1964年から1968年まで生産されたフォードの初代「マスタング」は、全世界のクラシック・カー マーケットで人気を集めるモデルだ。歴史的ヒットになった量産車であったので、かのキャロル・シェルビーが手がけた一連の「シェルビーGT」といった、一部の特別なモデルを除いては、比較的リーズナブルな価格で手に入れられるのも、人気を集める要因だ。
そんななか、1月2日~12日までアメリカ合衆国フロリダ州キシミーにて開催された「ミカム(Mecum)オークション」に、驚くべき初代マスタング(1968年型)が出品された。1968年型のマスタングGT390は、通常ならば最高のコンディションを誇る個体であっても10万ドル(邦貨換算で約1080万円)には届かないほどで売買されるものだが、このマスタングは、なんと330万ドル(約3億7000万円)という驚異のハンマープライスを叩き出した。
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その理由は、ただひとつ。このGT390は、全世界のアメリカ車エンスージアストのみならず、映画ファンたちも長らくその行方を追いかけてきた1台だったからだ。1968年に公開され、主役を演じた故スティーヴ・マックイーンの代表作としても知られる『ブリット』の劇中で、伝説的なカーチェイスを展開した“あのグリーンのマスタング”そのものだったのである。
出品されたマスタングGT390の後半生は、長らく秘密のヴェールに隠されていたという。サンフランシスコを舞台とするカーチェイスで、マックイーン自身が運転したマスタングは2台あったとされるが、そのうちの1台は事故で廃車になっている。残された1台は、映画宣伝ツアーの展示に供されたのち、この作品に参画した脚本家のひとりに譲渡された。その1年後、ある刑事がこれを買い取ったという。その後1974年には、故ロバート・キアナン氏が入手し、以後はキアナン家のファミリー・カーとして使われたという。
この個体についてはマックイーン本人が1977年に購入を申し出たにもかかわらず、キアナン氏はそれも固辞して所有し続けた。ところが、1980 年にクラッチのトラブルによって走行不能となったことから、長き休眠状態に入ることを余儀なくされた、とされる。
それでもキアナン氏は、この個体を正しいかたちで後世に遺すべく、今世紀に入った時期にレストアを決意しつつも、2014 年に死去する。そして、子息のショーン氏が亡父の遺志を受け継ぎ、内外装は撮影時のオリジナルを保ったまま機関部のレストアを完成し、2018年にふたたび、日の目を見ることになったという。
完成後は、現行型マスタングに設定された「ブリット」仕様限定バージョンのPRに登場したほか、北米の「アメリア・アイランド・コンクール」や英国の「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」などのビッグイベントを舞台に世界ツアーを敢行している。筆者自身も2018年夏のグッドウッドにて、その雄姿と走りを拝むことができたのは、まさに僥倖と言えるだろう。
2018年におこなわれた英国「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」での走行シーン。そして2019年末、ミカム・オークションへの出品がアナウンスされた。エスティメート(予想落札価格)の設定はなかったものの、オークション8日目となる1月10日におこなわれた競売では、実に330万ドルの価格がつき、オークショネア側に支払われる手数料を合わせれば374万ドル(約4億1000万円)という驚異的な高額で落札された。
コレクターや、いわゆるカーハンターたちが“失われた聖杯”のごとく探し求めていた“ブリット・マスタング”は、かくして新たな歴史を歩むに至ったが、新たなオーナーがこのヘリテージそのものの1台に相応しい活躍の場を用意してくれるのを、心より願ってやまない。
文と写真・武田公実
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