1986年から1990年頃までの好景気の時代、通称「バブル期」には、日本メーカーがこぞって“高級車”を市場に投入した。小川フミオが気になる5台を選ぶ!
いわゆるバブル経済下で自動車産業をみていて、なにがおもしろかったって、メーカー同士の強烈な競合関係だ。とりわけ、首位のトヨタ自動車と、その座を追う日産自動車が、製品を通してしれつな争いを繰り広げていた。
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やっぱり“1強”ではなく、強烈な首位あらそいがあると、外野で観ていて楽しい。しかも、その結果生まれるプロダクトは、たいてい消費者のメリットになる。評価されて売れなくては、争いに勝てないからだ。
トヨタと日産はずっと”クラウン対セドリック”の争いを続けてきた。同時に”カローラ対サニー”も1970年代までは大きな戦いだった。でも、ラインナップの頂点ともいえるクラウンとセドリックで顧客を奪い合っていたのがバブルの時代だった。トヨタは1987年に、4カ月間で3万台を超えるクラウンを販売したという実績も残しているから、あらためて当時の高級車市場の大きさに驚く。
その戦いの行き着いた先が、1989年のレクサス「LS400」の登場である。日本ではトヨタ・セルシオとして販売された。日産も同年、インフィニティを北米で立ち上げ、トップモデルとして「Q45」を送り出した。
1971年の3代目セドリック(とグロリア)から本格的になった、クラウンとセドリックのシェアあらそいが、レクサスとインフィニティへ発展したのがバブル期以後で、ふたつのプレミアム・ブランドは、製品の方向性はやや変わったものの、いまも健在である。
レクサスはセダンとクーペとSUVで、インフィニティも同様。ただし前者が40モデルちかい展開であるのに対し、後者は5モデルとつつましやか。インフィニティは1989年のQ45いらい、おりにふれて日本上陸が噂されながら、実現していない。
この頃、ほかのメーカーもがんばった。北米では車両価格3万5000ドル(当時)が、まぁまぁお金のあるひとが手を出せる価格の目安で、そこの市場に向けて多くのクルマが開発された。そして、その余力をもって、日本市場でも車種展開されたのである。そのなかから、印象的な5台をチョイスした。
(1)トヨタ「セルシオ」(初代)
北米でのデビューが、1989年1月。私はそのとき、デトロイト自動車ショーにいっていた。すると、天皇崩御の報が。レクサスLS400として登場した初代セルシオは、鮮明に記憶に残っている。
エンジンは、1987年登場の8代目クラウン「4000ロイヤルサルーンG・V8」にも搭載されていた3968ccのV型8気筒。260psのユニットで、いまでも充分パワフルであると感じられる。
セルシオがクラウンと一線を画していたのは、ボディとエンジンのマウントをはじめ、あらゆる個所に手を入れて低振動性を実現するなど、トヨタが考える”最高のセダン”を目指した点だ。
初代は、たとえば後席重視の「C仕様」など豪華装備満載だったとはいえ、理想主義的に作られていた。内外装のデザインも華美に走らず、たとえばクロームのモールの使用もごく控えめ。これが高級の最高のかたちなら、クラウン(8代目)はなんであんなに“ギラギラしているのか”と、笑えたのも事実だ。
プレスドアを使うなど、ボディによけいな突起物を設けず、結果、CD値(空気抵抗係数)は0.29と、なかなか努力しても0.30を切れない競合たちを尻目に、偉業を成し遂げたのも驚くべきことである。
1994年には、かなりキープコンセプトのフルモデルチェンジがおこなわれた。ボディの剛性強化と、ホイールベース延長による車内(後席)スペースの拡大など、高級セダンとしての立ち位置がより明確化した。
が、操縦性はあきらかに初代のほうがよかった記憶がある。足まわりのしなやかさも、初代のほうが上だった。初代セルシオはいまでも乗る価値がある。2代目は買わないで、貯金にまわしてもいいだろう。
(2)日産「インフィニティQ45」(初代)
日産が北米市場むけに開発した高級車ブランドがインフィニティ。トヨタのレクサスとおなじく1989年にデビューした。そのときのフラッグシップが、Q45だ。
全長5090mmのボディに、4494ccのV型8気筒エンジンを搭載していた。このエンジンは新開発。翌1990年には、Q45をベースにフルモデルチェンジした、政財界むけの新型「プレジデント」にも搭載されたものだ。
Q45は当時、グリルレスグリルというこのマーケットではかなり大胆なデザインテーマを採用。インフィニティのエンブレムを七宝で作り、ヘッドランプのあいだにはそれだけを掲げた。そのコンセプトも当時はおおいに話題になった。
日産らしく(と、つい書いてしまう)ドライバビリティの高いモデルで、4輪マルチリンク形式のサスペンションには油圧式アクティブタイプもオプションで設定されており、かなりよく走った。
ワインディングロードもお手のものだ。初代セルシオはいま乗ると軽快で楽しいものの、当時、トヨタと日産のフラグシップ同士をバック・トゥ・バック(乗り換え)で試乗したときは、あきらかにQ45のほうがドライブフィールはよくて、走り屋好みだった。
でも、セルシオに惨敗してしまう。1996年に販売中止に追い込まれるまでに、とってつけたようなグリルを新設し(1993年)、”ふつうの”セダンに見せようと、さまざまな手が尽くされたが、結局、オリジナルデザインのいいところも損ねてしまうことに……。
とはいえ、この独自デザインにいま乗ってみたい。迫力がしっかりあるのだ。いや、開発者の気迫といったほうがいいかもしれない。
(3)ホンダ「レジェンド」(2代目)
あのホンダがついにここまで、と、強い感慨をいただかせたのが、1985年登場の初代レジェンドだった。クーペもスタイリッシュで印象ぶかい。しかしメインの北米市場では全長4690mmのボディサイズはやや貧弱に見えたようで、1990年にフルモデルチェンジした2代目は全長が4940mmへと拡大した。
オーソドックスなスタイルのセダンを作ろうと思ったら、プロポーションはどうしても似てしまう。前輪とドアの関係や、リア・クオーター・ピラーの位置や、ウィンドウグラフィクスは、大きく手は入れにくい。
2代目レジェンドは、ホンダ流のうんと低いノーズで個性を出した。くわえて、(セルシオのように)リア・クオーター・ウィンドウはあえて持たないスタイルを選択。これは西欧ではドライバーズカーによく見られるデザインテーマである。
ホンダは2代目レジェンドを、走りも積極的に楽しめるクルマにしようとしていた。エンジンはV型6気筒、かつ前輪駆動。市場のイメージからすると、セルシオやQ45のV8+後輪駆動なるオーセンティックなレイアウトに負けていた。高級車は多気筒、というのがいまに至る自動車界の”常識”だからだ。
しかしホンダは、よりコンパクトで軽量なV6でよしとした。なぜなら、操縦安定性にすぐれていれば、215psの3.2リッターエンジンでじゅうぶん、と、判断したからだ。ただしエンジンは縦置きにしてよりすぐれた操縦性を目指すなど、ホンダなりの凝りかたで出来ていたのも事実である。
実際にドライバーズカーとして楽しいモデルだった。スタイリングはホンダ車としてはやや落ち着きすぎているのが、残念といえば残念。でもそう思うひとは、1991年に発表された、ややショートホイールベースの「クーペ」を選べばよいのだ。1996年まで生産された。
(4)ユーノス「コスモ」
当時のクルマにいままた乗れるなら、筆頭にあげたい1台がユーノス・コスモだ。1990年に3ローターという新開発のパワフルなエンジンを搭載してデビューしたときは驚いた。
しかもボディはセダンをベースにしておらず、最初から専用に開発されていた。それだけに妥協が感じられない。ロングフード(実際はロータリーエンジンなのでスペースはさほど必要ないのだけれど)とショートデッキ。
フロントマスクをできるかぎり薄く作っているのが、たまらなくスタイリッシュである。8シリーズ(1990年)を出したBMWのように、マツダも、大型クーペにこだわりをみせてくれた。
全長は4815mmもあるのに、コクピットはタイトに作られている。後席など、ポルシェ「928」と同様、荷物置き場というぐらいのスペースしかない。クーペでも4人乗れるようにパッケージを優先するか、あるいは、2プラス2と割り切るかは、メーカーの考えかたしだい。私は個人的に後者が好きだ。
3ローターの20B-REWエンジンは、数値こそ当時の”自主規制”により280psとされていた(そう発表しないといけなかった)。でもおそらく、280ps車のなかでは突出してパワフルだったのではないだろうか。そんな印象を受けたものだ。
いっぽうエンジンがまわるときのなめらかさはV12なみ、とされていた。つまり数値の面でも感覚の面でも、最高峰をめざしたのだ。コスモが登場した当時、マツダは国内の多チャネル化と、北米での高級ブランド新設という目標を追っていた。
コスモが北米で売られる予定だったかさだかではない。いずれにせよ、この技術のかたまりのようなクーペが、日本でのみ販売された、というのが嬉しい気分も味わわせてくれた。
(5)スバル「アルシオーネSVX」
こちらも歴史に残るグランツアラーだ。スバル車といえば水平対向エンジンで認知があがっていたなか、1991年登場のアルシオーネSVXに3318ccの水平対向6気筒エンジンが搭載されたのは衝撃的だった。
全長4625mmの2ドアボディは、ジョルジェット・ジュジャーロひきいるイタルデザインが手がけており、はたんのないプロポーションと、ほぼガラスで覆われたグラスキャビンなどのディテールがうまく組み合わせられていた。
オーセンティックなプロポーションと、誰もやったことのないディテールをマッチングさせる。上手なデザイン手法と感心したものだ。イタルデザインはSUBARU(当時は富士重工業)と関係をもっていたものの、「まるごと1台をまかせたのはアルシオーネSVXが初めてだった」と、内部のひとは語る。
メカニズムは、フラッグシップだっただけにSUBARU技術者の肝煎りだった。「VTD-4WD」なる不等&可変トルク配分電子制御4WDシステムが搭載されたうえ、ビスカス式リアLSD(リミテッドスリップディファレンシャルギア)、さらに一部車種には4WS(4輪操舵システム)も、と、ホントぜいたくなモデルだ。
米国でのキャッチフレーズは「500 miles a day」。スタイリッシュさにくわえ、1日に500マイル走れるグランドツアラーという機能性も喧伝されたのだ。ただし燃費がさほどよくないため、実際に500マイルは無理だったという証言も。
トヨタや日産は、まっとうな手法で、メルセデス・ベンツやキャデラックの牙城を崩そうと骨を折っていた時代。ホンダ、マツダ、SUBARUはまた独自のアプローチで、上級車マーケットの一角に位置を占めることを狙っていた。それがこのように、ユニークなモデルの数かずを生み出したのだ。
バブルの時代に、イタリアルネサンスブームというもあった。レオナルド・ダビンチやミケランジェロ・ブオナローティらが活躍して、すばらしい作品を残せたのは、裕福なパトロンの存在を抜きにできない。そんなふうに言われたものだ。お金があった時代に、日本の自動車メーカーが、いまなお語り継がれているモデルの数かずを作ったのも、どこか似ているような気がするのである。
文・小川フミオ
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みんなのコメント
ある意味このぜいたくなモデルを新車時に享受できたのは、数少ない方々だったと思うが、その方々が乗換を考えたとき候補になるモデルの継続性が、この後無かったものが多くなったことが、和製高級車のブランド力が高まらなかった原因だろう。