1980年代後半から始まった好景気(通称:バブル)によって、多数の“ガイシャ”が上陸した。このなかか印象的だったミドルセダンを、小川フミオがセレクトした。
いま乗るべき、ちょっと古いクルマはありますか? と、訊かれたら、お勧めしたいのは、1980年代に登場した欧州車。日本では、いわゆるバブル経済期に発売されたこともあり、一般的な評価もかなり高かったモデルが多い。
この時代は、ドイツ車をみると、自社の提供価値とはなにか? を、どのメーカーも真剣に考えていた。もっともその姿勢が顕著だったのはアウディだ。1970年代までは、フォルクスワーゲン車のバッジエンジニアリング・カー(名前とデザインの一部を変えただけの姉妹車づくり)だったアウディが、走りのための先進的技術を前面に押しだした時代である。
いっぽう、BMWはターゲットをメルセデス・ベンツに据えて、製品のクオリティを向上。同時に、ライバルにないスポーティなセダンの開発などニッチ(すきま)市場の開拓に乗り出した。メルセデス・ベンツ(とアウディ)にも影響を与え、その相乗効果がいまに続く、クオリティとスポーツ性を併せ持つセダンの分野で他の追随を許さない地位を確立することになったのだ。
1980年代は、SUVなどほぼ影もかたちもなく、一部の好事家がレンジローバーやGワーゲン(いまのGクラス)に乗るぐらいだった。王道はセダンである。ドイツいがいの欧州(英国ふくむ)各国のセダンにも個性的なモデルが多く存在した。
当時は大型セダンを手がけていたフランスのメーカーの製品は、重厚感はなくても、いっぽうで、路面の凹凸に影響されない、いわゆるコンプライアンスを重視した快適な乗り心地。いっぽう、イタリアのランチアやフィアットの手になる大型セダンは、スポーティなハンドリングと、デザイン性に富んだインテリアなどが特徴だった。スウェーデンのセダンは、衝突安全性の追究を含めた広い意味での人間工学をセリングポイントに、というぐあいである。
各社が個性を重んじていた1980年代。クルマにかけるコストもいま以上にぜいたくで、いろいろな意味で、時を経た現代でも乗る価値のある個性となっているのだ。
(1)メルセデス・ベンツ ミディアムクラス(W124)
いまも中古車市場で人気が高いミディアムクラスのメルセデス・ベンツ。ファンはこのシリーズのセダンを「W124」とメーカーのコード名で呼んでいる。現在のEクラスのオリジンでもある。じっさいにとてもよいクルマだ。
とりわけシャシー設計にはメルセデス・ベンツのゆたかな経験と、開発資金がたっぷりと投入されていた。もっともすぐれた点は足まわりを含めたハンドリングで、乗り心地もいいうえに、ステアリングホイールを切ったときの車体の動きかたは絶妙。いまクルマがどういう状態にあるのか? を、ステアリング・ホイールを通じてドライバーにていねいに伝えてくれるのだ。
ボール循環式という、現代のラック・アンド・ピニオン式にくらべると、すこしダルであるいっぽう、重厚な操舵フィールを生み出すステアリング形式は、他には代えがたい。いまでもわざわざ中古を手に入れて乗る価値があるのは、当時でなくては作れなかった個性ゆえだ。
ボディのクオリティも高かった。とくに1984年からのシリーズ1では、それまでのメルセデス・ベンツ車同様「最善か無か」のクルマづくりの思想がよく出ている。ウッドパネルはアルミ板のベースに合板を張り、そのうえに透明な合成樹脂でコーティングすることで衝突しても割れた木で乗員がケガをしないようにするといった気遣いもあった。インテリアはすべてにコストがかかっていたのだ。
くわえて、初期モデルのシートがよい。作りは、欧州の古典的な家具そのものだ。部品点数が多いうえに、製造コストが高いため、クルマの世界からはなくなってしまった。同様のつくりのシートは、いまも一部の欧州高級家具メーカーが手がけている。
100kgぐらい体重がないと、十分に沈まず、所期の座り心地が生まれない。あるていど体重がかからないとソールが十分に沈まず、快適な履き心地にならない英国の紳士靴を思わせる。それでもそこがかえって、モノ好きの心をくすぐるのだ。トランクルームも広く、実用性もかなり高い。
いっぽう、悩ましいのはパワーだ。シリーズ1では118psの2.0リッター4気筒や132psの2.3リッター4気筒、加えて160psの2.6リッター6気筒が用意されていた。それでも、トルクは細く、ダッシュ力にとぼしいうえ、たとえば中央高速くだりの談合坂SA手前の上り坂でも苦労した。のちに24バルブ化した220psの3.0リッター6気筒が登場し、走りの面では充実するようになった。作りで選ぶかパワーで選ぶか。やっぱり悩ましい。
(2)BMW 5シリーズ(3代目・E34)
世界でもっとも売れているBMW車は5シリーズだという。いまではだいぶ大きくなってしまったものの、1988年発表の3代目(E34)などはいいサイズだ。全長は4.7mに抑えられ、全幅は1.7mを少し超える程度。たとえば東京のような市街地では、このぐらいのサイズが使いやすい。
3代目の特徴は、2代目「7シリーズ」(1986年)のコンパクト版ともいえる高級路線へと舵が切られたことだ。4灯式ヘッドランプがキドニーグリルを囲むフロントマスクや、「ホフマイスターキンク(あるいはクニック)」と呼ばれる独特の輪郭を持つ後席サイドウィンドウのグラフィクス、さらにボディ側面の水平ラインで、上から覆い被さるような凹凸を持つネガティブプレスライン。
これら、5シリーズを含めたBMWセダンの特徴を持ちつつ、ボディ面の丸みが強くなり、ゆたかな表情を見せるようになった。ホイールベースは2765mmもあって、後席もスペースがたっぷりあった。ようするに、高級路線のセダンだ。BMWが本気で、メルセデス・ベンツのミディアムクラスと競合すべく打って出たモデルなのである。
4灯式ヘッドランプデザインの最後のモデルで、個人的には、BMWセダンにあって、古い世代とあたらしい世代の橋わたし的な役割をはたしたこのモデル、気に入っていた。
当初は2.0リッター6気筒SOHCエンジン搭載であらわれ、1989年にDOHC化。1990年には4気筒エンジンも用意されるいっぽう、1992年には3.0リッターおよび4.0リッターV8エンジンも。BMWの総合カタログのようなエンジンラインナップを持つようになったのも、このE34型の特徴だ。
このころから、BMW車を選ぶことは、エンジンを選ぶことと同義になっていく。高回転までまわしてカーブをぐいぐいまわっていくような走りを楽しみたいひとはノーズが軽い4気筒でいい。いっぽう太いトルクで粛々と快適に、を好むひとは8気筒の530iか540iをと幅ひろいユーザー層が対象になった。でもやっぱり、もっとも魅力的だったのは6気筒の「520i」とか「525i」なのだ。
(3)アウディ100(3代目)
1982年に発表された3代目アウディ「100(クワトロ)」の特徴は数多い。ひとつは、丸みを帯びた斬新な空力ボディ。サイドウィンドウも表面の凹凸を出来るだけなくして風の抵抗を減じるためのフラッシュサーフェス化によりボディ面とほぼ平ら、と、徹底的に凝っていた。
くわえて、駆動系が世界中のメーカーに衝撃を与えた。雪道でも高速でがんがん走るため、前輪駆動レイアウトを採用していたアウディは、前車軸より前にエンジンを傾けて、その重さで前輪が浮かないようにしていた(ポルシェ911を180度逆にしたのと同じ発想)。
いっぽう、カーブで曲がりにくいなど、そのレイアウトの不利な部分を補う必要があったため、アウディでは、状況によって前後輪へのトルク配分を刻々と変えていく全輪駆動「クワトロシステム」を開発。前輪駆動の標準モデルに対して100クワトロとして1984年に発表した。
アウディ100は、全長4795mm、ホイールベース2685mmと比較的大きなサイズで、前後席ともに広いプレミアムサイズのセダンというだけでなく、技術的な先進性という大きな商品性を与えられた。当時は、アウディはとても知的なイメージが強くて、それも他にはない魅力だったのだ。
よりパワフルなモデルを求めているひとには、直列5気筒20バルブターボエンジンを100のボディに搭載したアウディ「200(クワトロ20V)」という上級車種もあった。100のもうひとつの魅力はインテリアの品質感の高さだ。合成樹脂ならではの造型感覚をうまく使ったダッシュボードは、スイッチひとつとっても操作感にすぐれており、このときの基本テーマは次世代の「A6」(コードネームC4)にまで持ち越されたのだった。
いま100に乗ると、当時のフォルクスワーゲングループのクルマの例にもれず、操舵力がとても重いのに驚かされる。さきに触れたようにエンジンが前車軸より前に重量をかけているので”鼻”が重いうえに、パワーアシストがないからだ。腕の力を使って曲がっていく必要がある。ただしそれでもハンドリングはしっかりしていて、とくに高速での巡航性能の高さはいまの水準でもけっして悪くないのである。
(4)ボルボ760
ボルボのデザインルームには直線定規しかなかったのではないか? などとジョークの種になるほど、直線基調のボディデザインが特徴的な「700」シリーズは1982年に登場した。いまでも中古車市場で人気が高い200シリーズの後継モデルだ。
特徴は、当時のボルボの「北西路線」(モデルを高級化し高収益化をめざす)にのっとっていたこと。北米を主要市場にすえ、ボディは大型化、エンジンは高性能化、安全装備の充実、それに室内の豪華化と、さまざまな面で大きくアップグレードがはかられていたのだ。
日本でも、よく売れたモデルだ。2316cc4気筒の「740」(500万円台)を中心に、上級車種である2849ccV型6気筒搭載の「760」で700万円に近い高価格(パワフルな3.5リッター搭載のBMW「M535i」とほぼ同価格)。それでも、ドイツ車とはちがう高級車として、お金のある市場で歓迎されたのだった。
当時のボルボ車は、衝突安全性の高いボディを売り物にしていて、クラッシュテストの映像をはじめ、橫方向からの衝突に備えたドア内部のサイドインパクトビームや、むちうち防止ヘッドレスト、といったぐあいに、次々に独自の安全装備を盛り込んだ。乗る人間を守ってくれる、というイメージも市場での評価につながったのだ。
走りもけっして悪くない。当時ボルボはツーリングカーレースにも参戦するなど、安全とスポーツ性をともに追究するイメージを打ち出していた(それでいてこのスタイルなんだから笑ってしまうけれど)。
じっさいに、いま乗っても、予想いじょうに力があって、ハンドリングもすなおで、なかなか楽しめる。乗り心地もソフトで、ドイツ車とは一線を画している。かつシートの作りもたいへんよく、お金のかかったセダンと納得できるのだ。
(5)サーブ9000
“スワンソング”という言葉が、サーブ「9000」をみるたびに頭をよぎる。最後の姿とかいった意味の英語だ。個性的なスタイルのアッパーミドルクラスのスウェーデン製セダンで、かつて日本でもよく見かけたけれど、いまではかなりレアな存在になってしまった。品がよく、室内の作りも雰囲気があって、自動車好きなら気になる存在だ。
そもそもサーブは、「スウェーデン航空会社」の頭文字をとった社名どおり、航空機会社としてスタート。クルマの開発に手を染めたのは1946年。自動車界においては比較的短い歴史のメーカーだった。
短期間でブランドとして認められたのは、ユニークなクルマづくりゆえだ。スウェーデン工業デザインの父ともよばれるシクステン・サソンによる、流体力学的な造型と機能主義は、他に類のない個性になった。かつ、ターボチャージャーを早くから採用。1970年代から1980年代にかけてはBMWと並ぶスポーティなセダンのブランドになったほどだ。
サーブといえば、「90」シリーズ、それに続く「900」シリーズが、日本の欧州車好きのあいだで評価を得ていた。航空機のコクピットのようなキャビンといい、大きく開くボンネットといい、独自の思想によるクルマづくりが魅力的だったからだ。
1984年に発表された「9000」は、レインレールを持たずルーフと面一になるプレスドア採用のボディは流麗な印象だ。
ボディデザインを担当したのはイタルデザイン。イタリアの姉妹車と共通のボディ骨格を使いながら、サーブの持ち味のひとつだったエレガンスをうまく表現していた。とくにイタルデザインひきいるジョルジェット・ジュジャーロが得意とする、プロファイル(側面)における流麗なシルエットが活かされていたのが魅力になっている。
低く構えたノーズから、ハイデッキ(厚みのある)のリアエンドまでのラインはスポーティな印象。当初はファストバックボディのみで、1988年に独立したトランクをそなえたノッチバックの「9000CD」が追加された。
プラットフォームは、サーブが、ランチア、フィアット、アルファロメオというフィアットグループが開発したものを採用。サスペンションシステムやエンジン、それに外板や内装は、サーブ独自の設計である。たとえば、リアサスペンションは固定式のリジッドアクスルが900から踏襲された。
サーブ9000は、エンジンは4気筒をベースに、パワフルさを追究した2290cc4気筒DOHCまで、それなりに豊富なラインナップだった。姉妹車のアルファ・ロメオ「164」はV6、ランチア「テーマ」は(フェラーリの)V8まで搭載したのに対して、本来なら、9000も多気筒エンジンが求められていたはずだ。このときのサーブの乗用車部門は財政的にひっ迫してきており、大排気量エンジンを開発する資金は工面できなかった。
4気筒エンジンゆえの軽さとか、リジッドアクスルゆえのソフトな乗り心地とか、9000には独特の個性があった。それはそれでいいと思うものの、それしか選択肢がなかったのが、サーブにとって悲劇である。1998年まで長いあいだモデルチェンジしなかったのも、出来なかった、と言い換えることも可能だ。
このあと、サーブは米ゼネラルモーターズと強い提携関係を結び、中身はオペル(こちらも当時はGM傘下の独ブランド)である乗用車を作ることに。そして2011年に乗用車部門は、幕を閉じることになったのだ。
文・稲垣邦康
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ボルボは脚もシートも柔らかくて極上の乗り心地で癒された。