この記事をまとめると
■かつてアメリカには量産車に初めてV12を搭載した「パッカード」という高級自動車メーカーがあった
アメリカンマッスルまでEV化かよ……でもじつはローパワーFFなんて世代もあった「ダッジ・チャージャー」の歴史を振り返る
■コーチビルダーがボディを架装したパッカードの量産車はロールス・ロイスやメルセデス・ベンツに匹敵する存在
■戦後はビッグ3に太刀打ちできなくなり1962年にはその名前が消滅した
その贅沢っぷりはロールス・ロイスにも匹敵
アメリカの自動車メーカーといえば、少し前まではビッグ3と呼ばれたゼネラルモーターズ、フォード、クライスラーがおなじみ。しかしそれ以外にも、アメリカには多くの自動車メーカーがあった。
とりわけ第二次世界大戦前は、まだビッグ3の勢いがさほどでもなかったこともあり、超高級車のデューセンバーグ、デザインもメカニズムも独創的なコードなど、個性的なブランドがいくつもあった。なかでも多くの人に高級車として認められていたのが、パッカードだ。
電気器具の製造会社を経営していたジェームズ・ウォード・パッカードが弟のウィリアム・ダウドなどとともに第1号車を完成させたのは1899年のこと。当初から高品質がアピールポイントで、「パッカードのよさはオーナーに聞け(Ask the Man Who Owns One)」という自信にあふれたキャッチコピーを使っていたほどだ。
そんなパッカードの評価を決定的にしたモデルが、1915年に発表されたツインシックスだ。7リッターのエンジンはその名のとおりV型12気筒で、量産車として初搭載だった。
最近フェラーリが、12気筒をそのまま車名にしたドーディチ・チリンドリを初公開して話題になったけれど、パッカードは100年以上前に似たようなモデルを送り出していたというわけだ。
第一次世界大戦後の1930年にもV12搭載車を、今度はトゥエルブの名で送り出す。排気量は7.3リッターに拡大され、さまざまなコーチビルダーが贅を尽くしたボディを架装した。こうして見てくると、ロールス・ロイスやメルセデス・ベンツに匹敵する存在であったことがわかる。
オーナーも錚々たる人たちが多く、なかでもルーズベルト大統領はパッカードを愛していたことで有名だ。日本でも皇室に納入されたほか、政府高官や大企業の重役向けとしてまとまった数が輸入された。
第二次世界大戦中は多くのメーカー同様、軍需産業に従事。名機スピットファイアなどに積まれたロールス・ロイスのマーリン・エンジンのライセンス生産を手がけた。このエンジンを積んだP-51マスタングは、連合国側の勝利に大きく貢献したことでも知られている。ここでもパッカードの高品質は評価されたのだ。
しかし戦後になると、ビッグ3との力の差が目立つようになり、ボディ製作を依頼していたブリッグスがクライスラーに買収されたこともあって品質も低下。1954年にはレイモンド・ローウィのデザインで知られるスチュードベーカーと合併したものの、数年後には生産を終え、1962年には会社名からもその名が消えた。
ベテランのクルマ好きなら知っているだろう小林 旭氏の「自動車ショー歌」で、「ニッサンするのはパッカード」と歌われたのは1964年なので、すでに消滅してしいたことになる。でも、いまなおこうしてコラムが書かれるぐらいだから、歴史に残るアメリカンメーカーであることは間違いない。
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みんなのコメント
そんな国にケンカ売るとか
どんだけ日本は無謀だったかだな