■決して順調とはいえなかった、日本の自動車製造の黎明期
日本の自動車製造は1920年代半ばに始まりましたが、現在でも10以上の国産自動車メーカーが存在します。これは自動車を生産する先進国において、じつは稀なことです。
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いったい、なぜこれだけ多くの自動車メーカーが存在しているのでしょうか。
日本で独自に自動車を生産するという試みは、国立科学博物館(東京・上野)の資料によると、大正時代から昭和初期に現れたとされます。
その一例は、大正末期に1リッター空冷4気筒エンジンを積んだ「オートモ号」を300台ほど生産した豊川順彌氏です。あるいは、750ccV型4気筒エンジン搭載の前輪駆動車「筑波」を設計・生産し、約150台販売した川真田和旺氏などの事業でした。
ただし、それらは資本力不足や未熟な技術が災いして、すでに大量生産・販売による圧倒的な価格競争力を確立していた、米国のフォードモーターやゼネラルモーターズ(GM)との勝ち目の無い競争にあっさり敗れて、消滅の憂き目を見てしまいます。
その後、国産自動車の近代企業としての先駆けといわれているのが、1930年代にスタートした日産とトヨタです。
自動車総合産業への進出を目論んだ企業家の鮎川義介氏は、自動車生産の周辺機器・部品産業を次々に買収して準備を進めます。
そして、1933年にフォードやGMとの熾烈な競争で苦しんでいた大阪のメーカー「ダット自動車」を買収し、未曾有の巨費を投じて「自動車製造株式会社」(後の日産自動車)を設立します。
鮎川氏は、米国メーカーに倣った近代的な自動車工場を横浜に建設しました。
日産は米国車と競合を避け、750ccクラスの小型車「ダットサン」の量産をスタートさせます。その一方で、日本の自動車市場を席巻していたフォードやシボレーの補修用部品を製造し、納品するという戦略的な経営で臨みました。
いっぽう、自動織機の特許で巨万の富を得た豊田佐吉氏も、自動車産業の将来性に着目しました。きっかけは、1910年の渡米でT型フォードの流行を目の当たりにしたことだとされています。
1929年、豊田自動織機のパテントを英国企業に売却して得た10万ポンド(邦貨に換算すると約10数億円)は、有能な技術者となった佐吉氏の長男・豊田喜一郎氏がトヨタ自動車を興すための資金となり、1933年豊田自動織機の正式な事業として自動車製造が始まります。
トヨタはスタート直後からフォードやシボレーの普通車クラスに挑みます。1936年に登場した「AA型」に搭載したエンジンは、完全なシボレー製6気筒のコピーでした。トヨタのクルマづくりは、米国車の模倣から始まったのです。
■日本の自動車産業が大きく発展した要因とは?
ところが、ようやく芽生えた自動車産業のその後は、勃発した太平洋戦争で途絶えてしまいます。
その太平洋戦争に敗れ、日本は占領軍(実質的には米国)の統治下に置かれます。そして、戦時中の軍需産業を支えた大企業はGHQの財閥解体政策で散り散りになりました。
なかでも、戦時を支えた高度な航空機設計・製造会社は完全に解体されてしまいます。その後、小さな企業に分割されたかつての航空機製造企業の設計製造技術者は、戦後に自らの設計技術の腕を示すステージとして、自動車設計・製造に意欲を燃やすことになりました。
代表的な例は、旧立川飛行機の技術者が揃い、後に国産乗用車の伝説をつくりだす「スカイライン」を生んだプリンス自動車であり、同じく旧中島飛行機から分離して1950年代後期に政府が提唱した国民車構想に合致した軽自動車「スバル360」を送り出すスバル(旧:富士重工業)です。
さらに、大財閥の一翼を担っていた三菱重工業も自動車製造に名乗りを上げます。
また、街のオートバイ屋の発展形として貨物車のオート三輪製造社が数々誕生します。そのなかにはマツダ(旧:東洋工業)やクロガネ自動車、軽三輪貨物車「ミゼット」を送り出すダイハツなどもありました。
これらの製造会社が、現在の日本自動車産業を支えているのです。
戦後、1952年のサンフランシスコ講和条約で晴れて独立国となった日本に欧米から多彩な乗用車が入ってきました。
政府は国内自動車各社に乗用車設計・生産ノウハウを早急に習得させるため海外メーカーとの提携を勧め、日野はルノー「4CV」、いすゞはヒルマン「ミンクス」、日産はオースティン「A40」のノックダウン生産をおこないます。
各社の実直生真面目な日本人技術者や従業員は、自動車生産に必要なノウハウを素早く習得し、その後の国産自動車の大飛躍の下地が固められました。
1960年代になると欧州車のノックダウン生産で自動車の設計・生産技術を学んだ各社から、優秀なクルマを送り出されるようになります。
そして、1962年にホンダが鈴鹿サーキットを建設。1964年に名神高速開通を皮切りに自動車高速道路網が整備され、国産自動車に高速時代が訪れます。
100km/hが合法化された高速時代の到来は、国産車に欠けていた最高速度のみならず、加速性能、制動性能、操縦安定性、ハンドリング性能などを早急に身に付ける必要がありました。
加えて、その性能アップは日本車の国際競争力を飛躍的に向上させ、国産自動車は1960年代半ばから輸出商品として急成長します。
当時、自動車最大市場である北米への輸出が成功しなかったなら、国内自動車メーカーが10社を超えるほど、多く生き残ることはなかったといわれています。北米向け輸出に支えられ、日本の自動車産業は1960年代の高度経済成長をけん引しました。
■多くの自動車メーカーが生き残りをかけておこなうグループ再編とは?
国内GNPの拡大にあわせて、日本国内の乗用車市場も成長します。
1966年にダットサン(日産)「サニー」、トヨタ「カローラ」が相次いで発売されます。“マイカー”という言葉が生まれ、ベストセラーの座を競いました。
また、この年にはスバルから技術的に先進的な「スバル1000」がデビューしており、シャシ前部にコンパクトな水平対向4気筒を積んで前輪を駆動する合理的なレイアウトは、その後の欧州のベーシックカーを思わせます。
1960年代後期には、個性的なスポーツカーが登場します。それは、東洋工業(当時)が社運を賭けたといわれる画期的なロータリーエンジンを搭載した、マツダ「コスモスポーツ」です。
また、1969年に日産が2人乗りスポーツカーの「フェアレディZ」を発売し、米国では『Z-Car』の愛称で大ヒットします。
1970年代に入り、2度のオイルショックと公害問題で、輸出で急成長してきた日本車にも暗雲が漂います。しかし、米ビッグ3も不可能だとしたマスキー法を、世界で初めてホンダ「シビック」に搭載されたCVCCエンジンがクリアします。
この結果により、排気ガス問題を触媒などの後処理ではなく、燃焼技術で克服したホンダ製エンジンは、世界的に絶賛されました。
1980年代のバブル経済を経て、日本車はあらゆる面で世界水準に到達しました。日本の自動車メーカー各社は、米国との貿易摩擦に対処するために競って北米に生産拠点を建設、現地生産に軸足を移しながら現在も成長を目指しています。
※ ※ ※
日本の自動車メーカーは、海外法人との関係も含めて合従連衡(がっしょうれんこう)を繰り返しながら、1960年代とほぼ同数残っています。これは、前述したとおり世界最大の自動車市場である米国への輸出に支えられた結果です。
もちろん、最初から左ハンドル車として設計・生産するなど、各メーカーによる仕向地に合わせた細かな商品戦略も成功しました。
現在、日本の自動車業界は、ダイハツと日野に加えスバル、マツダが提携し、スズキにも資本参加して一大グループとなったトヨタ陣営。そして、仏ルノー傘下の日産と三菱のアライアンス、そして独立路線を貫くホンダの3陣営が覇を競っています。
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