関東地方に残存する多くの城がそうであるように、かつての「牛久城」(茨城県牛久市)も豊臣秀吉軍の東国攻めによって開城され、関ヶ原の戦い後に廃城となっています。
しかし、このような城跡にも未だ戦国時代の防御施設の名残を見ることができ、歴史好きならずともワクワクすることでしょう。
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空堀や土塁を見て「この堀を登って攻めるのは相当難しいだろうな」、「この瞬間、上から弓を仕掛けられて終わりだな……」など、防御のためのつくりは独特の威風を感じさせ、歩いていると実際攻めにくい構造であることがわかります。
スーパーカブで「牛久城址」を訪れ、入り口に設置された解説板に目を通します。内容を要約すると次の通りです。
・天文後半(1550年頃)に岡見氏によって築造された。
・戦国期に築かれた東国の城の特徴を持ち、本丸がある城山には石垣や天守閣がない。
・小田原北条氏と佐竹氏との境目にあり、三方を沼に囲まれた平山に北条流の築城技術を取り入れて造られた、極めて頑強な城である。
・下妻の多賀谷氏により、岡見氏の有力支城「谷田部城」「足高城」は落城したが、牛久城は同盟する布川城の豊島氏や小金城の高木氏などの援軍を得て守り切った。
・天正18年(1590年)に、豊臣秀吉軍の東国攻めにより開城。
・その後由良国繁が城主となるが、関ヶ原合戦後の元和9年(1623年)に廃城となった。
現在は散策コースとしても整備されているので歩きやすくなっています。しばらく歩くといきなり深い堀の跡が見えてきました。当時の深さなのかは不明ですが、多くの城跡の堀跡が年月を経て低くなっているのに対して、ここは相当な深さの空堀として残存しています。そこに大量の竹が生えており、土塁も残され迫力満点です。
この堀沿いに歩いていくと腰郭(こしぐるわ:山の中腹に取り付いた形の平地)に向かって土橋がかかっています。さらに二の丸(郭)や三の丸があり見所が多いです。これだけしっかりと遺構が残っていますが、観光地としては知られていないようです。
解説板の縄張図(城郭の構造図)が劣化によりよく見えないのが残念ですが、あらかじめ構造を理解しながら歩くと、いろいろな発見があって面白いものです。
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