2022年10月22~23日に、初代のS30系フェアレディZのクラブ「クラブS30」が軽井沢ツーリングを行った。そのなかでレジェンドドライバーである北野 元さんとの懇談会が行われた。その模様をお伝えする。
■日産ワークスのエースドライバー
新型Zは欧州で発売されない!? 米国で人気が続く理由…Z33が転機に
北野 元さんは、日産ワークスの黄金時代を築いたエースドライバーである。その戦績は華麗だ。1965年にホンダから日産ワークスに移籍すると、すぐに表彰台に立っている。その名を轟かせたのは、7月に船橋サーキットで開催された全日本自動車クラブ選手権、通称CCCレースだ。発売されたばかりのフェアレディ1600(SP310)でGTIIレースに出場した北野元さんは、難しいウエットコンディションのなか、浮谷東次郎のロータス・レーシングエランと生沢 徹のスカイライン2000GTに続く3位入賞を果たした。
北野 元さんの魅力は、ライバルに牙を剥くアグレッシブな走りだ。戦闘力に劣るマシンを与えられても、果敢に挑みかかっている。北野 元さんほどストイックな人間はいない。モータースポーツと真摯に向き合い、コンマ1秒を削り取ることに命をかけた。多くの人が知る偉業の1つは、68年5月の日本グランプリでエアロスタビライザー装備のニッサンR381を駆って優勝を飾ったことである。
●1968年の日本グランプリ優勝のR381(北野 元)
だが、もっとも強い印象を残したのはフェアレディでの活躍だろう。66年の日本グランプリではフェアレディ1600のボディに2Lの直列6気筒DOHCエンジンを搭載したフェアレディSを操り、プリンスR380やトヨタ2000GTを退けてポールポジションを奪っている。フェアレディZに切り替わったときも、Z432のデビューレース(70年1月)のドライバーに抜擢された。その後もZ432と240Zでサーキット狭しと暴れまわっている。
■フェアレディZの思い出を語る
北野 元さんは初代のS30系フェアレディZを愛するオーナーによって結成された「クラブS30(会長:渡邉秀記さん)」の名誉会長を務め、クラブ員との交流にも熱心だ。定期的にツーリングなどのイベントを開催しており、2022年10月22~23日には軽井沢ツーリングを行った。22日に北野 元夫妻をお招きしての朝食会が企画され、食事の後、北野 元さんと懇親の場が設けられている。また、軽井沢在住の宇佐美昌孝さん(元・アメリカ日産副社長)も同席し、フェアレディZの思い出を語ってくれた。
北野 元さんは当時のレース写真や資料をまとめたスクラップブックを見せながら、ツーリングに参加したZオーナーからの質問にも丁寧に答えている。
●初めて見たフェアレディZの印象はどんなものだったのでしょうか!?
北野 フェアレディZは、フロントにパワフルなエンジンを積んだ当時のフェラーリのスポーツカーに刺激を受け、開発したのでしょうね。ロングノーズにショートデッキのクーペフォルムを採用し、日本では高級だった直列6気筒エンジンをボンネットの中に収めていた。ステアリングは重かったね。当時はパワーステアリングじゃないから、切り込んでいくのが大変だった。力があるからうまく操れたけど、タイトコーナーでは重いステアリングに手を焼いたね。
ボクはフェアレディZで育ってきたんだ。70年代、フェアレディZは高価で、憧れの存在だった。オープン時代のフェアレディは4気筒エンジンだったけど、フェアレディZは6気筒エンジンを積んでいます。DOHCエンジンや2.4Lエンジンも用意されていた。高価だからカーマニアでもお金持ちじゃないと乗れるクルマではなかった。日産から普段の足として与えられていたのは、セドリックでしたね。オープンのフェアレディには乗せてくれたけど、日産のイメージリーダーで、フラッグシップのフェアレディZは貸してくれなかった。Zは高級スポーツカーだから貸し渋ったのかな!? クルマ好きにとっては憧れの存在で、しかも高嶺の花でした。
●宇佐美さんにとってフェアレディZはどういった存在だったのでしょうか!?
宇佐美 私は戦後間もなくの1949年に日産に入社しました。10年くらいすると、日産車をアメリカで売ってみようじゃないか、ということになり、アメリカ日産を設立したのです。私もアメリカに赴任し、片山 豊さんと一緒に日産車を売る方策を色々と考えています。片山さんは日産車を私たちの手で売ってみようじゃないか、と意気込みました。でも最初は知名度が低いので売るのは大変でした。10年ほどしてフェアレディZ、ダットサン240Zが誕生したのです。アメリカ仕様などは2.4LのL24型エンジンを積み、販売しました。
240Zはスポーツカーです。レーシングカーではありません。自動車愛好者に売るクルマです。アメリカ日産では、いかにして一般のクルマ好きに売るか、これを考えましたね。また、買ってくれたオーナーに長く愛してもらえるように、力を入れてきたのです。240Zは日産のイメージアップに大きく貢献し、アメリカで輸入車ナンバーワンになりました。日本車のトップになったのだから嬉しかったですね。長く愛し続けてくれたオーナーには感謝しかありませんね。
●元アメリカ日産副社長の宇佐見昌孝さん
北野 日産はフェアレディZの成功で上のポジションに上がることができたのです。日本のクルマが世界に認められた始まりだと思いますよ。当時、フェアレディZは高性能だったけど価格も高かった。2022年に新型フェアレディZが登場したけど、これも高価だね。買えないけど、新型Zにも興味はあるね。
●ハコスカと呼ばれるスカイライン2000GT-RとZ432は同じS20型直列6気筒DOHC 4バルブエンジンを積んでいますが、GT-Rのほうが高く評価されているようです。
北野 フェアレディZの方が素晴らしいクルマだと思うけど、GT-Rは花形スターだからね。レースではGT-Rはツーリングカー、これに対しZはスポーツカーのジャンルに 属している。Zはライバルが格上なんだよ。ポルシェ908やローラなどのレーシングカーとの混走になると、勝てないし、目立たない。辛かったね。長谷見昌弘くんとコンビを組んだときは、7L級のV型8気筒エンジンを積むローラのレーシングカーと同じクラスだったんだ。ポテンシャルが違いすぎるから勝てないよ。
でも、同じエンジンを積むGT-Rと比べれば、Z432が素晴らしいことがわかる。操舵フィーリングもサスペンションのできも上だったと思うよ。速さでもZ432の方が1ランク上だったね。Z432と240Zでは、下のトルクがあって乗りやすいのは240Zだね。Z432は排気量が400cc小さいし、DOHCエンジンだから高回転まで回してパワーを稼ぐタイプなんだ。うまく乗りこなすことができれば速かった。ただし、高価なエンジンだからオーバーレブさせて壊すと大変だった(笑)。
●現役時代の北野さんの走りは、他のドライバーと違っていました。ライン取りも独特だったように思います。
北野 あのころはタイヤのグリップがそれなりだから、ヘアピンコーナーなどはリヤを流して向きを変え、立ち上がっていたんだ。カーッとコーナーに入ってリヤを流して向きを変え、できるだけ早くアクセルを踏んでいく。小さなRのコーナーはうまくいくと、かなり速く抜けられます。だが、失敗するとクルッと回ってしまうんです。足もリヤを流しやすいようにセッティングしていたね。
●Z432のデビュー戦は70年1月の全日本鈴鹿300kmレースでしたね。
北野 ホモロゲーションが取れていないのでRクラスで出場したんだよ。でも、サスペンションは決まっていないし、S20型DOHCエンジンはキャブ仕様だった。このレースにはポルシェ908と910、フォードGT40、ベレットR6、そしてGT-Rなどが出場している。が、ウエットコンディションだったことも功を奏し、予選4番手(ワークスGT-Rは1.8秒差で5位)につけることができた。決勝レースではポルシェ908に次ぐ2位につけていたんだけど、8周目の第1コーナー入り口でスピンして止まっているブルーバードに激突したんだよ。体が痛かったし、首を痛めたから直後は息もできなかった。
●1970年1月の全日本鈴鹿300kmでZはレースデビューを果たす
●Z432に続いてダットサン240Z、フェアレディ240Zが登場しましたが、走りに違いがあったのでしょうか!?
北野 どちらもエンジン重量は同じくらいだね。ワークスマシンは塗装を剥いで軽量化を徹底し、ボルト1本まで軽くするなど、いろいろと手を入れています。Z432に積まれているS20型DOHCエンジンは2Lとしてはパワフルだけど、ドライバーからするとパワーが足りず、もの足りなく感じる。240Zはトルクが太く、力感があった。日本グランプリで乗ったR381とR382でも、1年違うと足がよくなっていたし、パワーも出ていた。バンクでは300km/hを超えるスピードになる。
●ここ軽井沢、浅間は思い出の多い場所だと思います。北野さんが活躍した浅間火山レースについて教えてください。
北野 自慢になってしまうから恥ずかしいのだけど、あのころは“乗れて”いたね。二輪デビューは1959年4月、18歳のときで、大阪の信太山で行われた全日本モトクロス大会だった。このレースで優勝し、メーカー選手権100人の1人に選ばれたんだ。そして8月に浅間火山レースと呼ばれている第2回全日本クラブマン選手権に出場した。ワークスライダーがたくさん出場したけど、アマチュアのボクは125ccクラスと250ccクラスで優勝できた。また、メーカー耐久125ccクラスでも優勝するなど、3つのレースで勝ったのです。
3階級制覇したことでホンダのワークス入りが決まり、60年のマン島TTレースでは日本人ライダーとして初めて5位入賞を飾ることができました。ボクの走りに感激した作家の大藪春彦さんとも親しくなり、亡くなるまで、ずっと付き合っています。大薮さんはすごい人、素晴らしい人でしたね。
●クラブS30のメンバーが北野 元ご夫妻、宇佐見昌孝さんを囲む
最後に北野 元さんの奥様が秘話を明かしてくださった。それはマン島TTレースのときに転倒して大きなケガに見舞われ、脳幹に異常をきたしたと言うのである。それ以降、バランス感覚が悪くなり、眼球がずれてテレビが二重に見えるようになったそうだ。ケガをしなければ、もっと速い走りを見せられた、と奥様は悔しがる。ハンディを背負いながらフェアレディZを手足のように操り、ファンを魅了したのが天才肌のレジェンドドライバー、北野 元さんである。限られた時間であったが、クラブS30のメンバーにとっては至福のひとときだった。
〈文=片岡英明〉
〈写真=小見哲彦〉
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
愛車管理はマイカーページで!
登録してお得なクーポンを獲得しよう
運営ブチギレ!? 一般車が「検問突破」何があった? 国際イベントでありえない"蛮行"発生! ラリージャパン3日目の出来事とは
斬新「日本の“フェラーリ”」に大反響! 「約700馬力のV8スゴイ」「日本なのに左ハンしかないんかい」「めちゃ高ッ」の声! 同じクルマが存在しない「J50」がスゴイ!
ついにトヨタ「新型セリカ」復活!? 次期8代目登場か… 中嶋副社長「セリカ、やっちゃいます。」宣言! 会長も後押し!? ラリージャパンで語られたコトとは
日産が93.5%の大幅減益! ハイブリッドの急速な伸びを読めなかったのは庶民感覚が欠けていたから…「技術の日産」の復活を望みます【Key’s note】
中央道「長大トンネル」の手前にスマートIC開設へ 中山道の観光名所もすぐ近く!
日産が93.5%の大幅減益! ハイブリッドの急速な伸びを読めなかったのは庶民感覚が欠けていたから…「技術の日産」の復活を望みます【Key’s note】
「永遠に有料…?」 とっくに無料化されている“はず”の道路たち なぜまだお金とるの?
ホンダ新型「プレリュード」まもなく登場? 22年ぶり復活で噂の「MT」搭載は? 「2ドアクーペ」に反響多数!海外では“テストカー”目撃も!? 予想価格はいくら?
中古車バブル崩壊……その時あなたは何を買う!? 絶版国産[スポーツカー]ほしいランキング
給油所で「レギュラー“なみなみ”で!」って言ったら店員にバカにされました。私が悪いんですか?怒りの投稿に回答殺到!?「なにそれ」「普通は通じない」の声も…悪いのは結局誰なのか
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
店舗に行かずにお家でカンタン新車見積り。まずはネットで地域や希望車種を入力!
みんなのコメント
でも、ムーンがチューンしたシボレーV8 5.5リッターエンジンは壊れまくり、それを対策に次ぐ対策で処置した結果、その中身はほとんど日産製に置き換わったって言うけどね。