スバルや三菱に先んじてWRCに挑戦したトヨタ
2017年にWRC(世界ラリー選手権)に18年ぶりに復帰したトヨタ。WRCといえばスバルや三菱を思い浮かべる人は多いと思うが、その歴史は前出の2社よりも古く、WRCが発足した1973年から参戦している。
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さらに、世界ラリーへの挑戦は今から60年前の1957年の初代クラウンで挑戦したオーストラリア大陸一周ラリーにまで遡る。じつはトヨタ・モータースポーツの歴史はラリーから始まっているのだ。そして、その長いWRCの歴史に日本車として初めて、チャンピオンの名を刻んだのはスペシャリティカーであるセリカだった。 (写真はラリー仕様)
トヨタがWRCに本格的に介入したのは1975年。以前から支援していたプライベーターである故オベ・アンダーソン選手(のちのF1初代代表)のチームの全面バックアップを決め、TTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)を発足。この年がトヨタの名前を冠した初参戦となる。
TTEはマシンにカローラレビン(TE27)を選んでいたが、1979年には2代目セリカ(RA40型)にスイッチ。ここから1995年までの16年間、トヨタはセリカでWRCに参戦し続けることとなる。
参戦ベース車両製作を含めたワークス活動を開始したのは1983年。この年から始まるグループB車両(連続する12カ月で200台生産された車両をベースに製作、内20台は大幅な改造も可能)レギュレーションに合わせて、日本初の1.8リッターツインカムターボを搭載した3代目セリカ(TA63型)のエンジン排気量を拡大。
さらにリヤサスペンション型式の変更、フロントフェンダーを樹脂製にするなど大胆な改良が施された初のエボリューションモデル「GT−TS(TA64型・ラリー名はセリカ・ツインカムターボ)」を投入。
WRC制覇に向けて本腰を入れていく。グループBへの挑戦は参戦初年度こそ2戦目で優勝するなどパフォ−マンスを発揮するが、時代は4WDマシンへと移行しつつあり、アウディ・クワトロ、プジョー205T16などの熟成により、FRのセリカは年々勝つことが難しくなっていた。ただ、一発の速さでは劣っていたものの、耐久性の高さではライバルを大きく上まわっていた。その証がサファリラリーの3連覇(1984年~1986年)達成。過酷なステージで実力を発揮した。
フルタイム4WDマシンST165型セリカで初のドライバーズタイトルを獲得
1987年、WRCは速すぎて危険度が増したグループBに変わり、グループA(連続する12カ月で5000台生産された車両をベースに製作、外装は大幅な改造は不可)レギュレーションに変わった。その年は暫定的にA70型スープラで参戦するが、1988年にはトヨタは初のフルタイム4WDマシンとなる4代目セリカGT-FOUR(ST165型)をデビューさせる。
当時のリストリクター(空気吸入制限装置)と最低重量規定にもっとも適した排気量といわれた2リットルターボ(新開発の3S−GTE型)を搭載。パワーこそ295馬力であったが、トルクは50kg-mに迫る低中速域重視のエンジン(ノーマルは185馬力/24.5kg-m)に、前後トルク配分50:50のコンベンショナルな4WDシステムを組み合わせている。
初勝利を飾るまでには1年強を要したが、1990年にはカルロス・サインツ選手が年間4勝を挙げて、日本メーカーとして初めてトヨタにWRCのタイトルをもたらした。
翌1991年はカルロス・サインツ選手が年間5勝を挙げるものの、僅差でタイトル獲得とはならなかったが、当時WRCで最強であったランチア・デルタの牙城を崩し、チャンピオンを獲得したST165型セリカの活躍により、トヨタはWRCになくてはならない強豪チームの仲間入りを果たした。
トヨタの悲願であったマニファクチャラーズ(メーカー)タイトルは、5代目セリカ(ST185型)に途中から投入されたエボリューションモデル「GT-FOUR RC(RCはラリーコンペティションの略)」とユハ・カンクネン選手によって1993年に成し遂げられる。
1992年は2度目のドライバーズタイトルを獲得。そしてこの年、往年のラリーファンには懐かしいカストロールカラーに変更されたGT-FOUR RCは素のGT-FOURに対して全幅を55mmワイド化、エンジンは3S-GTE型を踏襲したが、ベースモデルと異なるメタルタービンの採用、インタークーラーが先代のST165型同様に水冷式に改められるなど、WRCを勝ち抜くためのアイテムが数多く投入されていた(ノーマルは235馬力/31.0kg-m)。
これにより信頼性をさらに高め、13戦中、7勝を記録(内カンクネン選手が5勝)。ドライバー、メイクスの両タイトルを獲得し、WRCの完全制覇を果たした。翌94年も年間5勝を上げて、2年連続でWタイトル(ドライバーズタイトルはディディエ・オリオール選手)を獲得するなど、ST185型はトヨタの黄金時代を築き上げた。
電子デバイスを投入したセリカ最後のST205型
セリカによる最後のWRC参戦車両となった6代目ST205型は3S−GTE型のエンジンに変更はなかったが、内部はさらに熟成、強化され、255馬力/31.0kg-mまで向上。
発売と同時にWRC仕様(大型リヤスポイラー/フードエアスクープ(エア トゥー カウルガイド)/ウォーターインジェクション/インタークーラースプレー/ミスファイヤリングシステムを装備)が設定されるなど、電子デバイスが採用された意欲的なマシンであった。
たた、ボディサイズの拡大とと新たに採用された革新のスーパーストラットサスの熟成が進まず、WRCでは苦戦。94年シーズン終盤に投入されたが、初勝利は翌年第4戦フランスのツールド・コルスまでかかってしまう。
さらに、第7戦のラリー・カタルニアでは車両規則違反が発覚。この年の全ポイント剥奪と1年間の出場禁止処分が下される。これによってST205型での活動は2年足らずで終了するとともに、WRCに汚点を残してしまった。
ただ、セリカはWRCに長年参戦し続けることで熟成を重ね、ST165型、ST185型の活躍でWRCの盟主として一時代を築き、欧州の地にトヨタの名前を根付かせたのは間違いのない事実だ。
その後、1997年途中からにST205型開発ノウハウと反省を生かして、よりコンパクトな欧州カローラでWRCに復帰。そして、1999年にはマニファクチャラーズタイトルを獲得し、失った誇りや尊厳を取り戻している。
(写真:TOYOTA MOTORSPORT GmbH)
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