1990年代に登場した日本メーカーのスポーティなセダンを小川フミオが振り返る!
ドライブを楽しませることを目的に開発されたスポーティなクルマは、時を超えて魅力を発揮しつづける。いい例が、ここで紹介する1990年代登場の日本のセダンだ。
SUVとか4ドア・クーペといったジャンルが生まれるまで、セダンをスポーティに仕立てたモデルの人気は高かった。いまも、ドイツ車や日本ならレクサスが、走りの楽しいセダンの開発に勤しんでいる。当時はさらにバリエーションがゆたかだった。
とりわけ、1990年代のそうしたクルマは、ぜいたくに作られている。開発着手が、いわゆるバブル経済期だったモデルが多かったせいだろうか。大排気量のマルチシリンダー(6気筒以上の多気筒)エンジンや、電子制御のサスペンションシステムやシャシーコントロールなど、凝ったメカニズムを搭載していた。
メーカーはモータースポーツにも熱心だったせいで、走りが楽しいモデルも少なくない。ようするに、セダンという車型のなかに、あらゆる楽しさが見出せた時代なのだ。
絵画も音楽もファッションも、ゆたかな時代にいい作品が生まれるのは世の常。クルマも同様だ。1990年代に生まれたスポーティセダンには、各メーカーの主張が込められている。それゆえ、いま各モデルを通観してみると、いい時代だったなあと思う。
(1)トヨタ「アリスト」(2代目)
1991年デビューの初代「アリスト」はクラウンをもとにしながら、スポーティに振った高級セダンという独自の立ち位置を確立した。1997年の2代目は同じ路線を継承しつつ、市場で評価の高かった部分に”磨き”をかけた。
「2ウェイツインセラミックターボ」を備えた直列6気筒エンジン(2JZ-GTE)がトップモデルに用意されていたのも、初代とおなじといえばおなじ。行政指導にもとづいたメーカーの“自主規制値”である280psの最高出力も変わらなかったものの、最大トルクは431Nmから451Nmへ向上した。
カーブでのコーナリングを安定させるためブレーキとエンジン出力を適切に制御する「VSC」、アクティブ後輪操舵システムの「ARS」、そしてトラクションコントロールなどを組み込んだ。
早くもこのときに、ステアリング・ホイール・スポークにギアセレクターを設けた「ステアシフトマチック」を採用している。変速ギアは4段しかないオートマチックであったが、スポーツ性を追究したというアピール力は高かった。
もうひとつ、先代からの大きな変更はエクステリアデザインだ。ヘッドランプは変型矩形の4灯式で、印象もかなりアグレッシブになった。同種のヘッドランプを採用して話題になったのは、2代目メルセデス・ベンツ「Eクラス」(1995年)である。タイミング的にいっても、マネをしたのでなく、同時発生的なデザインではないだろうか。
2代目アリストは2004年まで生産され、次世代はレクサスの初代「GS」となった。GSはとりわけスポーティな「Fスポーツ」の出来がよく、2020年まで生産されていた最終型(4代目)まで、アリストの遺伝子が引き継がれていたといえる。こういう継続性こそ、自動車メーカーにファンが期待することなのだ。
(2)日産「スカイライン」(9代目)
大ヒットした8代目ののち、1993年に発表された9代目の日産「スカイライン」。発表前から”今回のモデルチェンジはたいへんだったろう”と、言われていたなかでの登場だった。
特徴は、グランドツーリングカーという方向へ思いきって振ったこと。つまり、先代において改善すべき点を、やや狭い居住性ととらえたのだ。ホイールベースを105mmも延ばし、全長は4ドアで140mm延びた。
ドアとルーフのあいだにレインレールをもたず、ボディのかたまり感とともに空力特性の向上が見込まれるプレスドアを採用。これも、R33型と呼ばれた9代目スカイラインのボディの特徴だ。
よくみると、ボディのバランスもよく、キャビンはすこしコンパクトにしてスポーティなプロポーションを実現。ボディパネルをみても、面がていねいに作りこまれているうえ、側面を前後に走る1本のエッジが緊張感を生むなど、凝っている。
やはり均整を考えぬいたと思われる輪郭のヘッドランプといい、メルセデス・ベンツに代表されるドイツの高級クーペにも匹敵するようなスタイリングが印象的だ。
トップモデルは2498cc直列6気筒にターボチャージャーをつけた「GTS25t(タイプM)」。高性能化がすすむ時代だけに、スカイラインにもスポーティさがより強く求められていた。
とくにR32型の「GT-R」というエポックメーキングな高性能クーペを出したあとだけに、それを超えるスポーツモデルは? というファンの期待は多かった。
それに対して日産の考えは、スカイラインを上級移行させることだった。ターボチャージャーでピークパワーを追究するのでなく、なるべく中回転域のトルクを厚くして、加速性能を上げ、使いやすさを向上させることをねらったのも、ボディの大型化と軌を一にしている。
もてる技術のオンパレードになったのは、販売戦略上しかたのないことだったのだろう。4輪マルチリンクのサスペンションシステムに、電動化した後輪操舵システム「スーパーHICAS」が用意されている。高速コーナリングをよりスムーズにする橫G応動制御も組み込まれていた。
R33は各種装備をうまく使い、走りの性能と快適性のバランスとれたスポーティセダンとして完成度が高い仕上がりなのだ。
(3)ホンダ「インスパイア/セイバー」(3代目)
そもそもアコードの上級版として1989年に設定されたのが「インスパイア」だ。1998年に登場した3代目の特徴は、米国工場で生産されたモデルを、日本向けに仕立て直した点にある。
2代目に対して、ボディ全長は同一、ホイールベースはむしろ短縮されたものの、エンジンはトップモデル用に3210ccV型6気筒が用意された。
ボンネット高を抑えたホンダ独自のデザインは守られていて、北米生産の北米向け車両とはいえ、日本でみてもなんの違和感もない。サイドウィンドウ下の、ボディのいわゆるショルダー部の張り出しが強調されたスタイルをみても、エレガントでいて、かつ適度なスポーティさを感じる。たくみだ。
ホイールベースは2745mmもあり、前輪駆動のパッケージゆえ、室内空間には余裕がある。リアウィンドウがやや寝かされたスポーティな雰囲気をもちながら、4ドアセダンとして機能的なクルマだった。
2003年にフルモデルチェンジを受けたさい、クリオ店のみの専売車種でなく、ベルノ店とプリモ店(ともに2006年に現在の「Honda Cars」店へ移行)すべてでインスパイアとして販売されることになった。それにともなって、姉妹車「セイバー」は消滅した。
(4)三菱「ランサー・エボリューション」(初代)
三菱自動車が作りあげた、1990年代を代表する車種のひとつが「ランサー・エボリューション」だ。“ランエボ”と称され、いまもファンが多い4ドアセダンである。
最大の特徴は、世界ラリー選手権グループA参戦のための認可を得るべく、定められた生産台数をクリアするための、いわゆるホモロゲーション(認定)モデルだった点だ。それゆえ、公道仕様も、超がつくぐらいスポーティな内容なのだ。
ランサー1800GSRをベースに、「ギャランVR-4」用の2.0リッターエンジンを搭載したモデルである。もっともボディ強度が高い中近東むけ輸出車両をベースに、さらにスポット(溶接)増しや補強部材の追加をおこない、同時にボンネットなどにアルミニウム部材を用いての軽量化にはげんだ。といった事柄で、ファンは胸を躍らせたものだ。
初代の「GSRエボリューション」は、1993年10月に発売。3日間で、限定2500台の受注を完了しただけでなく、ファンからの強い要望を受けて、11月にさらに2500台を追加で販売し、それもあっというまに売れてしまった。トータルでの販売台数は7500台だそうだ。
性能を向上させたモデルを「II」(1993年)、「III」(1995年)と限定発売していく手法が、ユニークだった。「III」まではベース車両がおなじ第1世代。つぎの「IV」(1996年)から「VI」(2000年)までが第2世代。そして「VII」(01年)から「IX」(05年)までが第3世代になる。
初代は、サスペンションジオメトリーなどの問題から、直進性はよくてもコーナリングに難を抱え、「曲がらない」などと言われた。こういう問題点をつぶしていくのが、エボリューション(進化)の名にふさわしかった。II、そしてIIIへと発展していくなかで、洗練度はどんどん上がっていった。
(5)スバル「インプレッサ」(初代)
1990年代がスポーツセダンの時代という証左になるのが、前出のランエボと、このスバル「インプレッサ」だ。本格的なラリー参戦を目標に開発されたランサーエボリューションやインプレッサの「WRX」は、当時の日本メーカーの実力がものすごいいきおいで上がっていることを示した。
富士重工業(現SUBARU)が初代インプレッサを発売したのは1992年。機能主義的な4WDセダンとして市場でポジションを築いていた「レオーネ」の後継として開発された。
スバルはインプレッサのセダンとワゴンを同時に開発し、しかも、どちらもコンセプトにひとひねりをくわえていた。セダンは4ドアハードトップというボディで、かつ、当初からモータースポーツ参戦を狙ったWRXがラインナップに入っていた。
いっぽう、ワゴンもスタイリングコンセプトがユニーク。「レガシィ」(1989年)のワゴンのようなオーソドクスなタイプでなく、セダンの後ろに荷室をつけ足したようなデザインなのだ。でもうまくスタイリングされていて、それゆえ若々しいイメージをかもしだしていた。
1.5リッターの前輪駆動というファミリー向けのモデルもあるいっぽう、パワフルな水平対向エンジンに、スバル車のもうひとつの代名詞であるシンメトリカルAWDシステムを組み合わせたのが、インプレッサの類のない個性となった。
WRXではスポーツカーなみの性能を追求。5段マニュアル変速機モデルでは、ビスカスLSD(差動装置)つきセンターデフまで用意するなど、各モデルごとの作り分けが整理されていたのも、スバル車ならでは魅力だった。
1993年にはワゴンにもWRXシリーズを設定。さらに1994年にはスバルのモータースポーツ活動を担っていたSTi(現STi=スバルテクニカインターナショナル)が手を入れたよりスポーティな「WRX STi」まで設定された。
このころインプレッサは世界ラリー選手権でも頭角を表しはじめており、1994年はマニュファクチャラーズタイトルで総合2位、1996年と1997年は同タイトルを手中に収めたのだった。
同時期、三菱もランサーエボリューションで大奮闘。1996年から1999年まで4年連続でドライバーズタイトルを取得し、1998年にはマニュファクチャラーズタイトルをも獲得したのである。
インプレッサは、限定モデルもさかんに発売された。よく知られているのは、いまも人気が高い「22B-STi Version」(1998年)だ。WRCマシンのWRXに準じて拡げたボディに、ハイパワーの2212ccエンジンや強化サスペンションを組み込んだ限定車である。限定400台があっというまに完売した。
その後も「S201 STi Version」(2000年)など、スポーツモデルが出るたびに話題を呼んだ。このあたり、2020年にWRX S4をベースにした「STI Sport#」を限定500台で販売して、すぐ完売したというエピソードを思い出させる。インプレッサはファミリーカーとしてパッケージングにすぐれていたいっぽう、ずっと熱いクルマだったのだ。
文・小川フミオ
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みんなのコメント
どちらかというと、ラグジュアリーなアッパーミドルクラスのセダンというほうが相応しい。
ターボで武装したようなハイパフォーマンスではないものの、その乗り味はスポーツセダンを名乗るのに相応しい出来だった。