現在位置: carview! > ニュース > 業界ニュース > ル・マン3連覇したのはフェラーリではなく「マトラ」でした! 70年代の新レギュレーションで主役になったフランスのメーカーとは

ここから本文です

ル・マン3連覇したのはフェラーリではなく「マトラ」でした! 70年代の新レギュレーションで主役になったフランスのメーカーとは

掲載
ル・マン3連覇したのはフェラーリではなく「マトラ」でした! 70年代の新レギュレーションで主役になったフランスのメーカーとは

ル・マン24時間で3連覇を果たした

レギュレーションで速さを制限すると、技術者が頑張ってまた速さを取り戻してしまう。レースはいつもこうしたことを繰り返してきました。ポルシェが4.5Lフラット12を搭載した「917」でル・マンを連覇した当時、FIA(世界自動車連盟)の下部組織として世界のモータースポーツを統括していたCSI(Commission Sportive Internationale=国際スポーツ委員会)は、1972年に向けて再度レギュレーションを変更することを決定しています。これはスポーツカーによる世界選手権を、新たにスポーツカーの呼称となるスポーツ・プロトタイプカー1本に絞ることにしたのです。フォードやポルシェは身を引くことになり、新たな主役が登場することになります。

3座シートのスーパーカーはマクラーレン「F1」だけじゃない! 70年代に登場したマトラ「シムカ・バゲーラ」とは?

手作りのレースカーで始まったマトラ・スポールの歴史

新たにル・マン24時間レースの主役となったのは、フランスのスポーツカーメーカー、「マトラ・オトモビル」でした。もっとも、彼ら自身の商品としては「マトラ・ジェット」を筆頭としたミッドシップ・スポーツがメインで、正直なところ目立った大ヒット商品はありません。

むしろジャッキー・スチュワートが初めてワールドチャンピオンに輝いたときの愛機、マトラ・フォードを筆頭とするF1GPマシンや、これから紹介するル・マンで3連覇を果たすことになるスポーツ・プロトタイプカーの方が有名で、自動車メーカーというよりもレーシングカー・コンストラクターとしての知名度の方が高いかもしれません。

そんなマトラは、シャルル・ドゥーチェ(Charles Deutsch)とルネ・ボネ(René Bonnet)、2人の若者が協力して自分たちがレースを楽しむためにシトロエンの「11CV」、いわゆる「トラクシオン・アヴァン」をベースにレーシングマシンを手作りしたことで始まった小さなコンストラクターで、2人のイニシャルを繋げた「DB」(Automobiles Deutsch et Bonnet)が源流となっています。

しかし、ドゥーチェとボネは袂を分かつことになり、それぞれ自ら思うがままのクルマ造りを進めていくことになりました。ボネは「オトモビル・ルネ・ボネ」を立ち上げ、DB時代のモデルをベースに、新たにルノーのコンポーネントを使ってレーシングカーやロードカーを仕上げます。

オトモビル・ルネ・ボネはミッドシップ・スポーツカーの「ジェット」や、それをベースとしたレーシングカーの製作を続けていました。ボディの素材であるグラスファイバー(FRP)の供給元となっていた会社が、ミサイル製造から事業を拡大していったコングロマリット(複合企業)の一員であったことから、経営危機に陥ったオトモビル・ルネ・ボネを、コングロマリットの主力、航空機関連のマトラの傘下に収めてマトラが自動車産業に進出する足がかりとなりました。

具体的には社名を「マトラ・スポール」とし、航空機会社として知られたダッソー社の出身で若手エンジニアだったジャン-リュック・ラガルデールが経営責任者として配されていました。マトラ・スポールと名を変えてもしばらくは、オトモビル・ルネ・ボネ時代にも生産していたルネ・ボネ・ジェットをマトラ・ジェットと名を変え販売していましたが、やがてオリジナルの「M530」を販売しています。

フォーミュラと並行してスポーツカーレースにも挑戦を開始

その一方でマトラ・スポールは、スポーツカーのメーカーらしく、その企業イメージを引き上げるためにモータースポーツ参戦を決め、サーキットレースではまずF3からレース活動をスタートさせています。F3ではジャン-ピエール・ベルトワーズを擁してフランスチャンピオンを獲得。F2でもフランスのナショナルチャンピオンを手始めにヨーロピアンチャンピオンに輝いています。そしてF1GPではジャッキー・スチュワートを擁するティレル・レーシングとジョイントし、参戦2シーズン目には見事チャンピオンを獲得することになりました。

フォーミュラで着実に頭角を現してきたマトラ・スポールですが、やはりル・マン24時間を頂点とするスポーツカーレースにも惹かれるものがあったのでしょう。しかしDBやオトモビル・ルネ・ボネといった頃とは時代も状況も異なっています。

とくにフォーミュラではF2からF1GPへとステップアップを考え始めた頃でしたから、やはりスポーツカーでも当時のマトラにふさわしいパッケージが求められていました。そこでジェットをベースにして試作マシンを製作した後、BRMの2L V8エンジンを搭載した「M620」を製作しプロジェクトは本格化。さらに1968年にはプロジェクトが一気に拡大・進捗していきました。

エルフ石油のスポンサードとフランス政府のバックアップが決定し、自らF1GP用に3L V12エンジンを完成させたことに加えて、スポーツカーの世界選手権自体が主役であるスポーツ・プロトタイプカーの排気量を3L以下に制限することになったのです。

こうなるとル・マン24時間の総合優勝に加えてスポーツカーの世界選手権でチャンピオンを獲得する可能性も見えてきたのです。そんな1968年シーズン用にマトラ・スポールでは1967年の主戦マシン「MS630」を使用し、BRMの2L V8エンジンを自ら開発した、F1GP用と基本的には共通の3L V12にコンバートした最新仕様のMS630をル・マン24時間に投入します。

テストでは不安材料も多かったのですが、学生運動や労働者のストライキの影響もあって9月に延期された本番では快走を見せて2位に進出し、24時間レースの21時間目までその順位をキープしたのです。ラガルデールら首脳陣のモチベーションは一層高まっていきました。

ただし5Lのエンジンが許されたスポーツカーの、車両公認のための最低生産台数が50台から25台へと引き下げられた結果、1970年と1971年のスポーツカー選手権とル・マン24時間はポルシェ917を軸に展開されることに。3L V12で戦うマトラ・スポールはさらに2年間も雌伏の日々を過ごさなくてはなりませんでした。

マトラ・スポールは予選から「横綱相撲」を見せつけた

そんなマトラ・スポールにとって1972年シーズンは、待ちに待った決戦の時となりました。大排気量のスポーツカーがシリーズ戦から締め出され、3Lのスポーツ・プロトタイプカー(呼称としては単にスポーツカーを名乗っていました)1本に絞られたのです。

ただしマトラ・スポールではル・マン24時間に全力を注ぐためにシリーズ戦をパスするほどの入れ込みようで、用意したマシンは新型の「MS670」を3台、バックアップ用に前年モデルの改良型、「MS660C」を1台、ル・マンに持ち込んでいました。

シリーズ戦を連戦連勝でタイトルを獲得したことで最大のライバルと目されていたフェラーリが、耐久性に問題が見つかったことで直前にエントリーをキャンセルしたこともあり、マトラ・スポールは予選から「横綱相撲」を見せつけたのです。

決勝でもスタート直後に1台のMS670がコンロッドを折ってリタイアしていましたが、残る2台フランソワ・セヴェール/ハウデン・ガンレイ組とアンリ・ペスカロロ/グラハム・ヒル組がトップを争い、少し遅れてMS660Cが続く展開がスタートから23時間近くも続きました。

MS660Cが最後の最後にミッショントラブルから後退したものの、2台のMS670は何度か順位を入れ替えながら24時間を走り切り、ペスカロロ組-セヴェール組の順にマトラは嬉しい初優勝を見事な1-2フィニッシュで飾りました。

マトラ・スポールに初優勝をもたらしたヒルは、F1GP(1962年と1968年のチャンピオン)とインディ500マイル(1966年ウィナー)に続いて世界三大レースを制した最初のドライバーとなりました。また翌1973年、そして1974年とマトラ・スポールはル・マン24時間の3連覇を果たすのですが、いずれもドライブしていたペスカロロが個人でも3連勝となる大記録を達成したのです。

【キャンペーン】第2・4 金土日はお得に給油!車検月登録でガソリン・軽油5円/L引き!(要マイカー登録)

こんな記事も読まれています

「半世紀前のバス」運行へ!夏は走らないレア車両 埼玉の秘境で“試乗会”
「半世紀前のバス」運行へ!夏は走らないレア車両 埼玉の秘境で“試乗会”
乗りものニュース
約58万円! ダイハツ製の「“ひとり乗り”軽トラ」がスゴイ! “軽規格”より小さい「超ミニサイズ」採用! しっかり4輪で“公道走行可能”な「MIDGET II」とは
約58万円! ダイハツ製の「“ひとり乗り”軽トラ」がスゴイ! “軽規格”より小さい「超ミニサイズ」採用! しっかり4輪で“公道走行可能”な「MIDGET II」とは
くるまのニュース
「1秒の充電で1.7km走れる」世界初、1000kW級充電器が登場
「1秒の充電で1.7km走れる」世界初、1000kW級充電器が登場
レスポンス
パフォーマンス向上だけでなく装備もアップデート! 三菱 アウトランダーPHEVがマイナーチェンジ
パフォーマンス向上だけでなく装備もアップデート! 三菱 アウトランダーPHEVがマイナーチェンジ
WEB CARTOP
故ケン・ブロックの娘、スバルWRXで米ラリー最終戦に出場へ「ラリーは私の故郷」
故ケン・ブロックの娘、スバルWRXで米ラリー最終戦に出場へ「ラリーは私の故郷」
レスポンス
ホンダ『N-BOX』が2024年度上半期で10万台超、新車販売でトップに
ホンダ『N-BOX』が2024年度上半期で10万台超、新車販売でトップに
レスポンス
【Moto3】レースペースに自信を見せる鈴木竜生……それだけに悔しい日本GP予選17番手「何かくだらない予選になってしまった」
【Moto3】レースペースに自信を見せる鈴木竜生……それだけに悔しい日本GP予選17番手「何かくだらない予選になってしまった」
motorsport.com 日本版
今週、話題になったクルマのニュース3選(2024.10.5)
今週、話題になったクルマのニュース3選(2024.10.5)
@DIME
“約172万円”のホンダ新型「フィット」登場に反響多数! 大人気「コンパクトカー」の進化に「コスパ抜群」の声! 選択肢豊富すぎる「新モデル」が話題に
“約172万円”のホンダ新型「フィット」登場に反響多数! 大人気「コンパクトカー」の進化に「コスパ抜群」の声! 選択肢豊富すぎる「新モデル」が話題に
くるまのニュース
日本GP目前! アライヘルメットがMotoGPライダー中上貴晶選手の新たなレプリカモデル「RX-7XナカガミGP3」を発売
日本GP目前! アライヘルメットがMotoGPライダー中上貴晶選手の新たなレプリカモデル「RX-7XナカガミGP3」を発売
バイクのニュース
【あぶ刑事】トオルが愛した[セフィーロ]!港306がトミカリミテッドヴィンテージ NEOに登場!至急チェックせよ!
【あぶ刑事】トオルが愛した[セフィーロ]!港306がトミカリミテッドヴィンテージ NEOに登場!至急チェックせよ!
ベストカーWeb
【カワサキ】モーターサイクル事業 70周年特別展示“70 Years of Good Times”の第三弾が10/1からカワサキワールドにて  
【カワサキ】モーターサイクル事業 70周年特別展示“70 Years of Good Times”の第三弾が10/1からカワサキワールドにて  
モーサイ
三菱 アウトランダーPHEVを大幅改良。日本では2024年秋、欧州では2025年春に発売開始
三菱 アウトランダーPHEVを大幅改良。日本では2024年秋、欧州では2025年春に発売開始
Webモーターマガジン
充電プラグを差すだけで決済も、ユビ電が新EV充電「プラグ&チャージ」開発へ
充電プラグを差すだけで決済も、ユビ電が新EV充電「プラグ&チャージ」開発へ
レスポンス
日本のEV普及に大貢献! 軽EVの「三菱ekクロスEV」と「日産サクラ」が約2年5か月で生産累計10万台を販売
日本のEV普及に大貢献! 軽EVの「三菱ekクロスEV」と「日産サクラ」が約2年5か月で生産累計10万台を販売
THE EV TIMES
荷主と物流事業者を直接つなぐ、Willboxが国際物流プラットフォーム出展へ…ジャパンモビリティショービズウィーク2024
荷主と物流事業者を直接つなぐ、Willboxが国際物流プラットフォーム出展へ…ジャパンモビリティショービズウィーク2024
レスポンス
東名~下田直結「伊豆縦貫道」最南端が大変化!? 所要時間「約5分の1」に短縮 “恐ろしい峠越え”にバイパス開通の「劇的効果」
東名~下田直結「伊豆縦貫道」最南端が大変化!? 所要時間「約5分の1」に短縮 “恐ろしい峠越え”にバイパス開通の「劇的効果」
くるまのニュース
ルノーの次世代F1パワーユニット救済を求める声。プロジェクト引き継ぎに他メーカーが関心を示す可能性も
ルノーの次世代F1パワーユニット救済を求める声。プロジェクト引き継ぎに他メーカーが関心を示す可能性も
AUTOSPORT web

みんなのコメント

この記事にはまだコメントがありません。
この記事に対するあなたの意見や感想を投稿しませんか?

査定を依頼する

メーカー
モデル
年式
走行距離

おすすめのニュース

愛車管理はマイカーページで!

登録してお得なクーポンを獲得しよう

マイカー登録をする

おすすめのニュース

おすすめをもっと見る

あなたにおすすめのサービス

メーカー
モデル
年式
走行距離

新車見積りサービス

店舗に行かずにお家でカンタン新車見積り。まずはネットで地域や希望車種を入力!

新車見積りサービス
都道府県
市区町村