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ルノー4:33年(1961~1994年)
メルセデス・ベンツGクラス2018年型 現地画像4枚 デトロイトモーターショー
キャトルことルノー4は、まさしく時代に合ったクルマだった。RRレイアウトを採る4CVの代替車種として開発されたが、こちらは正反対のFFレイアウトで、実用的なハッチを介してアクセスできる大きな荷室を備えたのである。
33年の間に、数多くの改修を受けたキャトル。グリルのデザインは4タイプあり、4気筒のエンジンは徐々に排気量を拡大。ただし、基本的なボディ形状は変わらなかった。生産はフランスのほかアイルランドやモロッコ、アルジェリア、ユーゴスラヴィア、チリとウルグアイで生産され、その台数は800万台にのぼる。
ランドローバー90/110/ディフェンダー:33年(1983~2016年)
ディフェンダーのルーツを探ると、それは1948年登場の初代ランドローバーに行きつく。シリーズIIIの後継モデルとして登場した際には、ホイールベースにちなんで90もしくは110と呼ばれた。広く親しまれた初代ランドローバー譲りのデザインに、フルタイム4WDを備え、快適性は向上したモデルだ。ユーザーが求めるオフロード性能を犠牲にすることなく、使い勝手を高めたのである。
その生産が2016年に終了したのは、法規制への適合にかかる費用があまりにもかさむから。海外で生産を続けるという噂も噂に終わった。それゆえディフェンダーは現役を退き、殿堂入りとなった。今は、今年末にも登場するという後継モデルに期待するばかりだ。
トヨタ・ランドクルーザー70:34年(1984年~継続中)
日本でも期間限定で再販売された70ランクルは、登場から30年を超えても市場に受け入れられ続けている。オーストラリアでは、過去最大のV8ターボディーゼルを積んだこのタフなオフローダーが、敵なしの人気を誇っているのだ。ラインナップは2ドアと4ドア、バンボディとピックアップを設定する。
フォルクスワーゲン・ゴルフ(初代):35年(1974~2009年)
フォルクスワーゲンの南アフリカ部門は、2代目ゴルフ登場後も、安価でコンパクトな初代の生産を続行。ハッチバック2車種を併売した。
ただし、マーケティング部門の判断で、初代はシティゴルフと改名し、2代目との差別化を図る。5ドアモデルのみで、ボディカラーはブライトレッド、ブライトイエロー、ブライトブルーの3色でスタート。細部のデザインを変更しつつ、35年にわたって現役を張ることとなった。
ブリストル603:35年(1976~2011年)
ブリストルが、英国車の優雅さとアメリカ車の力強さを融合させたのが603。ニッチモデルに終始したクーペだが、ライバルが消えゆく中でも生き残るに十分な程度のファンは掴んでいた。2011年には破産申請し、新たなオーナーの手に渡ったブリストル。現在、バレットと銘打った、50年代風ロードスターでのカムバック計画が進行中だ。
スタイリングのリフレッシュがたびたび行われたが、そのたびに異なる車種からライトを流用。2代目フォルクスワーゲン・シロッコやベッドフォードCF2、オペル・セネターB、アウディA4アバントがドナーとなった。
ルノー12:37年(1969~2006年)
ルノーの経営陣は、12が四大陸で販売されるグローバルモデルになると信じていた。実際、その予測は現実となり、主要マーケットは西欧だったものの、東欧やアメリカ大陸、オーストラリアにも投入された。
また、特筆すべきはこの12がダチアのバックボーンとなったこと。フランスでの生産が終了した後も、ルーマニアで26年にわたり、ダチア1300と名を変えて造り続けられた。スポーティクーペの1410、リフトバックの1320、2ドアと4ドアのピックアップといった、派生モデルも開発されている。この後を受けて、安価でベーシックな移動手段として登場したのが、欧州市場にその安さで衝撃を与えたロガンである。
メルセデス・ベンツGクラス:38年(1979~2017年)
自動車界のアメリカンドリームとでも呼べそうなのが、ゲレンデヴァーゲンことGクラス。なにしろ、戦場の移動手段から、ビヴァリーヒルズのセレブの足へと成り上がったのだから。質実剛健なオフローダーとして生まれたそれは、最終的にメルセデスのラインナップでも最も高価な部類の一台となったのである。豪華さやパフォーマンスに軍用車両だった頃の質実剛健ぶりは見て取れないが、これを臆面もない退廃だと呼ぶべきか否かは、個人の判断に任せたいところだ。
そんなゲレンデがついにフルモデルチェンジし、年初のデトロイト・ショーで発表された。スタイリングは旧型と大きく変わらず、しかしシャシーは全面刷新。インテリアもエルゴノミックなものへと生まれ変わっている。
プジョー504:38年(1968~2006年)
1969年に念願の欧州COTYを獲得すると、504は先代モデル同様、途上国マーケットで信頼性の高い移動手段となる道をたどる。アフリカのいくつかの地域では市場を制し、アルゼンチンや中国などでも生産された。最後まで生産されたのは、ナイジェリアの現地スペックにアップデートされたバージョンだ。
イランの第6代大統領であるマフムード・アフマディーネジャードは、所有する1977年式504を、2010年のオークションに出品。250万ドル(現在の価値で邦貨換算するなら約2億9700万円)で落札されたが、これはプジョーの落札価格としては過去最高レベルだ。売り上げは、低所得者住宅の建設費に充てられた。
ミニ:41年(1959~2000年)
およそ530万台が生産されたオリジナル・ミニは、英国自動車界にとってのビートルズのような存在だ。アレック・イシゴニスによるエンジニアリングの冴えは、デザインスケッチから生産までをたったの27か月で実現した。あの小さいボディに4人乗りキャビンを構築したのもさることながら、ボンネットの下にもトピックは秘められている。横置き水冷4気筒を、4段MTの上に積み重ねたパッケージングは、ドライブトレインの専有面積を劇的に減らしたのだ。
ミニの影響は、コンパクトカーにのみ及んだわけではない。ランボルギーニがミウラの開発に当たり、キャビン背後の狭いスペースに4.0ℓV12を搭載するため、エンジンとトランスミッションでミニと同様のレイアウトを採ったのだ。この設計はなんでも、エンジニアが駐車されていたミニを見て思いついたのだとか。
ラーダ・ニーヴァ:41年(1977年~継続中)
ラーダが二―ヴァを開発したのは、シベリアの原野を走り抜けることができる、頑丈で生半可ではないオフローダーを求める声に応えるためだった。フィアット由来の2101からパーツを流用しつつも、設計はすべてラーダの内製。軽量コンパクトで手頃な価格だったことから、瞬く間に大ヒットモデルとなり、輸出もラーダ最大の成功を収める。このロシア車を、日本でもときおり見かけるほどだ。
ラーダにクオリティを求めるのは難しいが、二ーヴァはロシアの南極基地で10年にわたりサポート車を務めたほどの耐久性を備える。生産は継続中だが、ラーダ筋によれば、彼らはついに後継モデルの開発に着手したという。われわれは今の二―ヴァに愛着があり、快適性を別にすればその性能にも拍手を送りたい。願わくば、50周年の大台に届くのを見たいものだ。
シトロエン2CV:42年(1948~1990年)
オックスフォード英語辞典では、『アナクロニズム』の項にシトロエン2CVの写真を用いている。ティン・スネイル、すなわちブリキのカタツムリとあだ名される2CVは、後継モデルとなるはずだったディアーヌやヴィサの生産終了後も生き残ることとなった。この長いモデルライフは、なにもシトロエンが、キャブレターに長寿の秘薬を吹き込んだというようなことが理由ではない。ただ単に、このクルマがシンプルだったことによるものだ。
2CVの設計は隅から隅まで、機能性が形を決めたといえるもの。跳ね上げ式のサイドウインドウや初期モデルの速度計と連動するワイパーなど、合理性を追求している。生産台数は510万台ほどで、このうち120万台がバン仕様。派生モデルともいうべきアミやディアーヌ、メアリなども加えれば、900万台を超えることになる。
ヒンダスタン・アンバサダー:49年(1958~2007年)
インドのヒンダスタン・モーターズは、モーリス・オックスフォード・シリーズIIIの製造権をブリティッシュ・モーター(BMC)から購入すると、これをもとにアンバサダーを生み出した。このとき、オックスフォードの基本設計が、半世紀も生きながらえることになろうとは、関係者でさえ想像もしなかっただろう。2004年には、やや現代的な外観のバリエーションであるアヴィゴが登場したが、それを除けば登場から生産終了まで、変化はほとんどない。2017年、プジョーはアンバサダーの商標権を1200万ドル(約13億円)で買収したが、これは20年の空白期間を経て、インド市場に再び参入するための準備だ。
モーガン4/4:63年(1955年~継続中)
モーガンが4/4の生産を終了して後継モデルを導入したら、自動車史に残る革命的な出来事となるだろう。彼らは、このロードスターを造り続けると決めた瞬間から、自動車業界の時流に対して大胆なまでに逆行してきた。操縦性や使い勝手を高めるためのマイナーチェンジこそ繰り返してきたが、デザインや構造は1950年代のそれをそのまま守り抜いている。
4/4のエンジンは、誕生時から一貫してフォード製を搭載し続けているが、1980年代の短い期間だけ、フィアット製4気筒を採用したこともある。現行モデルは、モンデオやフィエスタにも使われる、1.6ℓのシグマ・ユニットを積んでいる。
フォルクスワーゲン・タイプ2:64年(1949~2013年)
ワーゲン・バスやコンビという呼び名が一般的なタイプ2は、オランダのインポーターが、ウォルフスブルグ工場で使われていたパーツ運搬車のプラッテンヴァーゲンを販売したいと申し出たことから開発が始まった。欧州では商用車ユースが主体だったが、アメリカではキャンパー仕様が人気を博すことになる。
後継車種のカラベルとトランスポーターが導入されても、メキシコやブラジルといったラテンアメリカ諸国で生産は継続。これは後に、エンジンを空冷フラット4から80psの水冷直4に換装している。水冷モデルのラジエーターは、フロントに設置された。
ブラジルでは2010年代初頭まで販売好調だったが、新たに導入されたエアバッグやABSの義務化に対応するコストを惜しんで生産終了が決定される。最終生産分の600台は、ラストエディションと銘打った特別仕様車の一部で、ブラジルでのみ販売された。累計生産台数は1000万台を超える。
フォルクスワーゲン・ビートル:65年(1938~2003年)
いよいよ、長寿記録の持ち主を紹介しよう。とはいえ、それはいうまでもないかもしれない。ザ・フォルクスワーゲン、初代ビートルである。もはやクラシックカーに分類してもいいクルマだが、その人気はクラシックカー・マニアの領域を超えて幅広い。世界屈指のアイコンであり、コカ・コーラのロゴと同じくらいの高い知名度を誇る。
後にここまでの存在になるとは、生産開始時には誰も予想できなかった。1930年代後半、ナチス体制下のドイツで開発されたが、第二次大戦勃発で本格生産は凍結。戦後、工場が英国軍の管理下に入り、英国での生産も検討されたが、それを希望するメーカーはなかった。「自動車として、基本的な技術面の要求を満たしていない。標準的な購買層にとって、全く魅力はない。商業生産は、完全に利益を見込めない事業となる」と、当時の英国政府は見解を記している。
KdFワーゲン(歓喜力行団の車)と命名したそれが、1960年代にヒッピーのシンボルとなろうとは、名付け親のヒトラーも想像だにしなかったことだろう。最終的に、この愛すべきカブトムシにとどめを刺したのは、エミッション規制の強化だ。2003年、限定モデルのウルティマ・エディシオンを最後に、メキシコでの生産も終了。15もの国で、これも世界記録となる2100万台以上が製造された。
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