2016年6月23日、国民投票により英国の欧州連合(以下EU)からの離脱が決定された。
2019年4月10日の臨時EU首脳会議で同年10月31日までの離脱再延長が決められたものの、この一連の「右往左往」も含めて、世界経済に大きな不安が広がっている。
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英国がEU加盟国でなくなれば、たとえば英国とEU圏内との行き来にはパスポートが必要となったりするが、これと同様、製造業では現在ゼロとなっている、英国国内からEU圏内輸出の関税が復活することになり、英国国内で商品の生産をしEU圏内に向けて輸出をしている企業にとっては、さまざまなコストやリスクが膨らむことになる。
こうした影響を被るのは日本ももちろん例外ではない。何より自動車メーカーには、英国、そして欧州に生産拠点を持っているものも少なくないからだ(下の地図参照)。
判断を誤れば業績に多大な損失を与えかねないこうした状況のなかで、ホンダが2019年2月「英国工場閉鎖」という決定を下した。しかしながらホンダは今回の英国の欧州離脱が決断の理由ではないという。
このホンダの決断の真相と、その他メーカーの動向、そして今回の撤退が今後どのような影響を及ぼすことになるのかを、福田俊之氏が分析する。
●英国での生産を見直している自動車・部品メーカー
■ホンダ…2021年度中に、スウィンドン工場を閉鎖。直接雇用の従業員3500人は解雇する見通し
■ユニプレス(プレス部品)…英国中部のバーミンガムにホンダ向け工場を持つが、納入先を失うため撤退含め検討中
■テイ・エステック(自動車用シート)…スウィンドンに工場を持つが、ホンダ撤退を受けて販路の切り替えを検討註中
■日産…サンダーランド工場での次期型エクストレイルの生産を白紙撤回(九州工場で生産を発表)
■トヨタ…合意なしにEUを離脱した場合、バーナストン工場、ディーサイド工場の生産休止を検討
※本稿は2019年3月のものに適宜修正を加えています。
※文中の欧州での販売台数は、トヨタ、日産、ホンダはACEA(欧州自動車工業会)より。スズキ、マツダ、三菱はACEAの集計にないため、各社の決算発表資料より
文:福田俊之/写真:ベストカー編集部
初出:『ベストカー』 2019年4月10日号
■ホンダの英工場に「EU離脱」は関係ない?
英国のEUからの「合意なき離脱」という事態が現実味を帯びるなか、ホンダが欧州唯一の自動車工場である英国のスウィンドン工場での生産をやめ、欧州生産から撤退を決断したことで、英政府や業界関係者など各方面に衝撃が広がっている。
3月29日に予定するEU離脱から1カ月あまり前の2月19日午後5時。ホンダの八郷隆弘社長が東京・南青山のホンダ本社で急きょ記者会見を開き、二輪車・四輪車・パワープロダクツの運営体制とグローバル四輪生産体制の変更に伴い、英国とトルコの四輪生産工場での生産を2021年中に終了すると発表した。
この6月には就任丸4年を迎える八郷社長は、FMラジオのDJ番組などにも積極的に出演するトヨタ自動車の豊田章男社長とは正反対。根っからの学究肌でシャイな性格なのだろうか、決算発表や新車のお披露目などの会見にはほとんど顔を出さないことでも知られている。
八郷社長がメディアの前で質疑応答を含めて会見するのは、記憶する限りでは2017年10月の狭山工場閉鎖など国内生産体制の集約発表や、2018年6月に総合商社の丸紅とともに小型ビジネスジェット「ホンダジェット」を、日本でも販売すると発表した以来と思われる。
スウィンドン工場(ホンダ、英国)……1985年2月に設立された、ホンダの欧州唯一の完成車組立工場。シビックハッチバックとシビックタイプRを製造しているが、2017年の生産台数16万6000台のうち、半数は米国や日本などEU圏外に輸出
それはともかく、「ホンダ欧州生産撤退」のニュースは、発表直前の2月18日には英国のBBCなどのメディアが一足先に速報しており、現地報道を受けての緊急会見となった。ただ、ホンダが英国から撤退する理由について、現地メディアの憶測記事と記者会見での八郷社長による発言のニュアンスが微妙に食い違っている点が興味深く、そこに真相が見え隠れしているようにも見受けられたからだ。
メディアでは「英国のEUからの離脱の行方が不透明になっており、英国での生産は競争力を保てないと判断したとみられる」と報道。他方、八郷社長は「ブレグジット(離脱)のことは考慮していない」と述べて、離脱とは関係ないことを重ねて強調した。
しかも「次期『シビック』をどこの国で生産するか、グローバルでの生産能力の適正化を模索して決断した」としながら「英国生産の55%が北米向けのシビックで、今後の電動化加速や北米、欧州の環境規制の違いなどを踏まえ、北米向けは北米で生産すると決めたからだ」とも補足説明した。だが、その理由を額面どおり受け取ることに無理があるのは明々白々だ。
■日産、トヨタ、パナソニックなど他企業の動向は?
「合意なき離脱」の先行きが見通せないなか、すでに、「ゴーン逮捕事件」で仏ルノーとの関係が揺れ動いている日産自動車は、英国のサンダーランド工場で生産を計画していたスポーツ用多目的車(SUV)「エクストレイル」の次期モデルの生産を取りやめ、日本の九州工場で生産することを発表した。
サンダーランド工場(日産、英国)……1984年4月に設立された、イギリス最大の完成車組立工場。キャシュカイ、リーフ、インフィニティQ30などを生産。街の住民の多くがこの工場で働いており、EU離脱で日産が英国撤退となれば、現在直接雇用されている約7000人が失業することになる
トヨタでも生産体制の見直しなどについて具体的な動きは示していないが、「合意なき離脱による影響の大きさと、積み増せる在庫量のバランスを考えても影響なく乗り切ることは至難の業」(トヨタ幹部)と判断しており、生産の一時停止も視野に入れている状況だ。
自動車メーカー以外でも、パナソニックが2018年10月に欧州拠点として本社機能を英国からオランダに移転。ソニーも欧州本社の登記をオランダに移す計画を急いでおり、英国外への流出に歯止めがかからない状況だ。
また、「英国離れ」は日本のメーカーばかりではない。米大手のフォード・モーターも英国での生産から撤退することを示唆しているほか、英ジャガー・ランドローバーも4500人の雇用を削減、独BMWも生産の一部をオランダに移管することを検討するなど現地に動揺が広がっている。
このため、1980年代当時のサッチャー政権のラブコールで、トヨタや日産とともにホンダも日の丸を背負って英国に進出したという経緯があるだけに、八郷社長としてもさらに刺激したくないとの配慮からも慎重な発言を繰り返していたようだった。
では、ホンダの欧州生産撤退の本当の理由は一体何か。ホンダの2018年の四輪車世界販売台数は約520万台。このうち、欧州での新車販売はわずか13万5584台と3%弱にとどまる。
トヨタグループの76万0069台、日産自動車の49万3862台の足元にも及ばないほか、世界販売が300万台規模のスズキでも欧州販売は約30万台、ホンダの3分の一以下規模のマツダや三菱自動車でも欧州での年間販売実績は20万台を超えている。
ホンダのグローバル戦略は、日本、北米、中国、アジア・大洋州、南米、そして欧州の6極体制で進化させてきたが、その重要な一極を占める欧州地域での苦戦が際立っている。
バーナストン工場(トヨタ、英国)……1989年12月に設立されたトヨタの完成車組立工場。アベンシス、オーリスなどを生産。2017年には、TNGAを採用した車両を生産するために、約340億円を投じたトヨタ肝いりの工場だ
ホンダが2021年までに閉鎖を決めた英国工場は1985年に設立。3500人を雇用して生産能力は25万台規模だが、2018年は「シビック」のハッチバックモデルを中心に約16万台を生産したという。
ただホンダは、需要のある近くの国・地域での生産を重視しているが、英工場の場合は欧州向けが低迷しているため、英国を除くEU域内はわずか2割弱、地元の英国内でも15%にすぎず、7割近くは北米や日本向けで、現地生産どころか、もはや“輸出基地”との位置づけになっている。
しかも2014年には2つある生産ラインのうち、1ラインを停止するなど「地産地消」の原則とはかけ離れている。背景にあるのは欧州地域における鳴かず飛ばずの「四輪事業の失速」というお家の事情を抱えていることが大きな理由であり、その意味ではEU離脱と「関係ない」とも言い切れる。
ただ、何故このタイミングで発表したのか、である。
■真意の見えないホンダ戦略
ホンダでは過去にも経営上の重要案件であたかも「外的要因」が理由になるような紛らわしいタイミングで決断を下した例は少なくない。
例えば、2008年秋のリーマン・ショックを契機に、直後に「F1レース」からの撤退や高級車ブランド「アキュラ」の日本導入の断念、さらに、新設の寄居工場(埼玉県)の生産開始の延期などを相次いで決断した。
金融危機の影響で自動車産業を取り巻く環境が急速に悪化し、当時の福井威夫社長も「まったく先が見えない」と唇をかみしめたほどの厳しい状況だったことも事実。
だが、F1の撤退にしても1980年代から1990年代にかけて連続で優勝を重ねた全盛期とは様変わりして表彰台の真ん中に立つ回数が極端に減ったことから技術面でのパワー不足の問題も浮上。
社内でも“金喰い虫”などと批判する声も囁かれていた。撤退の理由は金融危機の影響にとどまらないとの見方もあったが、後継の伊東孝紳社長時代には7年ぶりに復帰を決断することで複合的なものを一蹴、真相はヤブのなかに葬られたままである。
今回のホンダの英工場閉鎖も離脱協定案が英議会で可決される見通しが立っていない最中での“英断”であり、記者会見でも海外メディアの記者から「経営者はみんなブレグジットのリスクを考えているのに、何故あえて考慮しなかったのか」との質問も飛び出したほどである。
確かにホンダの英国からの生産撤退は固有のお家の事情から自らの実力を見極めながらの決断と見受けられるが、英国経済にとっては失業問題などを抱えて大きな打撃となる。
自前主義で「我が道を行く」のがホンダの経営哲学というが、周囲の空気を読まずにEU離脱を巡る混乱状態に紛れての突然の発表では“便乗離脱”と疑われても仕方がないだろう。
ユーロトンネルの正式名称は英仏海峡トンネル。イギリスとフランスを結ぶ全長50.49kmにも達する海底トンネルで、クルマは車運搬用シャトル列車に載せて通行することになる。EU離脱となれば、フランスとの国境を越える際の入国、通関手続きが面倒になる
■脱英国で生じる今後の壁とは? 各メーカーの欧州販売への影響はどうなる?
EUからの離脱問題を巡る混乱が深まるなか、英国では欧州での販売不振という「お家の事情」で生産撤退を表明したホンダ以外にも、自動車メーカーの生産休止や計画見直しなどの動きが相次いでいる。
その背景にあるのは、3月末に離脱が迫っているにもかかわらず、メイ首相が率いる英政府は離脱の条件などについて議会の承認を得るめどが明確になっていないからだ(註:冒頭でも解説した通り、現時点では10月までの離脱期限延長が決まっている)。
このため、「6月末まで」の離脱延期を求める可能性も強まってきてはいるものの、土壇場になっても離脱後に英国がEUをはじめ、日本などの他国とどんな通商関係を締結するのかが相変わらず見通せない状況にある。
加えて、「合意なき離脱」に陥れば、英国からEU域内の自動車輸出に対しては世界貿易機関(WTO)の規定に基づき、関税を即座にかけられることになりかねない。
ブレグジット(Brexit)は「British」と「exit」を合わせた造語。離脱にともない必要となるべき取り決めがなにもない状態でイギリスがEUを離れれば、EU内のみならず日本企業・国内にも大きな影響を及ぼす
例えば、日産自動車の欧州での新車販売台数は年間70万台弱だが、このうち、英国に持つ年産50万台規模の工場から8割程度を欧州向けに輸出している。また、欧州での年間販売が100万台の大台にあと一歩に迫るなど、欧州販売が好調なトヨタ自動車では3割を日本から輸出し、残りの多くを、英国などEU域内から供給している。
トヨタの英国工場では年産20万台レベルで、日産よりは小規模だが、それでも製造しているうちの7割以上がEU向けの輸出に振り分けられている。
通常、EUへ自動車を輸出する場合は、10%の関税が課せられるが、EU域内では関税がかからないため、現在英国からEUへの輸出は無税である。
ところが、欧州では、排ガス不正問題などでディーゼル車の需要が頭打ちで、トヨタのお家芸のハイブリッド車の人気が高まりつつあるが、必ずしも日本車のブランド力が高いとは言い切れない。
英国のEU離脱で、ドイツやイタリアなどの欧州各国がトヨタや日産ブランドなどの英国生産車にも関税をかけるようになれば、価格競争力が低下するのは火を見るよりも明らかだ。
しかも、英国とフランス間を結ぶドーバー海峡をつなぐユーロトンネルでは、新たに通関手続きのための“関所”が設けられることになれば交通網は大渋滞となり、陸送による部品の供給が途絶える恐れもある。
在庫を最小限に抑えるジャスト・イン・タイムの物流オペレーションへの支障による生産活動の停止や、恒常的な物流・生産コスト増による事業収益の悪化、さらに販売価格の見直しなど、企業活動への影響は甚大になることが予想される。
英国での現地生産のメリットはほとんどなくなるため、ホンダが下した“英断”のように、新たな投資も避けざるを得なくなる。
折しも、日本とEUのEPA(経済連携協定)交渉では、EUが課す10%の乗用車関税が7年で撤廃されることが決まり、日本の自動車メーカーはEU向け輸出体制の見直しを含めた検討に入っている。EU離脱後の英国とEUの貿易協定交渉の行方をにらみながら、英国以外のEU域内の工場での増産体制の強化とともに、日本から輸出を増やすなどの方針転換で新車の販売力を高めるしかないだろう。
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