が聞こえ、まだ冷房など備わっていなかった車内は炎熱地獄になってしまった。それをやらないと、白いシャツには点々と煤が付き、顔も脂っぽく黒ずんでしまうのだった。そういえば当時の列車のトイレは............まあ、これはディーゼルとは関係ないんで省略。
たとえて言うなら、1990年代までの自動車界におけるディーゼルエンジンは、鉄道における蒸気機関車に似ていた。まず黒煙モクモク。積み荷が重く、しかも上り坂だったりしてアクセルを大きく踏み込むと、途端に排気管から大量の黒煙を吐き出す。もちろん周囲の環境にも良くない。べつに全開でなくても、ちょっと加速するたびにモクモクやるから、排気管の出口周辺のボディやバンパーも真っ黒になる。あのころ日産バネットのディーゼル仕様を乗り回す経験もしたが、大袈裟ではなく、上り坂では煙幕製造機だった。自分が吐き出す黒煙のおかげで、ミラーに映る後続車がうっすら遠ざかってしまうのだった。
もちろん日産とて、わざとモクモクさせていたわけではない。列型とか放射状に小さなプランジャー・ポンプを並べた分配型で、限られた噴射圧の燃料をチョビチョビ噴射するだけでは、低い回転でアクセル開度が大きいと相対的に空気が足りなくなり、不完全燃焼を起こして濃い黒煙と煤を排出してしまうのだ。定期的にきっちりガバナーを調整してやれば状況は改善するが、だいたい2週間も放置すれば元の木阿弥だった。そういえば当時のオーストラリアでは、国道の長い上り坂の上で警官が目を光らせ、不透明な排気煙をまき散らしながら登ってくるトラックは一発で御用になったという。
奇妙なBGM
一般的なガソリンエンジンと区別しにくくなった最新のディーゼルエンジンだが、それでも冷間始動の直後など、どうしても独特の歌声が聞こえてしまうことが多い。1990年代までのディーゼルは、特に音によって、良くも悪くも目立っていた。要するに、喧しかった。
セルを回すところまでは同じだが、その先はガソリンと大違い。バリッ、バリバリッ、ガガ~ンと掛かったと思ったら、冷えているとカクンと停まって一からやり直し。それだけでディーゼルだと一目瞭然ならぬ一聴瞭然だったが、掛かったら掛かったでガラガラガラ......と内部の燃焼音というかノッキング音がむき出しだったし、走り出してもブ~ッとはいかず、まるで燃焼一発ごとに20~30cm進むかのような雑な響きを伴うのが普通だった。まるで旧式のミシンを思わせたが、場面によっては予想外の効果をもたらすこともあった。坦々と長距離を走り続けるドライビングと、たとえようもなく息の合うBGMになることもあった。
モクモク、ガラガラ、そしてワナワナ
走るうえでの問題は音ではなく、振動だった。走っていてもそうだが、停車中のワナワナが特に気に障った。
学生時代にアルバイトでいすゞベレル・ディーゼル(5ナンバー・フルサイズのドア・セダンにエルフのエンジンを積んだもの)を陸送したことがあるが、普通に3時間ほど走っただけで、振動でフェンダーミラーが左右ともうつむいてしまったのには閉口した。ミラーのカシメが弱かったのだが、左のフェンダミラーの角度を一発できちっと合わせるのに、えらく手こずった記憶がある。そういえば、それより少し前には、トヨペット・クラウン(まだトヨタ・クラウンになる前)のディーゼル仕様を使ったタクシー会社もあったが、あまりの震動のひどさのため、わざわざ運転手にディーゼル手当を支給したという。
この時代すでにプジョーやメルセデスも大威張りでディーゼル・セダンを作っていたが、たまに街で見かけるディーゼル・メルセデスの多くは排気出口のまわりを真っ黒に汚していたし、ボディパネルをブルブル震わせてもいた。多少なりとも静かなディーゼル・プジョーなど、フランスまで行っても見たこともない。
エンジンかけるのも一苦労
それよりも何よりも当時のディーゼルときたら、まず始動そのものが儀式だった。あのころはどんなエンジンでも、寒い朝に目覚めさせるのは一苦労だったが、ディーゼルの場合はこうだった。まず、キーを通常方向とは逆に回し、スプリングに逆らって基本的に10秒ほど、気温によっては30秒ほども、計器盤のパイロットランプが消灯するまでじっと待つ(あるいは、専用のボタンを押し続ける)。その手順をすませてから、おもむろにセルを回すのだが、ゴロゴロ............と掛かりかけても、寒いとガックンと停まってしまい、また最初からやり直さなければならない。
点火プラグによる火花着火ではなく、断熱圧縮で高温になった燃焼室内の空気に軽油を噴霧して自着火させるのがディーゼル。大げさに言えばノッキングの連続みたいなものだが、とにかく金属でできたエンジン本体が温まってくれなければ何も始まらない。そこで、グロープラグなるものが、まるで点火プラグのようにシリンダーヘッドに取り付けられ、仕込まれたニクロム線によってまず「予熱」することが第一歩だったのだが、いくら承知の上とはいえ、すでにガソリン・エンジンでの習慣が染みついていた私たちにとっては、じれったいことこのうえなかった。
そうは言っても
排気の色と臭気に煤煙、やかましい音、不快な振動、あれこれ必要な手間に加え、エンジン自体が嵩張って重いし、ガソリン・エンジンにくらべて高価とくれば、ディーゼルを選ぶ理由など何もなくなりそうだ。だから、なかなか乗用車用として普及しなかったのも当然だった。
それじゃナニかい、トラックやバスが全部ディーゼルなのは、どういうわけだいって開き直られると、困っちゃうんだよね。燃料の軽油がガソリンより大幅に安いからって言いたいところなんだが、軽油が安くないヨーロッパ諸国だってトラックもバスも片っ端からディーゼルどころか、もともと乗用車のディーゼル比率も高い。
それにはちゃんとワケがあって、実はディーゼルには、欠点を上回る大きな特長があったわけ。低回転トルクが非常に豊かなので、いったんトップギアに入れてしまえば、そのままずーっと走り続けられるから、はるか地平の彼方まで一気に行きたいドイツやフランスでは、大きな武器になったこと。しかも燃費がいいから、この特長がさらに強調されて、次の給油まで距離を稼げること。あらゆる熱機関の中で最高の効率を誇るのがディーゼルなのだ。
あのころ2代目マツダ・サバンナRX-7(FC3S)でドイツ、スイス、イタリアを6000kmほど駆け回ったことがある。180km/hのスピードリミッターを解除して現地に運び、最高速238km/hですっ飛ばしたのだが、燃費は3km/L以下に落ち込んでしまい、しばしば給油しなければならなくなったため、結局は同行車(メルセデス・ディーゼル)に先を譲る羽目に陥ってしまった。
まだある。1970年代の終わりには第2次石油危機が勃発して、やたら燃料経済性が叫ばれるようになり、日本のメーカーも片っ端からディーゼル仕様を売り出した。優美なスタイルで知られたいすゞ117クーペにもディーゼルが積まれたし、同じくスマートな三菱ギャランΣにもディーゼルが付け加えられた。可愛かったのはダイハツ・シャレードの「ロックン・ディーゼル」で、3気筒1Lのちっぽけなディーゼル・エンジンを懸命に唄わせながら、すばしこく飛び回っていた。
そんな束の間のディーゼル・ブームの中で、私の記憶に深く刻まれたのは、いすゞジェミニ・ディーゼルだった。当時のジェミニはGM(ジェネラルモーターズ)が提唱したワールドカー戦略の一翼を担う存在で、オペル・カデットの姉妹車として開発され、カローラよりやや大きいが5ナンバー枠に収まる軽快で素直なセダン&クーペだった。私が勤務していた自動車雑誌は、中身はどうあれ、表紙にポルシェ、ホンダ、そしてジェミニの写真を掲載すると売り上げが伸びた。そんなジェミニに、ディーゼルを特技とするいすゞのエンジンが載ったのだから、気にならないわけがない。
さっそくテストに引っ張り出したのだが、何より始動に手間がかからないのに驚いた。グロープラグへの電流を大幅に増やしたため、ほんの1秒か2秒で予熱が完了し、すぐガラガラと安定したアイドリングを始めるのだ。数字だけ見れば最高出力60psそこそこだったが、最大トルク11mkgを2000rpmかそれ以下で出すほど低速が力強かったし、噴射ノズルも改良を重ねられた結果か、ちょっとアクセルペダルに触れただけでグリッと吹けたので、どんな瞬間にもスパッと行けた。ただし、ジムカーナ的に振り回すと、どうにもノーズが重ったるい感触は拭えなかったが(基本的に同じエンジンを積んだ117クーペも同じ)。もちろんフローリアンにもディーゼルはあったが、こちらは無用の振動を打ち消すためか、リアサスペンションのリーフスプリングに煉瓦ほどもある巨大な鉄塊をぶらさげ、おおいに見た目を損なっていた。
ほかに、この時代のディーゼル乗用車としては、日産ローレル・ディーゼルにも親しく付き合ったことがある。LD28エンジンは素直な性格で、騒音も震動も許容の範囲内だったが、なぜかテストコースで最高速を測ろうとペースを上げると、てきめんにオーバーヒートの兆候を示した。こういう弱点を持つのは日本車ばかりではない。たまたまテストしたBMW540tdはケタ外れのパンチ力が印象に刺さったが、ヘアピンからの立ち上がりでイン側の駆動輪が激しく空転してもうもうと煙をあげ、ゴムの灼ける臭気がたちこめる一方、排気口周辺のボディパネルは煤で真っ黒になっていた。そういえば、私の勤務先の社長が愛用していたメルセデスの5気筒ディーゼルも、いつも排気口の周囲は煤だらけだった。
まあ、そんな時代を経て現在のようなコモンレール時代が到来し、一気にディーゼルがもてはやされたかと思いきや、今度はPM2.5などの騒ぎで逆風に出っくわし、うまい解決策を見出さなければ命脈を絶たれるかもしれないという、めまぐるしい歴史の流れが、私たちの目の前にある。
ところで、コモンレール・ディーゼルって、ボッシュでもマニエッティ・マレッリでもなく、30年ほど前にデンソーが編み出した技だって、知ってた?
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