1919年にアンドレ・シトロエンが創業して100周年の節目を迎えたシトロエンは、今年1年を通じて、様々な記念イベントを行っているが、ヒストリック・シトロエンのオーナー向けのそれの会場として選ばれたのは、パリから西へ直線距離なら100kmほどに位置する、ラ・フェルテ・ヴィダムだ。シャルトルとル・マンとルーアンの中間、といっても分かりにくいが、限りなくノルマンディ地方に近いサントル地方の端っこの、高速道路を使っても正味2時間はかかるであろう、はっきりいって辺鄙なところだ。
今回、コンセルヴァトワールから特別に持ち寄られた、3台の2CVプロトタイプ。発見当時のままの姿に保たれている。そのラ・フェルテ・ヴィダムがどんなところか、簡単に説明してみよう。昔、地元の領主がルイ15世を迎えたという壮大なシャトーは、フランス革命で荒廃して久しい。その広大なドメーヌは19世紀以降、ことあるごとに売りに出され、20世紀に入ってその大部分をシトロエンの創業者であるアンドレ・シトロエンがテストコース用地として買い取った。理由は、まず公道が横切らない広大な私有地なので、秘密保持に向いていたこと。今日でも民間所有のドメーヌとしてフランスいち広大な面積を誇るとか。またパリから1時間強と近く西方に位置するため、朝パリを発って夕方に戻るのに、太陽を背にして走れる。つまり社員の労働環境面、安全とコンフォートが決定的だったという。
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「We are French」という近頃のシトロエンのキャッチフレーズを作ったコミュニケーション・マネージャーのアルノー・ベローニ氏。こうして1938年にテストコースが開設されて以来、すべてのシトロエンはここを走り込んで市販されてきた。とはいえシトロエン・オーナーにとって、ここが聖地である理由はそれだけではない。1994年にドメーヌ入口脇にある建物の屋根裏から、1939年秋のパリ・サロンでお披露目されるはずだった3台の2CV、限りなく市販版に近いプロトタイプが、戦後50年あまり経って、埃をかぶった状態で発見されたのだ。
なぜここに2CVは隠されていたのか? 一説によれば、1939年9月に勃発した第2次世界大戦の煽りでシトロエンは2CVの市販を見送っただけでなく、その優れた走破性と生産性、そしてすでにユーラシア大陸横断やアフリカ縦断を成し遂げたノウハウを、ナチスに利用されるのを恐れて隠した、とそういわれ、信じられている。実際、戦後ただちに大衆車モデルを出さなかったプジョーや、長らく公団だったルノーよりも、シトロエンが「ナショナルな」自動車メーカーとして広くフランスで受け止められているのは、「移動の自由をファシストから守った」という、その歴史にも拠るのだ。
ルラルのフードトラックは、当然ながらシトロエンH バンだ。とはいえ、革命で廃墟となったシャトー周辺に、進歩主義とアヴァンギャルドで鳴らしてきたシトロエンの車両がズラーっと居並ぶ様は、やはり穏やかならざるものというか、有り体にいってザワつかせるものがある。「闘って切り拓いてきた/いく」という、本来的には泥臭い共和国原理は、洗練やお洒落と相容れないはずなのだが、それを可能にするのがエスプリ、つまり頭回しの軽やかさ、だ。会場内には、フランス人が大好きなルイ・ド・フュネスの「サントロペ・シリーズ」のテーマ曲を軽快に流しながら、修道女と憲兵コスプレをしたメアリが巡回していた。お間抜けな憲兵少尉やスピード狂の修道女と事件を解決するというコメディ映画で、悪役の高級車を向こうに回して活躍するのがメアリや2CVだったのだ。
ちなみに意外にも、今回の100周年イベントの主催者は、公式にはシトロエンではない。数年前からシトロエンの各車種のオーナーズ・クラブを横串に連ねる団体であるアミカル・シトロエンを母体に、CCC(Célébration Centenaire Citroën、セレブラシオン・サントネール・シトロエンの略 )という100周年イベントの準備委員会的組織が立ち上げられ、メーカーとしてのシトロエンもそこに一員として参画しているのだ。確かに100周年の誕生日を祝ってもらうのに主役がど真ん中で威張っていたりでもしたら、そもそも格好がつかない。今も多くのファンを抱える成熟したブランドだからこそ、こうしたイニシアチブが可能な訳で、凡百の「自称ブランド」にはありえない枠組みといえる。
生ハムとサラミとトムと呼ばれるチーズそしてピクルスだけのサンドイッチが、恐ろしく味わい深い。デザートのアプリコットの自家製アイスは秒速で売り切れていた。訪れた人たちを楽しませるフランス人らしい数々の趣向イベント自体の仕切りも、一風変わったスマートなものだった。オンライン登録後に前日までに送られてきたのは、PDFの駐車証のみ。会場の手前のチェックポイントでこれをスマホで見せると、その先の道へ通され、シャトー周辺の会場で車種ごとに「ハイ、あっちね~」といった調子で仕分けされる。1961年式2CV AZLPに乗った筆者は、当然2CVのスペースへ。スペース内には年式ごとに停める場所が示され、旧>新の年代順に並べられる。あとは受付を済ませると、アクセス・バッジと駐車場所の地面をオイルで汚さないための保護シートが渡される。テストコースのほかは、ほぼ森林と池であるドメーヌ内の環境を守って集まる、という趣旨なのだ。
ミュージアムから持ち込んだ車を並べるのみならず、高さ十数mのミニチュアとはいえエッフェル塔まで立ててしまったシトロエン。会頭のスピーチで、シトロエンのゼネラルマネージャーを務めるリンダ・ジャクソン氏は、会場に集まったヒストリック・シトロエンのオーナーたちにはもちろん、イベントの準備にボランティアとして関わった人々に感謝の念を述べていた。後にインタビューしたところ、ジャクソンCEOは市販前のモデルに試乗するために2、3カ月に一度の割合で、ここのテストコースを訪れているのだとか。「シトロエンは、単なる快適性のみならず、車中での過ごしやすさ全般を特徴とするクルマです。ですから、その揺り籠といえるラ・フェルテ・ヴィダムに一般のオーナーを迎えられるのは、とてもよいこと。まさしく100周年という稀な機会で、これだけの規模でやれたからこそ、実現できたといえます」
シャトー正面の一等地はオーナーやクラブに譲って、ラ・フェルテ・ヴィダムの村寄りとはいえ隅に構えたシトロエンのオフィシャル・テントだったが、やはりそこにはサプライズがあった。1920年代にパリの夜を照らし続けた、「CITROËN」と縦にあしらった広告とエッフェル塔を、この地に再現してしまったのだ。
ルイ・ド・フュネスの映画「サントロペ・シリーズ」の憲兵隊コスプレをした、メアリとそのオーナー。ジャクソンCEOはこのエッフェル塔について、「アンドレ・シトロエンの時代に、10年以上もパリで続いた広告ですからね。でも今や本物でやる訳にはいかないでしょう? だからウチのマーケティングが発案して、やろうってことになったんです」
トラクシオン・アヴァンと木陰、そこでくつろぐ人。それだけでサマになってしまう。盛大な100周年イベントは今年、東京でも開催予定かくしてコミュニケーション・ディレクターのアルノー・ベローニ氏が言葉を継ぐ。
「もちろんこのエッフェル塔は、来場者がスマホで撮って写真をSNSにアップして、地球のあらゆる場所に拡散されることを望んでいますよ(笑)。広告宣伝でもアンドレ・シトロエンは天才的だったのは周知の通りで、もし今の時代に生きていたら、100%活用したであろうことは間違いありません。新車を買うためのクレジットローンや購入後のアフターサービスを考案発明したのも、彼であることは事実で、我々の歴史です。シトロエンがパリ生まれで、フランスらしい斬新な発想の自動車メーカーであることは、カタチあるメッセージというか伝えるべきコアなのです。その斬新さはクルマそのものにとどまらず、その周辺サービスやモビリティ全般に及んでいるのです。我々の100周年の目的は、ご存知のように今年1年を通じて、いろいろな場所でいろいろな方法で祝うこと。ですから秋には東京でも100周年イベントを催しますよ」
イベント会場に通じるメインストリートは当然、シトロエンで埋め尽くされていた。そしてシトロエンのブースで今回、公式ランチ・ケータリングを担当したのは、パリのレストラン「ルラル(カントリー風、の意味)」。サヴォワ地方で長らく3つ星を保ったシェフで、アルプス山中を歩いては自分で摘んだハーブを巧みに使うことで有名な、マルク・ヴェイラが率いる、知る人ぞ知るレストランだ。カントリーサイドに出ても、パリらしさと洗練を強調する、シトロエンらしい巧みきわまりないチョイスでもある。
子供の社会見学すら受け付けていた、今回のシトロエン100周年イベント。大衆車メーカーでありながら、高級車そこのけの上質さをナチュラルに醸し出す、シトロエンのそんなアドバンテージは、この「ピクニック偏差値」の異様な高さに表れている。時間をかけて質のいいものを理性的に追及する態度は、安近短で車中泊グルメを楽しむのとは、まったく対極にある世界かもしれない。次篇、最終回では会場内へ、足を運んでみる。
コヴェントリー生まれの英国人で、2014年からシトロエンのトップを務めるリンダ・ジャクソン氏。文と写真・南陽一浩 取材協力・プジョー・シトロエン・ジャポン
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