■連載/金子浩久のEクルマ、Aクルマ
あといくつかのブレイクスルーが電動化と自動化で進むと、アップルやグーグルなどIT企業の側から完全自動運転のEV(電気自動車)が造り出されてくるのではないだろうか。そう想像することは難しくない。もちろん、その頃には既存の自動車メーカーだって同じような完全自動のEVを造り出してきている。IT企業vs自動車メーカー。ユーザーは、どちらのクルマを選ぶのだろうか?
公道も走れる大人のかわいい電動三輪車「Kintone Trike」
それぞれにアドバンテージがあるだろう。例えばアップルだったら、アップルのネットワークにクルマを組み込んでくるのだろう。現在、僕らはiPhoneやiPad、MacのPCなどをインターネットを介してシームレスに使い分け、情報をハンドリングし、音楽や映像などの娯楽作品を楽しんでいる。ハードウェアとソフトウェアによる“アップルのネットワーク”にiCarなのか、iMobilityなのか、おそらく所有ではなくてシェアリングする形でアップル製のクルマを使用するサービスが組み込まれるのではないだろうか。これまでのアップル製品が一貫して追い求めてきた、シンプルなデザインによって直感的に操作できるインターフェイスが構築されたクルマが用意されているはずだ。
IT企業はクルマを造った経験がないことが不利に働くのではなくて、有利に働くはずだ。無経験な故に、これまで通りのエンジン車を造ることを想定した前提や束縛などに捉われずに済むからだ。iPodやiPhoneが登場した時の衝撃性を思い返してみればイメージできるだろう。iPodがウォークマンを、iPhoneがガラケーを時代遅れにしたように、アップル製のクルマは既存のクルマの延長線上にはない斬新さを持っていることだろう。
つまり、iPodやiPhoneがウォークマンとガラケーの延長線上にある改良版ではなかったように、アップルつまりIT企業製のクルマは既存のクルマとはまったく違ったものになっているはずなのだ。そう考えると、たしかに自動車メーカー製の未来のクルマは分が悪い。
しかし、そんなIT企業が逆立ちしても自動車メーカーにかなわないものがある。歴史である。1887年にゴットリープ・ダイムラーとカール・ベンツが史上初の“馬なし馬車”を世に送り出して以来、クルマは世界の産業と技術と文化を牽引してきた。単なる移動手段としてだけではなく、光り輝く世紀のアイコンになり得た。そればっかりは、IT企業にはかなわない。でも、歴史というものは持っているだけでは何の作用も及ぼさない。反芻しなければ影響力を行使できない。ミュージアムを造って、収蔵しているクルマを世界中のヒストリックカーのイベントに派遣させるようなことは、すでに多くのメーカーが行なっている。
ベントレーが展開している「コンティニュエーション」シリーズは、その数歩先を行っている。「コンティニュエーション」シリーズとは、1929年製の「ブロワー」を12台限定で復刻し、販売するプロジェクトだ。当時4台造られたうちの、現在ベントレー社が所有する1台の「ブロワー」は分解され、精密なレーザースキャンや手作業による寸法計測を経たのちに、デジタルデータ化された。総データ量は2GB以上にも達した。
超アナログな91年前の「ブロワー」を、最新のデジタルで蘇らせたのだ。2020年4月16日に、ベントレーはそのマスターデザインおよび製造技術のリファレンスとなるデジタルCADモデルが完成したと発表した。引き続きそこから製作されるリアルの12台のブロワーに先駆け、デジタルCADモデルとしてバーチャルのブロワーが完成したわけだ。2名のエンジニアたちは延べ1200時間、新型コロナウイルス騒動の中での在宅作業も行いながら完成させたという。
「ブロワー」は、ベントレーの熱烈な愛好者であり支援者、かつレーシングドライバーであったヘンリー・ティム・バーキン卿のレーシングチームのために4台だけ製作された記念碑的なクルマだ。ちなみに、バーキン卿のような“パトロン”たちはベントレー・ボーイズと呼ばれていた。当時、まだ危険で新奇なものと捉えられていた自動車レースのようなものに興味と関心を示し、勇敢な意志の力でレース参戦を続けた青年たちは大金持ちの子息で、スポーツマンだった。
テレビドラマシリーズ「ダウントンアビー」の世界である。あのドラマの中でも、貴族の息子がレーシングドライバーになっていくストーリーがあったけれども、ベントレー・ボーイズにインスパイアされているに違いないと、相槌を打ちながら観ていた。「ブロワー」を巡る壮麗な歴史も「コンチネンタルGT」や「ベンテイガ」などの現代のベントレーの商品内容に含まれているのである。エンジニアリングに於いても、企業経営に於いても何の関係性も存在していないのだけれども、ブランドとは幻想であり夢であり、おまじないである。あると思えばあるし、ないと思えばない。
それはクルマに限ったことではなくて、時計や宝飾品、ファッションなどをはじめとして現代のあらゆる商品に及んでいる。現代マーケティングの用語では“ブランド価値”などと呼ばれているものだが、商品が高級&高価になればなるほど、使用価値だけではないサムシングが求められ、込められていく。歴史や伝統といったものは最たるものだろう。IT企業が造るクルマに歴史と伝統がないことは自明のことだから、性能や使い勝手などの製品の優秀性をもっぱら追求し、シェアリングやソフトウエアなどでのネットワークの利便性を高めていくしか道はないだろう。デジタルによって合理性と効率を徹底追求していくことはIT企業の得意中の得意ではないか。
完全自動運転だから交通事故がゼロとなり、EVだから排ガスはゼロ。シェアリングが進むからクルマの台数が激減して渋滞が消滅し、駐車場に使われていた土地が有効に転用されるかもしれない。クルマが宿命的に宿していた諸問題がすべて解決された、バラ色のクルマ社会が待っている。
しかし、デジタルによる合理性と効率だけを追求した優等生グルマだけで満足できるほどの分別がその頃になると僕らには備わっているのだろうか?コンティニュエーション・シリーズが画期的なのは、オリジナルの「ブロワー」が造られた時と変わらないクラフトマンシップによる手作業だけで進められていない点だ。
まず、デジタル化してバーチャルな「ブロワー」を再現し、その次にリアルの12台の製作に取り組むところが今日的で意義深い。12台は、すでに全車が売約済みだ。「ブロワー」をリスペクトする第三者が製作するのではなく、ベントレー自身が最新のデジタルテクノロジーを駆使して行うわけだから、レプリカや複製というより“クローン”と呼んだ方がふさわしいのかもしれない。過去を再現しているのではなくて、“過去のカタチをした未来”を創造している。
とびきり高価だから、ほとんどの人に縁のあるクルマではない。また、12台を売り切ったところで、ベントレー社に利益を継続的にもたらすというわけでもない。本来だったら、“名車のクローン”製作などといったものはIT企業が音頭を取って先に実現していていた方がおかしくなかった。世界の名画を高精度デジタルスキャンしたのは、いずれもIT企業だ。でも、彼らがクルマに手を出す前に自動車メーカー自らが手を下した。
自動車メーカーには輝かしい歴史と伝統があるとともに未来を切り開く力もあると「コンティニュエーション」シリーズは啖呵を切っているように僕には見えるのだ。
■関連情報
https://www.bentleymotors.jp/world-of-bentley/the-bentley-story/
文/金子浩久(モータージャーナリスト)
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