高級セダンが飛ぶように売れたバブル景気の真っ只中に登場した、三菱「6代目ギャラン」。高出力ターボエンジンに4WD、4WSなどを組み合わせたハイスペックなギャランは、スポーツモデルの走りをも凌ぐスーパーセダンであり、三菱が誇る「あの名車」の元祖にもなったモデルです。6代目ギャランの成り立ちや果たした役割について、振り返ります。
文:Mr.ソラン、エムスリープロダクション
写真:三菱自動車、ベストカー編集部
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「ラリーの三菱」復権を任された、6代目ギャラン
1970年代のオイルショックと厳しい排ガス規制から解放された1980年代の日本市場は、その反動とバブル景気の追い風もあって高性能化とハイテク化の時代へ突入します。DOHCやターボは当たり前、競うように多くのスポーティな高性能モデルが登場し、走りを愛するクルマファンは、その性能に酔いしれました。
そんな80年代中盤の1987年10月、三菱自動車から6代目ギャランがデビュー。特に注目されたのは、WRC(世界ラリー選手権)制覇を前提に開発されたトップグレードの「VR(Victory Runner)-4」でした。
三菱の国際ラリー参戦の歴史は古く、1967年の三菱コルト1000Fによるサザンクロスラリーの挑戦まで遡ります。その後、名車ランサー1600GSRでサザンクロスラリー(1973年)、サファリラリー(1974年)での総合優勝を果たし、世界に「ラリーの三菱」の名を轟かせます。
しかし、その後参戦したランサーEXターボやスタリオン4WDは、ランサーのように輝くことはできませんでした。そこで、「ラリーの三菱」復権を果たすべくデビューしたのが、6代目ギャランだったのです。
1973年に登場したランサー1600GSR。これをベースとしたラリーカーで、サザンクロスラリーとサファリ―ラリーで計7回の総合優勝を飾る
ラリー復活の狼煙を上げたギャランVR-4の凄さ
6代目ギャランは、落ち着いたシックなイメージの先代ギャランシグマからシグマのサブネームが省かれ、すべてが刷新されました。フロントグリルを2分割した逆スラントノーズに、サイドセクションにS字断面を導入した“オーガニックフォルム”を採用。背の低いスマートな4ドアセダンが主流の中にあって、背の高いガッチリした硬派なスタイリングが際立って見えました。
搭載エンジンは、三菱が誇る名機4G63(2.0L DOHC 16バルブ)エンジンを筆頭に、1.6Lと1.8LのSOHCエンジン、1.8Lのディーゼルターボなどの4種、駆動方式はFFとフルタイム4WDが用意されました。
当時の先進技術の粋を結集したハイスペックのギャランVR-4は、2ヶ月遅れで登場。VR-4のエンジンは、4G63に三菱重工製のターボを装着し、最高出力205PS/最大トルク30kgmを発揮。その強力なパワーを余すことなく路面に伝達するためにフルタイム4WDを組み合わせ、さらに4WDとABSを合体。これに留まらず、4WS(4輪操舵)、4IS(4輪独立サスペンション)を加え、これらのハイテク技術は総称して「アクティブ4」と呼ばれました。
このようにして仕上げられたVR-4は、セダンとは思えぬ動力性能と高度な操縦安定性、制動性能を発揮して、WRCラリー復活の狼煙を上げたのです。
1987年に登場した6代目ギャラン。先代ギャランシグマの落ち着いた大人のイメージから、逆スラントノーズの精悍なスタイルに変貌
5年間で総合優勝6回という輝かしい戦歴
ギャランのWRC参戦が決まったのは、市販車リリースの直前のこと。少人数のラリーチームは睡眠時間を削って突貫工事でラリー車の製作を行いました。VR-4ベースのラリー車は、ボディが大きく不利な面もありましたが、4G63エンジンはもともと低中速トルクに優れたエンジンであり、さらに過給圧を上げて最高出力300PS超までパワーアップ。エンジンと並行して実車のチューニングと耐久信頼性の確認試験が急ピッチで進められました。
そして、いよいよ1988年のWRC最終戦RACラリー(現在はラリー・オブ・グレートブリテン)にフィンランド人のバタネン選手を擁して参戦。最終日までトップ争いを展開し、2つのSSでトップタイムを刻みますが、エンジンのオーバーヒートでリタイアしてしまいます。
しかし、VR-4ラリーマシンの力強い走りを見て開発陣は「いける」と確信。その確信を裏付けるように、翌年1989年には1000湖ラリー(ラリー・フィンランド)とRACラリーで早々と総合優勝を飾ります。
最終的な戦歴は、1988年から1992年の5年間で、総合優勝6回、2位4回という輝かしいものでした。また、そのうちの最後の2回の優勝は、三菱の社員でもあった篠塚健次郎選手によるもので、日本人初のWRC優勝ドライバーという金字塔を打ち立てたのでした。
ランエボの功績は、VR-4あってこそ
VR-4で熟成された高性能技術は、1992年にランエボ(ランサーエボリューション)へ引き継がれました。その後、ランエボが10代23年間にわたり進化し続け、今なおその活躍が多くのファンの脳裏に刻まれ、語り継がれているのも、ギャランVR-4の存在があってこそなのです。
また、ランエボの元祖であるだけでなく、その後のハイテク高級セダンのディマンテや高性能4WDスポーツのGTOにも多くの技術が移植されたことは言うまでもありません。ギャランで培われた過給技術や4WDなどアクティブ4技術が、その後の三菱車の開発にとって大きな財産をもたらしたのです。
さらにVR-4の成果としてもうひとつ忘れてならないのは、日本人ドライバーを世界の檜舞台に登場させたことです。先述したように日本人初のWRCグループAの優勝ドライバー篠塚健次郎選手の他にも、グループN(無改造車)で日本人として初めて優勝した井上潔選手が操ったのも、やはりVR-4だったのです。
1993年に登場したランエボII。これをベースにしたラリーカーで、1995年のスウェディッシュ・ラリーでランエボ初の優勝。ここから、ランエボの躍進が始まった
◆ ◆ ◆
6代目ギャランは、単にスポーツモデルの性能を凌ぐスーパーセダンとしての存在に留まらず、その後の三菱自動車の開発に多くの財産をもたらし、名車ランエボを誕生させました。もし、ギャランが存在しなかったなら、ランエボは生まれていなかったかもしれません。1990年代の日本車のラリー黄金時代は迎えられなかったかもしれませんね。
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みんなのコメント
そこにこういう背の高い真っ当なセダンを出して成功したというのは、実は凄いことなんじゃないかと思っている。ギャランの後だとセフィーロやプリメーラが近いポジションのセダンとしてデビューしたけど、もっと流麗な感じだった。ホンダのアコードはアメリカ逆輸入のバタ臭いイメージで売っていたし。マッシブで無骨とも言えるデザインを、「うねりのフォルム」と言い換えた広告のセンスが殊勲賞ものだった。その数年前の「トラッド・サニー」に匹敵すると思う。