高い内外装の品質感。美しい造形は魅力的
新型シルビアと対面し、そしてじっくりと乗ってみて、強い感銘を受けた。
印象に残ったのが内外装の品質感の素晴らしさである。カツカツに切りつめたパネル同士のギャップの少なさ、塗装の美しく硬質な感触が、素敵な品質感を演出する。まるでアルミの塊から、名匠が削り出したかのような一体感に感心した。
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インテリアについても同じことがいえる。シルビアのコクピットに座っていること自体に快感があるのだ。インパネの造形の巧妙さ、インテリア全体の居住感のよさなど、実に計算が行き届いている。
パワフルなツインカムエンジン。ハンドリングはシャープ
エンジンは全車ツインカム16Vで、K'sはインタークーラー付きターボ(CA18DET型)を搭載している。燃料はプレミアム指定で、スペックは175ps/23.0kgmである。
K'sの車重は1120kg(MT)。同じエンジンを搭載しているブルーバード・アテーサより約200kgも軽い。その走りっぷりはスポーティカーとして申し分ない。2500rpm付近からトルクが盛り上がり、3000rpm以上はフラットなトルク感をキープしながらガンガン吹き上がる。
7000rpmまでは勢いに乗って一気に回り切ってしまう。1.8リッタークラスではもちろん最速である。2リッタークラスを含めても、ギャランVR-4以外にシルビアK'sに追いすがれるクルマは少ないだろう。
シルビアの走りのハイライトは、進化型HICAS―2(4WS)のオプション設定と、マルチリンク式リアサスペンションの導入だ。新型のHICAS―2は、仮想キングピン軸を中心に車輪だけを転舵する方式に改めた。同相の最大転舵角は1度に増加している。いわば4WSの効果を、より明確に引き出そうというセッティングだ。
HICAS―2装着車のハンドリングの印象は、標準サス車とは、まったく異なる。まずクルマの挙動が非常にシャープだ。ステアリングを切り込むと即座にフロントノーズが横に振られるように、旋回に入っていく。走り出して最初のカーブを曲がった瞬間に、誰もがスポーティさを感じとれるはずだ。
そこそこのスピードでワインディングロードを駆け回るようなシーンでは、ゲインの高いハンドリングがたっぷりと味わえる。さらにスピードを上げると、挙動は少しナチュラルさを欠いてくる。コーナリング中の路面のうねりなどを通過するとき、断続的にグリップ感を失う挙動が出やすい。
標準仕様車のほうは、ずっとクルマの動きはマイルドで、スムーズだ。決して鈍いわけではなく、ステアリングを切ると素直に回頭する。アクセルオフでスムーズにタックインする挙動は、FR車の理想に近かった。(カー・アンド・ドライバー:1988年7月10日号掲載)
5thシルビア購入ガイド
5thシルビア(S13型)は1988年5月デビュー。美しいスタイリングとFRレイアウトが生み出す走りで高い人気を獲得する。トップモデルはターボ仕様のK’s。当初1.8リッターのCA18DET型(175ps)だったが1991年のマイナーチェンジで2リッターのSR20DET型(205ps)に変更。オプションのHICASー2装着車のハンドリングはシャープ。走り屋が酷使した車両が多く、流通車のコンディションはさまざま。フルオリジナル車両の相場は350万~400万円。
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みんなのコメント
走りも彼女(現在の嫁さん)とのデートで活躍してくれました。
この頃の日産は良かったなぁ。
若くして亡くなった。合掌