2022年10月25日、筑波サーキット コース2000において「BCS(ボッシュ・カー・サービス)サーキットミーティング」が開催された。その会場で、参加者の愛車からEDR(イベントデータ・レコーダー)に残された記録を吸い出すデモンストレーションを行ったところ、ちょっと不思議なデータに遭遇。事故を起こしていないのに残された6件の「クラッシュの記憶」は、CDR(クラッシュデータ・リトリーバル)の可能性を感じさせてくれるものだった。
当時史上最強のゴルフ、「GTI TCR」がサーキットを駆け巡った直後のお話し
車載のEDR(イベント・データ・レコーダー)から記録をチェックさせてくれるイベント参加者を求めて、会場を行脚していた取材班が出会ったのは、ゴルフVIIGTI TCRだった。レース仕様車のロードゴーイングバージョンとして2019年に登場した限定600台というレアマシンだ。
●【くるま問答】ガソリンの給油口は、なぜクルマによって右だったり左だったりするのか
2L直4ターボは専用チューニングで最高出力290ps/最大トルク380Nmを絞り出し、電子制御油圧式フロントデファレンシャルロックやアダプティブシャシーコントロール、235/35R19という大径タイヤが、強大なトルクを余すことなく路面に伝える。安心のストッピングパワーを発揮する大径ブレーキも、もちろん標準装備だ。
GTI TCRには以前、芦ノ湖スカイラインで試乗した記憶があるのだが「恐ろしく速い」と舌を巻いた。けっして乱暴な「速さ」ではなく、わかりやすいダイレクト感とピックアップの鋭いパワートレーンとの組み合わせが絶妙だった。サーキットを思い切り攻めたらさぞかし面白いだろうなあ、と考えた覚えがある。
「CDR File Information」に残されていた6つの「記憶」
匿名を条件にEDRからのCDR(クラッシュデータ・リトリーバル)作業を受けてくれたオーナーのTCRは、タイヤなど細部にサーキット走行向けのアレンジが施されていた。オーナー自身もスポーツ走行に慣れているようで攻める走りを続けていたところ、ブレーキが途中で音を挙げてしまったという。
CDRレポートを見てみると、冒頭から衝撃的な数値が残されていた。データの基本情報を示す「CDR File Information」のもっとも下の欄には、イベントが6件も記録されていたのだ。もしもこれが一般道での作業だったら、「6回もぶつけちゃったんですか?」とあきれてしまうところである。
だがもちろん今回の記録は、すべて事故によるものではない。詳細は後述するが、最初のイベントが記録されたのは2022年10月25日(当日)の14時03分02秒で、最後のイベントが同日の14時09分04秒となっている。データを読み出したのはその30分後で、つまりついさっき、しかも6分ほどの間に6回という驚くべき頻度で「なにがしかの非常事態が起こった」ということがわかる。
にもかかわらず、一見したところTCRは全くの無傷だ。オーナー曰く、ブレーキが逝ってしまったようではあるが、少なくともほかのクルマにぶつかったとか、ガードレールに突っ込んだとかいう「痛い」兆候はまったくなかった。もちろん、修理している時間などありはしない。
「DATA LIMITATIONS」から記録が残された理由を知る
ではなぜEDRに、記録が残されていたのか。その理由は、CDRレポートの冒頭に記載されている「DATA LIMITATION(データリミテーション)」から読み取れる。いわゆる「データに関する基本的留意事項」を記したものだがその一部に、こう記されていた。
「Recording of non-deployment events (NDEs)requires a minimum delta-V of 8km/h within a 150ms period in either longitudinalor lateral direction.」(非展開イベント (NDE) の記録には、縦方向または横方向のいずれかで 150 ミリ秒の期間内に 8km/h 以上のデルタ V が必要です)
ここで言う「デルタV」とは、車両の速度変化を数値化したものを指す。加速度に似ているけれど、どちらかと言えば動的なエネルギー変化を表しているものだと考えるとわかりやすい。そしてフォルクスワーゲン ゴルフGTI TCRの場合は、規定された150msecという極めて短時間の間に、8km/hを超える速度変化が起きると「イベント」として記録されることになっているということが、わかるわけだ。
ちなみにこの数値は「閾値(しきいち)」とか「トリガー」と呼ぶのだが、さてそれではTCRはいったいどこでそのトリガーを引いてしまったのか?筑波サーキットの場合、もっとも激しい速度変化が起きそうなポイントは一カ所しか考えられない。ホームストレートのエンド、つまり第一コーナーだ。
「System Status at Event」は雄弁だった
さて、それではいよいよ、第一コーナーへの突っ込みで果たして何が起こったのか?を検証してみたい。イベントの記録データは大きく分けて、3つの項目が分析に使われる。ひとつはイベントのシステムステータスを集約した「SystemStatus at Event」で、エアバッグ類の展開記録(要は開いちゃったか否か)を含めると、とてもたくさんの項目が羅列される。
すべてを解説しているととんでもないことになるので、ここではとりあえず注目しておきたい数値だけピックアップしておこう。同じデータのセットは6つ残っているのだが、わかりやすく最後のひとつについて見ていく。記録は新しいものからRecord1~とナンバリングされるので、最後のイベントが最新のイベントということになる。
■System Status at Eventの注目ポイント
・Event Counter at Event:51(→過去に記録されたイベントデータは50回ある!もちろん全部、サーキット走行時のものだろう)
・Event Type:Front(前後方向の衝撃エネルギーがトリガーとなっている。ブレーキングもそれに当たる)
・Maximum Delta-V, Longitudinal:-9.3MPH[-15km/h](→縦方向に加わった最大のデルタVは時速9.3マイル=15km/h。マイナスは前から後ろ方向に移動するエネルギーを指す。つまりは減速時の数値、ということだ)
「Pre-Crash Data」で見えてきた、ドライビングテクニック
縦方向の最大デルタVが15km/hに達していることから、「なぜに事故ってもいないのにイベントが記録されたか」=「閾値を超えた」という前提が正しかったと考えられる。そして実はさらに興味深いのが、トリガーが入ったタイミングから5秒間さかのぼって記録される「Pre-Crash Data」だ。
しつこいようだが、事故っていないけれど記録は「Crash」となる。基本は左から右に、各タイミングでの項目の変化を見ていく。
■Pre-Crash Data -5 to 0 sec (Record 1, MostRecent)の注目ポイント
・Engine RPM (→エンジンの回転数は5000回転前半から6000回転後半。つまりかなり勢いよく回っている。4秒前から3.5秒前のところで一気に回転数が落ちているのは、シフトアップされたからだろう)
・Steering Input(→ステアリングはマイナス方向、つまり右から左にわずかに切られている状態から次第に直進となり、進入直前の1秒前には完全にまっすぐになっている)
・Speed, Vehicle Indicated(→5秒前は121km/h、そこから順調に加速し続け、0.5秒前には164km/hに達している)
・Accelerator Pedal(→100%がずらっと並ぶ。記録上はベタ踏み状態である。こちらも0.5秒前まで元気いっぱい)
・Service Brake Activation(→サービスブレーキ、というのは普通のブレーキのこと。こちらもOff=踏んでいません、が並び、最後の最後、0秒前でOn=踏みました)
一連のデータを組み合わせれば、記録のトリガーが入る前、ホームストレートでのドライビング状態を想像することができる。TCRのドライバーはストレートを全開で加速、コーナー手前でアウト側から直進状態でフルブレーキング、コーナーへのアプローチを行っていることになる。
まさにお手本のような「筑波サーキット2000の第一コーナー攻略」メソッドが、データとして残されていたわけだ。残されていたほかの5つの記録も、ほとんどがこれと似たような数値であり、ほぼ第一コーナーでの挙動変化が各イベント発生につながっていることがわかった。
今回の検証はあくまでも「変化球」的なCDRの検証であり、他にももっと多くの情報を読み取ることができる。だが、今や多くのクルマに普通に搭載されているEDRというデバイスが、果たして「どのように」「何を」伝えてくれるのか、が少しだけ理解してもらえるのではないかと思う。
実際の事故の場合には、こうした分析が事故原因の解明に役立つ。「その時、何が起こったのか?」を明らかにしてくれる可能性があるのだ。
[ アルバム : CDRデモンストレーション ゴルフGTIの記録 はオリジナルサイトでご覧ください ]
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