今週末ついにF1が鈴鹿に帰ってきた。鈴鹿サーキットは日本のレースの聖地であり、多くのF1ドライバー達に愛されてきた。事実F1ドライバー達に彼らの一番好きなサーキットを尋ねると、ほとんどが鈴鹿と答える程なのだ。そんな鈴鹿サーキットを元F1メカニックの津川哲夫氏が解説する。
文/津川哲夫
写真/Redbull
日本グランプリ開幕! セナ、マンセル、シューマッハ……、数々の名場面を見せてくれた鈴鹿サーキットを振り返る
F1を通算30回以上開催している鈴鹿サーキット
2019年鈴鹿。この後マックスとルクレールが接触
1987年から始まった鈴鹿でのF1日本グランプリ。2007/2008年に富士スピードウェイでの開催もあったが、その後は再び鈴鹿での開催に戻った。そして2022年の今年、コロナ禍での2回の中止を経てF1グランプリが鈴鹿へと帰ってきた。F1グランプリを通算で30回以上開催しているサーキットは実はそれほど多くなくはない。今や鈴鹿はF1の偉大なるクラシックサーキットとしてF1界で認知されている。
鈴鹿サーキットはオランダ人のハンス・フーゲンホルツの設計でホンダが建造したサーキット。その基本的なレイアウトは現在にも残されているが、もちろん60年代のサーキットがそのまま現在のF1に通用するわけもなく、近代F1への対処がされ、現在のレイアウトへと変更されている。それでも鈴鹿の原点たるテクニカルな前半と高速コーナーとストレートで構成される後半の高速域はレース史に残る数々の名レースを生み出してきた。
日本グランプリでは名場面や衝撃的なシーンを目撃することになる
鈴鹿の記憶は名場面ばかりではない。シーズン最終戦のチャンピオン争いで、殺気を帯びた激戦やそれに伴うアクシデント等も多々発生し、それらの苦い記憶もまた刻まれてきた。
ピケとマンセルの確執があった87年。予選でマンセルがクラッシュしレース出場をやめたことで、ピケは戦わずしてチャンピオンを獲得している。また、セナとプロストの戦いは接触ではなく、まさに相手を潰すような体当たりに近いアクシデントでチャンピオンを決めた。そんな黒歴史もまた鈴鹿史の一頁を埋めている。
そのセナは88年に、ここ鈴鹿でプロストを追い詰めて優勝。セナの初タイトルを決めた歴史的な年となり、もちろん彼らのマクラーレン・ホンダは絶頂期を迎えたのだ。
セナとプロストの確執はレースバトルを超え、89年のシケイン事件でも政治と確執が真のバトルを超えた結果、失格裁定によってもたらされた。優勝者はセナ・プロストの確執のとばっちりをうけた祝福のない悲しい優勝でもあった。それがベネトンのアレッサンドロ・ナニーニのF1初優勝であった。そしてセナとプロストの確執は鈴鹿のF1グランプリを3年連続で醜いものにしてしまった。それは前年89年のシケイン事件の意趣返しが行われ、鈴鹿のスタート直後の第一コーナーでセナはプロストに当たり、双方リタイアでセナがチャンピオンを決めてしまった。このレースではフェラーリのマンセルがリードするも、タイヤ交換のピットストップでドライブシャフトを折ってリタイアしている。
その後はベネトンのピケとモレノのワンツーでレースを終えた。2位のモレノはこの日本グランプリ前に前年の優勝者ナニーニがヘリコプター事故で腕を失ったことで急遽代役として走ってのワンツーフィニッシュ。そして3位はF1史上日本人最高位フィニッシュの鈴木亜久里だった。90年鈴鹿F1グランプリはダークなスタートながら、そのエンディングは鈴鹿を埋めた観客をおおいに熱くさせた結果であった。
シーズン最終戦の鈴鹿では多くのチャンピオンを輩出し続けた
超満員の鈴鹿サーキット
セナの3回目チャンプは鈴鹿で獲得。また、デーモン・ヒルもここでチャンプを決め、ハッキネンの初チャンプも鈴鹿だった。
2000年にはシューマッハがフェラーリに歴史的なチャンピオンをもたらし、フェラーリ黄金時代の幕を開けたのもこの鈴鹿であった。
まだ鈴鹿が最終戦を担っていた時代。F1グランプリは常に白熱した戦いが行われ、チャンピオン争いはいつも鈴鹿にまで持ち越されてきた。したがって鈴鹿でのF1グランプリの多くがチャンピオン決定戦になっていたのだ。しかしF1を取り巻く状況は大きく変わり、現在では年間20レースを超える。このため鈴鹿以後にまだ4レースも残っている。
最終戦ではない鈴鹿ではもうチャンピオン決定戦を見ることはほとんどないだろう……と考えられていた。ところが、今シーズンその4レースを残しながらも鈴鹿はチャンピオン決定戦になってしまった。レッドブルのフェルスタッペン対フェラーリのルクレール。もちろん既にフェルスタッペンのチャンピオンは決まったようなものだが、この鈴鹿でそれが公式に決まる可能性が極めて高いというわけだ。
今期の鈴鹿はシーズン終了までまだ4レースを残す終盤の通過点の一つ……ではなく、またもやF1史の1頁にチャンピオン決定の歴史を書き込めるかもしれないのだ。
津川哲夫
1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
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みんなのコメント
もちろん更新したのは、ミハエルだよ。
“優勝者はセナ・プロストの確執のとばっちりをうけた祝福のない悲しい優勝でもあった。”だって?
表彰まで(失格判定の為)時間がかかったがセナファン以外は皆で祝福したぞ?
津川氏はどこで観てたの?
あの時そのポジションにいたからナンニーニは優勝できた
立派な勝利だよ!