イタリアン・コーチビルダーに魅せられた王族
ヴィニャーレ・ボディのアストン マーティンDB2/4は、1台だけが作られた。魅了されるようなゴージャスな佇まいとは裏腹に、少し残念な過去を秘めたクラシックだ。
【画像】アストン マーティンDB2/4 ヴィニャーレ・ボディ DB4GTザガートとDB5も 全86枚
1950年代半ば、ベルギーの若きボードゥアン国王によってオーダーされたものの、1960年代初頭には価値が危ぶまれるほどの状態に追い込まれた。シャシー番号は、LML/802だ。
いかにも1950年代らしい、丸みを帯びたラインで構成されたフォルムはとても優雅。アメリカで花開いていた、大胆なフィンの付いたジェット戦闘機風デザインとは対極的な美しさがある。ただし、流行の変化で当時でも若干クラシカルに映っていたことは事実だ。
ボディなどの特装を手掛けるカロッツエリア、ヴィニャーレ社をトリノで創業したアルフレド・ヴィニャーレ氏は、専属デザイナーとしてジョヴァンニ・ミケロッティ氏を雇い入れた。彼は、独特の趣きを持つスタイリングを得意としていた。
それが、1950年代後半にフェラーリとの関係性を失った理由にもなった。エンツォ・フェラーリ氏は、ピニンファリーナ社へ仕事を依頼するようになった。
その頃の王族は、イタリアン・コーチビルダーが作り出す美しいボディに魅せられていた。なかでもベルギー国王のレオポルド3世は、強く心を奪われていた。リリアン女王とともに、特注フェラーリを1953年からの15年間に合計5台もオーダーしている。
彼の母は、パッカード・コンバーチブルを自ら運転中に事故死している。他方でリリアンもまた、クルマをこよなく好んだ。
世界最速量産モデルの1台だったDB2/4
第二次大戦が開けた1945年以降、レオポルド3世の支持率は低迷。市民の声を受けるように、1951年に息子のボードゥアンへ王位を継承した。公の国王という立場を退いた父のレオポルドは、イタリアン・スポーツカーに浸れると考えたのかもしれない。
特注の5台で最も有名なモデルは、ピニンファリーナが手掛けた公道用のフェラーリ375 プラス・カブリオレだろう。だが、最も美しいのは1968年の330 GTCだと思う。妻、リリアンのためにオーダーされたフェラーリだ。
高身長でメガネがトレードマークだった息子のボードゥアン国王も、父の影響を受けクルマ好きだった。タイプ52 ベイビーと呼ばれる、子ども用ブガッティにまたがる幼い頃の写真も残っている。
ポルシェ550や、多彩なマセラティをコレクションしていた。メルセデス・ベンツ600プルマンだけでなく、リンカーンやキャデラックなども複数台所有していた。アメリカ車に対する関心も強かった。
それでも、自らの個性を主張する特注モデルとして、ベースに選んだのはアストン マーティンだった。理由は定かではない。モータースポーツでの活躍や、DB2/4が世界最速の量産モデルの1台だと認知されていたことを考えれば、充分に納得はできるが。
国王の義理の母がオーダーしたフェラーリ250 GTクーペは、ヴィニャーレ社がボディを仕上げていた。1950年代に作られた、貴重なミケロッティ・ボディのフェラーリだ。その流れで、トリノのカロッツエリアが選ばれたのだろう。
完成に6か月を要したアルミボディ
シャシー番号LML/802のアストン マーティンは、1954年9月にヴィニャーレ社へ届けられた。欧州のコーチビルダー向けに、左ハンドル仕様のDB2/4用ローリングシャシーは10数台製造されているが、その1つとなる。
ちなみに、そのうちの8台はベルトーネ社へ納品されている。ほかにもトゥーリング社やギア社、アッレマーノ社といったカロッツエリアへも1台ずつ。これらを合計すると、14台のスペシャル・ボディのDB2/4が作られたことになる。
またヴィニャーレ社は、フランス人のためにも別のDB2/4を製造している。惜しくも、現存していないようだ。
LML/802のシャシーには、142psを発揮する最新の3.0L 直列6気筒エンジンが載っていた。ファイナルレシオは、オプションのロング比が選ばれた。工場出荷時の記録カードには、ワイヤーホイールが部分的にクロームメッキされたことだけが残されている。
ヴィニャーレ社が手掛けたハンドメイドのボディは、アッシュ材のフレームで構成。ミケロッティのデザインをもとに、職人がアルミニウム板を叩き出し、仕上げるまでに6か月を要した。ボードゥアン国王へ納車されたのは、1955年3月だったという。
完成したアストン マーティンを、ヴィニャーレ社は広告に利用した。欧州の王族へ届けられた、美しいボディの2シーター・クーペとして。
V8エンジンへ換装されたLML/802
その1か月前に、ボードゥアン国王は3.0Lエンジンを載せたノーマルのDB2/4も受け取っている。代理店を通じ、パリのベルギー大使館へ納車されたという。ヴィニャーレ・ボディのLML/802とともに、2台には外交官登録のナンバーが付けられた。
国王は、ノーマルのアストン マーティンDB2/4は大切に維持した。1989年までオーナーが変わることはなかったようだ。
ところがヴィニャーレ・ボディへの関心は、瞬く間に失われてしまった。わずか数年後、1950年代後半のどこかの時点で、王室の補佐官へ売却されている。
その後、アメリカ軍のNATO部隊としてフランスに赴任したジェームズ・トス氏が、パリ裏通りのガレージでヴィニャーレ・ボディのLML/802を発見。彼は直列6気筒エンジンへ深刻なダメージを加えて不動車にし、陸軍大尉へ譲っている。
ほどなくして、ポンティアックのV8エンジンへ換装された状態で、バージニア州のスクラップ置き場行きになった。ベルギー王室御用達という名声は、忘却されたかのように。
そのまま1990年代まで放置されたが、ローランド・ウォマック氏という人物が救出。アストン マーティンを得意とする、英国のアストン・ワークショップ社へ転売される。もちろん、イタリアン・ボディをまとったDB2/4のレストアは、簡単ではなかった。
この続きは後編にて。
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みんなのコメント
5億円らしいですが。