1990年代に日本でも話題になった欧州製クーペを、モータージャーナリストの田中誠司がセレクト、モノ語る。
♪1993 恋をした oh 君に夢中 普通の女と思っていたけど Love 人違い oh そうじゃないよ いきなり恋してしまったよ 夏の日の君に~
新型フォードF-150がデビュー! 歴代初のハイブリッド車が登場
「class」という男性デュオがきらめくような恋愛を歌ったその夏にぼくはクルマの免許を取った。
バブル崩壊は日経平均株価が史上最高値を記録した1989年末に始まったとされているものの、1993年は、一般庶民の感覚としてはまだ浮かれ気分が残っていて、その数年後に就職氷河期なるものがやってくるなんて、ぼくの世代は誰ひとり想像していなかったと思う。
日本の自動車会社はこぞってクーペ・モデルをラインナップし、三菱「FTO」が1994~1995年の日本カー・オブ・ザ・イヤー(JCOTY)を受賞。急速な景気悪化で“遊びのためのクルマ”は衰退し、それから25年、クーペのJCOTY受賞はいまに至るまでない。
そのいっぽうで、1990年代は円高の影響から輸入車の価格が大幅に下がり、また全幅1700mm、排気量2.0リッターを超えたとたん自動車税が跳ね上がるローカル・ルールがあらためられたことで、突如日本で輸入車がポピュラーになった時期でもあった。
10代なかばから20代なかばを過ごした1990年代、自分にとって新車の輸入車は手の届く存在ではなかったが、2000年の終わりに中古輸入車雑誌『カーグラフィックUCG』を編集長として始めることになって、中古の輸入車は主たる飯のタネになった。本稿では5つの国からひとつずつ、印象に残ったモデルを紹介していく。
BMW・3シリーズ・クーぺ(E36)
1990年に登場した3世代目のBMW「3シリーズ」は、最初に4ドア・セダンが市場に投入された。丸いシールドビームがむき出しだったヘッドライトはカバーでおおわれ、ボディパネルの連携もスムーズになった、圧倒的にモダンなスタイリングが時代の速い移り変わりを示していた。
ただでさえスマートな1990年代の3シリーズは、1991年に2ドアの「3シリーズ・クーペ」をくわえる。車名にフランス語を語源とする“クーペ”とつけたのはBMWでは1960年代の「503クーペ」や「700クーペ」以来のこと。つまり2代目3シリーズや初代「6シリーズ」、初代「8シリーズ」は、公式には“クーペ”と呼ばれなかった。
別々に見ればセダンとクーペはドアの数が違うだけに見えたが、並べてよく観察すると金物のボディパネルはすべて別物。より低い重心とより少ない空気抵抗、そして、より均整の取れたスタイリングを実現するためコスト増を承知で新設計にしたのである。あえて“クーペ”と呼んだのには、単にセダンやカブリオレとの区別に留まらないこだわりがあったのだろう。
実際走らせた印象も、やはりわずかながらセダンとは違って、より低く構えて落ち着いたスポーツカーらしさを感じ取ることができた。価格もセダンより少し高く、1993年当時は忘れもしない税別385万円から。当時の日本車にないボディの剛性感や精密なサスペンションの動きは、若かったぼくをすっかり魅了した。
このクーペには、普通の3シリーズにない特別なパワートレインも用意されていた。「318isクーペ」に搭載されたエンジンは、排気量こそセダンとおなじ1.8リッターだが、DOHCヘッドが載せられていて、最高出力も115psから140psにまで大幅に高められていたのだ。
さらに、究極的なほどぼくを虜にしたのはMTの設定だ。当時、日本のBMWは超高額の“Mモデル”を除けばATしか選べなかったが、318isクーペには5段MT仕様(左ハンドルのみ)が用意されていたのだ。しっとりした上質なレザーに包まれたシフトノブを右手で握り、前後左右ともくっきりとしたゲートへ送り込む。数秒おきにそうした操作が楽しめるというだけで、もうたまらないエクスタシーなのだった。
クーペ・フィアット
イタリア人の日本におけるイメージというと、言葉にすれば「ピアチェーレ」(喜び)、「ブラビッシモ」(すごすぎる)、「ファンタスティコ」(すばらしい)みたいな、常に明るく楽天的な感じだろう。
しかしほんの少しのあいだフィアットの日本法人に勤めたぼくの印象だと、彼らの基本姿勢は「ノン」(ダメ)だ。
気難しい人は頑として動かないし、大学に入ったはいいが出られない。教育レベルや貧富の差が激しく、地域性がとても強いので産業の流動性も低い。
フェラーリは規模が小さいし、ブランド力があるから常に世界最先端を追求できるものの、フィアットは大規模ゆえに簡単にはモデルチェンジできず、「500」は14年も同じ構成で作り続けられている。
フィアットが1994年に前輪駆動の量産プラットフォームをベースに「クーペ・ フィアット」のような、見ても乗っても過激なクルマを作り上げたのは称賛すべきことだけれども、それは需要があったとしても後輪駆動でスポーツカーらしいスポーツカーを、求められるコストのなかでは作れなかったからだ、と、ぼくは想像する。
とはいうものの、ルールのなかでギリギリまで攻め、限界を追求するイタリア的美学は、クーペ・フィアットの他に類を見ない特徴を形成している。
フィアットの社内デザインチーム“チェントロ・スティーレ”の当時のディレクターはアメリカ人のクリス・バングルだった。のちにBMWでも先鋭的なデザインを送り出した彼は“鬼才”とも呼ばれるが、同業界のひとに言わせると自分で絵を描くより論戦に強いタイプだという。
イタリア人たちを率いてピニンファリーナに勝った提案は、前輪のはるか先までヘッドライト内蔵の巨大なボンネットをオーバーハングさせる一方で、リアをハイデッキとしつつ潔く断ち切り、前後フェンダーを走るカットライン以外はプレーンな構成。あえてアンバランスにすることでバランスを辛うじて保つ。
インテリアにはダッシュボードとドアトリムの中央にボディと同色のパネルを配した。この時代としてはレトロともいえるこの手法なしに、内外装デザインが調和することはなかっただろう。
パワーユニットは、最終型では直列5気筒ガソリンDOHCターボで220psと309Nmを発生、6段MTと組み合わせられた。前掛かりのプロファイルからも想像できるように、車重1310kgの前後軸への配分は68:32と、極端なフロント・ヘヴィーだ。
鮮烈なパワーと5気筒ユニット独特のサウンド、そして“ドッカン・ターボ”のわりにしっかりトラクションがかかることは覚えているが、それほどトリッキーなハンドリングだった記憶はない。トリノ人の調教が上手かったせいか、若かった自分が刺激に寛容だったせいか。
ジャガー・XKクーペ
©2020 Courtesy of RM Auctionsいわゆる“英国病”を経て1970~1980年代に崩壊したイギリスの自動車産業は、1990年代に入っても世界的な自動車メーカーの合従連衡の渦中にあった。1987年と1989年にフォードがアストン・マーティンとジャガーを、1994年にBMWがローバー・グループを買収。1998年にはベントレーとロールス・ロイスが分割されてそれぞれフォルクスワーゲンとBMWに売り渡された。
スポーツカーは大量生産車にくらべれば生産規模が小さい反面、ブランドイメージの発揚には大きな効果がある。それゆえ、英国のビッグネームを入手するや、海外の大メーカーはこぞってスポーツモデルを投入した。アストン・マーティンの「DB7」(1994年)、ローバーの「MGF」(1995年)、ロータスの「エリーゼ」(1995年)に続いたのが1996年登場のジャガーの「XK」である。
©2020 Courtesy of RM Auctionsそれまでの「XJS」から21年ぶりの刷新となる2ドア・クーペには、1940年代に登場し、のちにそのレーシング バージョンたる「Cタイプ」および「Dタイプ」がルマン24時間レースで通算5勝を上げた「XK120」から受け継いだ名が、ここぞとばかりに与えられた。
ロングノーズ・ショートデッキのプロファイルに、葉巻型フォーミュラを思わせるクロスセクションをかけ合わせたスタイリングは、英国車が輝いていた時代の名車「Eタイプ」を想起させる。
エンジンはフォードとの提携により生まれたばかりの“AJ-V8”で、ぼくが乗った2003年型「XK8」では可変バルブタイミング・システムが導入されて304psと421Nmを発生していた。上級版としてスーパーチャージャーを装着した406ps/553Nmの「XKR」が用意され、新車価格が100万円しか違わなかったこともあり、市場では後者のほうが人気だった。
スチール製ボディに、1960年代の基本設計で、1980年代の「XJ」サルーンでも使われていたものをベースとするフロント:ダブルウィッシュボーン、リア:ウィッシュボーンのサスペンションを組み合わせたシャシーは、当時の感覚からしてもちょっと古めかしさが目立ち、荒れた路面では乗員を容赦なく揺すぶったものだ。
しかし指1本分の操舵にも的確に反応するステアリング・ホイールと、スムーズなV型8気筒エンジン、ドライバーの意図通り変速する6段ATの組み合わせにはジャガーならではの繊細さがあり、派手なウッドと柔らかなレザーの織りなす豪華な内装との組み合わせには、ライバルメーカーにまったく引けを取らない魅力を感じたものだった。
キャデラック・エルドラド
おなじ1990年代、キャデラックは長く続いた繁栄の終焉を迎えようとしていた。ゼネラル・モーターズ(GM)が持つ数々のブランドの頂点に君臨したキャデラックは、巨大な前輪駆動Eプラットフォームをベースにミッドサイズセダンの「セヴィル」、フルサイズセダンの「ドヴィル」、パーソナルクーペの「エルドラド」を展開した。
“Eldorado”の名は南アメリカのアンデス地方に存在するとされた幻の黄金郷“El Dorado”から引用したもので、GMが50周年(ゴールデン ジュビリー)を迎えた1953年に初代モデルが誕生したことに由来する。
1992年に登場した12世代目が最後のエルドラドになった。多少丸みを帯びたものの、依然切り立ったノーズに伝統的なコの字型のリア・クオーター・ウィンドーと縦型テールランプが組み合わせられたスクエアなボディラインは、洗練されたバランス感覚を備えていた。
エンジンは登場当初こそ、古くパワーのないOHVが搭載されたが、すぐにDOHCヘッドを備える295ps/403Nmの新しい4.6リッター“ノーススター”V型8気筒ガソリン・エンジンに切り替わった。これと電子制御式ダンパーを持つ“スピード・センシティブ・サスペンション”の組み合わせは、この時代のキャデラック最後の切り札だった。
前述した“UCG”の長期テスト車として、ぼくは基本的におなじエンジンのセヴィルSLSに1年間乗っていた。ふくよかなトルクを持ち低回転ではふわりと穏やかに、高回転では波に乗って快活にまわるノーススターV8は燃費も街中7km/L、高速10km/Lと排気量の割に悪くなかった。
たっぷりエアの入ったタイヤに載せられた全長5.1mに及ぶエルドラドは、とにかくゆったりとまっすぐ走った。上質なレザーに包まれたドライバーズ・シートは、たっぷりしたサイズでどこも角張らない、隅々までソフトなタッチ。キャデラックはこの時代のクルマで、乗員を癒やす能力にもっとも長けていたんじゃないか? と、思う。
“古き良きアメリカ車”の終焉をどこに定義するかは人それぞれかもしれないが、後輪駆動の再導入などキャデラックがヨーロッパ化を図る直前の最終型エルドラドは、ひとつのマイルストーンとして近代的なアメリカ車好きにはいまだに一定の支持を得ている。
プジョー・406クーペ
クーペ・フィアットとすれ違って、“あれはいったい何だ!” と、2度見する人は多いに違いない。しかしそれとおなじくらい、プジョー「406クーペ」のデザインがジンと胸にしみわたって忘れられない、という人も多いに違いない。
はっきりとした陰影の出ない、どこから見てもスムーズで、さりとて塊感がしっかりあるカタチが406クーペの特徴だ。いったいなにがそうさせていたのかいまだにはっきり説明できないが、量産車の一端であることを隠そうとしているわけではないのに、ほかのクルマたちとは別格の存在感を放っていた。
このクルマが新車として販売されていた当時は、ピニンファリーナが手掛けたプジョーとしては特別なデザインである、という以外の情報は明らかにされていなかった。しかし自動車デザイン業界の常で、しばらくすると内緒話が漏れ出てくる。406クーペを主に手掛けたデザイナーは、ダヴィデ・アルカンジェリという1970年生まれのイタリア人だった。
アルカンジェリは非常に若くして頭角をあらわし、地元リミニの芸術専門学校を卒業後ピニンファリーナのインターンとなり、すぐにデザイナーとして正式採用された。ホンダのコンセプトカー「アルジェント・ヴィーヴォ」(1995年)を手掛けたあとに生み出されたのが1997年発売の406クーペで、そのオリジナル・デザインは22歳のときの作品だという。
ほどなくしてアルカンジェリはクリス・バングルのBMWに引き抜かれ、彼はE60型(5代目)BMW「 5シリーズ」をデザインする。しかしその完成を見守ることなく、白血病と脳動脈瘤でこの世を去った。30歳の若さだった。1999年登場のフェラーリ「360モデナ」はほかのデザイナーの作品であるとされているが、1993年にアルカンジェリが筆をとったスケッチは、360モデナの特徴をすでによくあらわしていた。
日本仕様の406クーペは、190psの3.0リッターV型6気筒ガソリン・エンジンと4段ATの組み合わせのみ販売された。パワートレインはあくまで裏方ながら1.5トン少々のボディに充分なトルクを供給し、フロント:ストラット、リア:マルチリンクのサスペンションはストロークが深まるほどにダンピングのコシが強くなる。走らせても派手さはないが滋味深いクルマだった。
バングルのクーペ・フィアットがコンペをしたピニンファリーナ側のデザイナーは、アルカンジェリであったともいわれている。その手腕に敵ながら惚れ込んだバングルが、直後にBMWへ引き込んだというわけだ。ジョルジェット・ジュジャーロに比肩するほどの若き才能がもし生きながらえていたら、いったいどれほどの偉業が成し遂げられただろうと思うと、残念でならない。
文・田中誠司
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スタイリングが大好きで長年乗ってる愛車もコンパクトクーペだけどここに挙がらなくて残念です。