蕎麦を楽しんだら神戸に向かうつもりが、豊岡杞柳細工との思いがけない出会いがあって、出石の滞在は豊かなものとなった。たくみ工芸を出て、件の土壁に囲まれた楽々鶴の出石酒造を訪ねてみる。1708年創業の老舗は、歴史を感じさせる重厚な建物で、蔵の奥さんが笑顔で迎えてくれた。明治頃の建物ではないか…ということで、ひんやりとした空気と静けさが心地よい。試飲を勧められたものの、運転があるので泣く泣く断念。こればかりはクルマ旅の宿命だから仕方ない…。
長年風雨にさらされた土蔵。歴史と伝統を感じさせる すると、酒粕が目に入った。以前、奈良漬を作ってみようと思い立ってその手順を調べてみたのだが、手間と時間にびっくり。ぬか漬けのようにひと晩で…と考えていたわけではないけれど、ちょっと手に負えないと断念したのだった。で、その後、いい酒粕が手に入った時の定番は、奈良漬ではなくて魚の粕漬になった。これだと、酒粕以外には味噌とみりんと多少の調味料があれば、粕床を何度も替えなくていいし、3日ほどでできる。そして抜群に美味い。出石酒造の酒粕もその香りを嗅いだだけで、期待が高まった。
【ひねもすのたりワゴン生活】滋賀から城崎、そして神戸 5日間1500kmのクルマ旅 その13
酒蔵の設えに目を奪われる さて、残り神戸までは寄り道もせず一直線。旅の疲れが出てきたのか、距離の割に長く感じたけれど、130kmほどで2時間強のドライブだった。この日は、神戸の義姉夫妻を訪ねることになっていて、カーゴルームの発泡スチロールには、城崎で手に入れた日本海の魚介がぎっしり詰まっている。
神戸への道すがら、こんな地名が…アマゴ?釣り好きなら思わず目が止まってしまう(笑) 夕餉はそんな海の幸と旅の土産話で酒が進んだ。長浜、近江八幡、天橋立、伊根の舟屋、城崎温泉、出石…ぶらりぶらりと巡った旅の思い出は、酔いと共に止まらなくなる。出石のたくみ工芸でもらったパンフレットを披露しながら、その出会いの縁と作品の素晴らしさを口にした時だった…。
“同じようなバスケットがある”と義姉が2階に上がっていった。ほどなくして、戻ってきた手には褐色の編みカゴが下がっていた。目の前に置かれたそれは、まさに大正バスケット。出石で見たものとそっくりだった。100年ほど前のもので祖母の嫁入り道具のひとつだという。見事な色艶が乗り越えてきた長い年月を思わせたが、蝶番や角々にかなりの傷みが見てとれ、このままでは使用に耐えられないだろう。聞けば、しばらく仕舞いこんであったらしい。
義姉宅にあった一世紀前の大正バスケット。不思議な縁を感じた そこで、出石に修理を依頼してはどうか…と提案した。あの店なら修復してくれるのではないか…と思いついたのである。とはいえ、同店で製作したものではないだろうから引き受けてくれるどうか、100年も前のバスケットの修理が物理的に可能かどうかも分からない。
翌日、おそるおそる電話を掛けてみた。前日に訪ねた者であること、そして目の前にある大正バスケットの状態、入手の経緯などを伝えると、「やはり、それは100年くらい前のものでしょうね」と、お墨付きが出た。そして修理は可能で、引き受けてくれるという。「金属パーツは当時と同じものが手に入らないから、現在使用しているものになりますが…」。そんな控えめな言葉に職人の誠実さを感じる。私たちは、修理を引き受けてもらえ、長い間眠っていた大正バスケットが甦るチャンスを得たことで充分満足だった。
蕎麦を目当てにたまたま寄った出石…その食後の街歩きで目に入った赤壁…ふと見たらその脇に柳行李の工房があって、それも全国に名を知られる名工の店という幸運。入ってみると大正バスケットが飾られていて、その晩、130km離れた神戸で同じような品と出会うことになった…この不思議な縁に導かれたかのように、偶然に偶然が重なって、一世紀前の大正バスケットが息を吹き返すことになったのだ。
旅の締めくくりは六甲の山間に佇むレストランで洋食。さすが神戸、さりげないメニューがきちんと美味しい そして、柳行李との出会いは、その後もうひとつの縁も紡いでくれた。ふた月ほど経って、私は再び豊岡市を訪ねる機会を得た。演出家平田オリザさんが学長を務める兵庫県立芸術文化観光専門職大学に招かれ、講義することになったのである。
空路、羽田から神戸空港に向かい、迎えに来てくれた同校の小熊教授のクルマで豊岡に向かう。しかし、早めに到着したので、豊岡市内を案内してもらうことにした。前回の旅では、出石町を目指していたので素通りとなり、市街地は見ていなかったからだ。
落ち着いた街並みは歴史を感じさせ、静かでとても住みやすそう。…と、「カバンストリート」という看板が連なる商店街が現れた。以前、取材で岡山県の倉敷を訪ねた時、デニム業者が並ぶジーンズストリートに目を見張ったけれど、ここはカバンらしい。「豊岡はカバンの街なんですよ」と小熊教授が微笑む。同市はカバンの生産量が日本一で、カバンストリートは地場の産業と商店街の活性化を目的に、2005年3月に誕生したという。カバン好きでは人後に落ちないのでさっそく寄ってもらうことにした。しばし歩いていると魅力的なトートが並ぶ一軒が目に入った。Alter Egoという店で、常時300種類の革を用意しているという。オーダーバッグをメインにしているらしいが、店内には品のよい完成品もずらりと並んでいた。そりゃ、抗えるはずがない。矯めつ眇めつ、しばらく品定めして、くすんだ赤ワインのような、実に味わいのある色のトートを持ち帰ることにした。
オーナーは話し上手で、豊岡の歴史、革やデザインについていろいろと教えてくれる。長年愛用している我が革財布も目に留め、丁寧に手入れをしてくれた。気がつけば30分近く話し込んでしまったが、別れ際に、気になっていたことをひとつ質問してみた。それは、なぜ豊岡市でカバン産業が栄えたか…ということだ。すると、ここにもあの縁が繋がっていたのである。
かつて、豊岡の一帯は柳行李の一大生産地だったが、時代の流れと共に柳行李は需要が減っていった。しかし、柳行李を作る優れた技術をカバンの製作に活かし、現在に至っているのだという。豊岡のカバン産業の誕生には、あの柳行李が深く関わっていたのである。いや、柳行李の文化がなければ、現在のカバン産業の隆盛はないと言ってもいい。
さらに………。出石でコリヤナギの枝を選別している光景を見かけたこと、店の名はたくみ工芸だったことを伝えると、「あぁ、コリヤナギの栽培から商品の製造まで一軒ですべて手掛けているのはあそこだけになってしまいました」と言う。たまたま立ち寄ったあの店がまたここで繋がった。
大学の授業でたまたま寄った商店街で、それも偶然入ったカバン工房で、蕎麦のついでに立ち寄った柳小売店との縁が結ばれた不思議……これだから、クルマ旅はやめられない。
豊岡市の繁華街に伸びるカバンストリート。個性的な専門店が軒を連ねる 5日間で1500km。いつものように、思いつきと寄り道の繰り返しだったけれど、忘れられない思い出が連なる至福の旅となった。そして、縁の不思議が身に染みた旅でもあったのである。
Text&Photo:三浦 修
【筆者の紹介】三浦 修BXやXMのワゴンを乗り継いで、現在はEクラスのワゴンをパートナーに、晴耕雨読なぐうたら生活。月刊誌編集長を経て、編集執筆や企画で糊口をしのぐ典型的活字中毒者。
【ひねもすのたりワゴン生活】旅、キャンプ、釣り、果樹園…相棒のステーションワゴンとのんびり暮らすあれやこれやを綴ったエッセイ。
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