スターリング・モスが挑んだセブリング12時間
弱肉強食の社会にあって、番狂わせのような格下の勝利は、多くの人を興奮させる。今回ご紹介する真っ赤なバルケッタ、オスカMT4は、まさにそんなスポーツ・レーシングカーだった。
【画像】マセラティ兄弟が生んだオスカMT4 フィアット・オスカ1500Sとブランド最新モデルも 全82枚
これを生み出したのは、自身の名を冠したレーシングカー・ブランドをボローニャに立ち上げ、実業家のアドルフォ・オルシ氏へ売却したマセラティ兄弟。今から70年近く前のことだ。
オスカMT4(1954年/欧州仕様)
小さなバルケッタは、多くの勝利を収めてきた。なかでも特に有名なのは、フロリダ半島の中心に位置する、セブリング・インターナショナル・レースウェイでの好例イベント、セブリング12時間レースでの戦いだろう。
1954年、ツインカム・ヘッドを載せた1452ccの小さなイタリア製レーシングカーは、大西洋を渡った。そこには、ファクトリー・チーム態勢で参加するアストン マーティンやランチアのほか、フェラーリを持ち込んだプライベーターが大勢待ち構えていた。
MT4のステアリングホイールを握ったのは、アメリカ南部の太陽を求めた英国人ドライバー、スターリング・モス氏。大富豪のアメリカ人、ブリッグス・カニンガム氏を代表とし、義理の息子、ビル・ロイド氏とチームを組んだ。
周囲の人々は、MT4は相手にならないと考えていた。モスは、格下的状況を楽しんでいたようだ。ボローニャのマシンの強さを知らしめようと、心に誓ったのかもしれない。
MT4には弱点もあった。ブレーキは効きが弱く、クラッチにも不安があった。それでも優れた操縦性が上回り、モスも完成度を高く評価していた。
格上のランチアD24を抑えた劇的な勝利
大方の予想通り、レースをリードしたのは最高速度260km/hのランチアD24。だが、4時間を終えたところでスポーツ1500クラスのオスカも7位へ浮上していた。
日が傾き始めると、3.3L V6エンジンを搭載するランチアはメカニカル・トラブルに悩まされ始める。一方の白いオスカは、オレンジ色に染まるサーキットを走り続けた。
オスカMT4(1954年/欧州仕様)
太陽が沈むと、周囲は一気に肌寒くなった。暗い夜へ突入する頃には、オスカは完全にトップ争いに加わっていた。ブレーキは殆ど効かない状態だったが、スピードを落とさずコーナーを攻めるモスの走りに、1万4000人の観衆は歓喜した。
5周差のあったランチアD24だったが、終盤にエンジンが回転をやめコース上でストップ。オスカがスポーツ5000クラスのファクトリー・チームを捕まえるとは、スタート時点では誰も予想していなかったに違いない。
オスカがトップに立つものの、ジーノ・バレンツァーノ氏がドライブする別のランチアが追い上げる。ブレーキペダルがフロアに落ち、クラッチも故障していたが、モスは冷静さを失わなかった。
12時間の耐久レースで、劇的な勝利を収めたオスカ。これまでのモータースポーツ史を振り返っても、小さくないドラマだといえる。上位5位までにスポーツ1100クラスを含む、3台のオスカMT4が入賞するという圧倒ぶりだった。
モスとロイドは、かつてボーイングB-17爆撃機が出撃した飛行場跡地のサーキットを12時間で1404.9km走行。168周し、平均速度は115.8km/hだった。
小さな宝石のようなスポーツカー
これが偶然の勝利ではないと証明するため、翌年もオスカMT4はセブリング12時間へ出場。ロイドと手を組んだドライバーは、ジョージ・ハントゥーン氏だった。
結果、総勢80台が入り乱れたサーキットを最後まで生き抜き、総合7位という悪くない結果を残している。モスがドライブする、2.7Lエンジンのオースチン・ヒーレー100Sに次ぐ順位だ。
オスカMT4(1954年/欧州仕様)
輝かしい記録を刻んだシャシー番号1137のオスカは、フロリダ州のレブズ・インスティチュート博物館に保存されている。今でも多くの観客を集める、目玉の展示車両の1つだという。
「小さな宝石のようなクルマです。素晴らしい、小さなスポーツカーでした」。とモスは言葉を残している。後年、彼は自信のレースを振り返るように、オスカ1500 Sを購入した。
このセブリングでの番狂わせ的勝利に、筆者は幼い頃から夢中になってきた。1950年代に作られたスポーツ・レーシングカーをいつか運転したいと、夢に描いてきた。新車の頃から、英国では高価で珍しい存在だった。
そんなオスカMT4を、近年のミッレ・ミリアで走らせたのがアレクサンダー・フィシェ氏。イタリア車を心から愛する彼は、マセラティ兄弟が直接手掛けたクラシックを以前から切望していた。
1997年、素晴らしい経歴を持つMT4がロンドンのブルックス・オークションへ出品される。アレクサンダーにとって、シチリア島に20年ほど眠っていたオスカは、またとない魅力的な選択肢だった。
ル・マンやミッレ・ミリアにも参戦
シャシー番号1143のMT4-2ADというモデルで、フィアット由来のツインカムエンジンを搭載していた。1954年と1956年、1957年にはミッレ・ミリアで活躍しており、現代のクラシックカー・ロードレースにもうってつけだった。
生産は1954年4月。フランチェスコ・ジャルディーニ氏が最初のオーナーで、モスのMT4とは異なり、当初の排気量は1092ccと小さかった。初参戦のミッレ・ミリアは、クラッチの不具合でリタイアしている。
オスカMT4(1954年/欧州仕様)
めげない彼はツインスパークの1490ccエンジンに載せ替え、同年6月のル・マン24時間レースに出場。真っ赤なボディに42番のゼッケンを付けクラスをリードし、23時間が過ぎた時点で、総合7位を走っていた。
ところが、ジャルディーニはミュルザンヌ・コーナーでスピンアウト。惜しくもリタイアしてしまう。すぐにボディは修復され、カステルフサノ・ローマ6時間耐久レースへ参戦。総合2位でフィニッシュし、ようやくMT4の強さを証明した。
その後、MT4はフィレンツェに住むレーシングドライバーのアティリオ・ブランディ氏が購入。その資金で、マセラティのスポーツ・レーシングカー、A6GCSをジャルディーニは購入したようだ。
ブランディは1956年に1092ccエンジンへ戻し、ミッレ・ミリアへ出走。14時間48分というタイムで、1100ccクラスでの優勝を掴んだ。1958年と1961年には、シチリア島の伝説的な公道レース、タルガ・フローリオも走っている。
この続きは後編にて。
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