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プリウスに嫉妬した男 「ボブ・ルッツ」が携わった名車・迷車 25選 BMW、GMで活躍

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プリウスに嫉妬した男 「ボブ・ルッツ」が携わった名車・迷車 25選 BMW、GMで活躍

複数の大手メーカーの重役を歴任

ロバート・アンソニー・ルッツ氏は自動車産業史における主要人物の1人である。1932年にスイスで生まれ、戦闘機パイロット、掃除機のセールスマンを経て、クライスラー、フォード、ゼネラルモーターズ(GM)の「ビッグスリー」全社とBMWの上級役員を歴任した。

【画像】ボブ・ルッツは「奇抜」なデザインも意外と好きだった?【当時斬新だったモデル(シボレーSSR、メルクールXR4Tiなど)を写真で見る】 全28枚

今回は、 “ボブ・ルッツ” の愛称で知られる彼のキャリアを振り返り、これまでに携わった数多くのクルマを年代順に紹介する。ミドエンジン車にしたかったという第7世代のシボレー・コルベットや、開発に携わりたかったという初代トヨタ・プリウスについても触れる。

オペルGT(1968年)

幼少期に米国国籍を取得したルッツ氏だが、自動車業界で最初に重要なポストに就いたのはドイツで、当時GMの主要欧州ブランドだったオペルに勤務していた。彼はこの時代のオペルを「基本的には退屈な人々のために退屈なクルマを作っている」と評している。

実際、オペル・カデットをベースにしたスポーツカー「GT」を作ることに対して、社内の抵抗を受けた。第3世代のシボレー・コルベットにも似たGTの存在意義をアピールするのも大変な仕事だったが、最終的にオペルは説得に応じる。GTは当初スタイリングの練習台だったが、市販車として結実した。

オペル・レコルト(1972年)

ルッツ氏はレコルトDの外観について自分の手柄だとは言っていないが、デザイナーであるチャック・ジョーダン氏(1927-2010)を多かれ少なかれそそのかし、このようなルックスに仕上げたとされている。

しばしば欧州と米国のデザインの違いについて講義を行うルッツ氏に対し、ジョーダン氏は自身の仕事のやり方に口出しされることをありがたく思わなかったが、いくつかのコメントは受け止めたという。

ルッツ氏によれば、ジョーダン氏はレコルトで「ジウジアーロを打ち負かす」と決意したそうだ。数年後、その結果について「あのクルマは完璧に近かった。素晴らしい出来栄えだった」と語っている。

BMW 5シリーズ(1972年)

オペル・レコルトが発売される頃には、ルッツ氏はBMWに移籍していた。BMWはGMよりもはるかに高額な報酬を用意したという。時期的に初代5シリーズのデザインに影響を与えることはなかったが、なぜこのモデルからBMWで「数字1桁+シリーズ」のネーミングを採用することになったのか、ルッツ氏はその理由を語っている。

アイデアはセールスマネージャーから提案されたもので、ルッツ氏いわく「(マネージャーは)あまり想像力や創造性に富んだ人ではなかった」が、アイデア自体は従来のネーミング方式よりも大きく改善されるものだと感じたという。以来、BMWはこのネーミングを使用し続けている。

BMW 2002ターボ(1973年)

ルッツ氏が言うには、02シリーズのターボ付き高性能モデルは「パフォーマンスが美化され、アウトバーンでの速度が過剰とみなされることはなかった」時代に開発された。しかし、発表と同時期に世界的な石油危機が始まり、突然燃費が重視されるようになると、速くても燃費が悪い2002ターボの存在意義は大きく揺らいだ。

「BMWは大きな非難を浴び、わたしの上司は事実上わたしを裏切った」と彼は回想する。しかし、どの自動車メーカーからも解雇されることは「まったく」なかったとも言っている。

BMW 3シリーズ(1975年)

初代3シリーズの実物大モデルを見たときの感想は、「箱だった」という。ルッツ氏はもっと見栄えを良くするためにデザイナーのポール・ブラック氏を招き、デザイン部門を設立した。

この頃にはBMWから高い給料をもらっていたが、企業文化に納得がいかず、フォードに移籍したと語っている。

フォード・シエラ(1982年)

ルッツ氏がフォードに移籍したのは、同社初の前輪駆動車であるフィエスタの開発直後のことだった。就任後、第3世代のエスコートの開発を担当し、最高速度と燃費向上の観点からより大型のコルティナとタウヌスの後継車(最終的にシエラと命名)も前輪駆動にしようとした。しかし、フォードからGMやフォルクスワーゲンに追随する余裕はないと言われて失望した。

シエラの空力ボディについては、地域によってまったく異なる反応が見られたという。「ドイツ人は、シエラを1930年代後半の空力車の現代版と見て、すぐに受け入れた。英国人はシエラを見て、 “これは一体何なんだ?” と言った」

メルクールXR4Ti(1985年)

メルクールXR4Tiは、欧州で販売されていたフォード・シエラXR4iを米国向けにあつらえたモデルで、ベースの2.8LケルンV6エンジンではなく、ターボ付き2.3Lリマ4気筒エンジンを搭載している。当時まだ欧州にいたルッツ氏は、米国で販売されるスポーティな欧州ファミリーカーの良いライバルになると考えた。

しかし、売れ行きは期待外れで、XR4Tiもメルクールというブランドもすぐに姿を消した。

クライスラー TC by マセラティ(1989年)

TC by マセラティは、1980年代にクライスラーの収益を支えたとされる前輪駆動のKプラットフォームをベースにしている。Kプラットフォームから派生した多くのモデルはクライスラーの財政を助けたが、TC by マセラティは違った。

フォードからクライスラーに移ったばかりのルッツ氏は、「この不運がもたらした損失を合計すると、6億ドル近くになった」と話す。

クライスラーのミニバン(1991年)

これまで手掛けた「エモーショナル」なクルマとして、第2世代のミニバンシリーズにも「大いに貢献した」という。クライスラー・タウン&カントリー(写真)、ダッジ・キャラバン、プリムス・ボイジャーだ。

「最盛期には毎年50万台以上を生産し、狂ったようにレジを鳴らしていた。わたしはコルベットZR1と同じくらい、そういうクルマに興奮するんだ。いや、むしろ、それ以上かもしれない」

ダッジ・ヴァイパー(1992年)

他にも多くの人物が関わっていることは明らかだが、ルッツ氏は一般的にヴァイパーの生みの親とされている。クライスラー社内で「何十回」もプレゼンして、オーソドックスなクルマばかりではなくヴァイパーのようなクルマも作れることを示すべきだと主張したという。

「次のミニバンを予定通り発売するために楽しいことをすべてキャンセルするのは、必ずしも正しい答えではない」

ルッツ氏がクライスラーを去ったのは、ヴァイパーが生産中止となる2017年よりずっと前だった。

「 “誰よりもパワーとスピードがある” というのが当初の前提だった。しかし、ヴァイパーはやがて、コルベットZR1やZ06に、さらには同系列のヘルキャットにさえ負けていた」

クライスラーLHシリーズ(1993年)

ルッツ氏はクライスラーで、デザイナーのトム・ゲイル氏やエンジニアのフランソワ・カステイング氏(1945-2023年)を含む、志を同じくする “6人組” の重役を率いていた。彼らは毎日ランチを共にし、アイデアを語り合っていた。

とりわけ、クライスラー・コンコード(写真)、ダッジ・イントレピッド、イーグル・プレミアなどに2004年まで使われていたLHプラットフォームの開発には、彼ら重役の協力があった。LHプラットフォームは従来のKプラットフォーム車とは異なり、エンジンをフロントアクスルの前方に縦置きし、室内空間を広くとるクライスラー独特の “キャブフォワード” デザインを生み出した。

ジープ・グランドチェロキー(1993年)

ルッツ氏は、国際モーターショーにおける派手な登場シーンでも知られている。新型グランドチェロキーのハンドルを握り、デトロイトのコールマン・ヤング(1918-1997)市長を助手席に乗せ、ショー会場の階段を上りガラス窓を突き破って登場したのだ。

もちろん、一連の演出は綿密に計画されたものだ。ガラス窓もオリジナルのものではなく、破片が細かく砕けるように設計されていた。どんなスタントよりも効果的に、しかも安く、グランドチェロキーへの注目を集めた。その時の映像は今も動画配信サイトなどで見ることができる。

ダッジ・ラム(1994年)

第2世代のラムは、先代とはまったく異なるアグレッシブな外観を持つ。ルッツ氏によれば、当時のクライスラーはフォードやGMとの激しい競争に直面し、フルサイズ・ピックアップトラックから撤退するよう助言を受けていたという。

しかし、ラムは「大胆で、異彩を放ち、賛否両論を巻き起こすデザイン」と、強力なエンジン出力、トルク、最大積載量で印象を強め、大ヒットを飛ばした。以降、同じ方式が30年間使われてきた。今日のラム・トラック(2010年にラムが別部門となったため、ダッジの名は外れた)には、ルッツ氏が深く関わっていた頃と同じ理念が目に見える形で受け継がれている。

クライスラーPTクルーザー(2001年)

PTクルーザーが発表されたとき、レトロデザインの流行はすでに始まっていた(フォルクスワーゲンの「ニュー」ビートルも1997年後半に発表されていた)が、ルッツ氏はクライスラー社内で大きな反発を受けたという。

ルッツ氏はクライスラーの重役という立場から、同社の行動にある程度影響を与えることができたが、「社内で徹底的に嫌われていた」というレトロデザインを押し通すためには「わたしのできる力をすべて」注がなければなからなかったようだ。

シボレーSSR(2003年)

ルッツ氏は30年以上他社に勤めた後、GRに戻ってからもレトロデザインを推し続けた。シボレーSSRは、分類するならばリトラクタブル・ハードトップ・コンバーチブル・ピックアップトラックで(誰が欲しがるのか?)、GMのSUVに使われるプラットフォームをベースに、1940年代後半から1950年代半ばまで販売されていたシボレー・アドバンス・デザインに似せて作られた。

「もちろん、きちんとしたものでなければならない」とルッツ氏は開発段階で語っている。どうやら、SSRはそうではなかったようだ。SSRの売れ行きは芳しくなく、2006年モデルを最後に廃止された。だが、それでもルッツは再挑戦を止めなかった。

GMCエンボイXUV(2004年)

XUVは、エンボイにリトラクタブル・ルーフを装着した奇抜な派生モデルである。ルッツ氏はこのクルマの発売を止めようとしており、そのために「何度も試行錯誤を繰り返した」と後に書いている。

「後方から見ると、そびえ立つウェディングケーキのように見え、倒れることはわかっていた。しかし、マーケティング部門と商品企画部門は、これがセンセーショナルな勝者になると信じていた」

結局、XUVはセンセーショナルでも勝者でもなかった。買いたい人が少ないという単純な理由ですぐに販売中止となった。

ポンティアックGTO(2004年)

これまで関わったクルマの中で最もやり直したいものはどれかと問われたルッツ氏は、第5世代のポンティアックGTOを挙げた。オーストラリアで生産されたホールデン・モナーロのリバッジモデルで、「フロントエンジン、ハイパワー、スモールブロック、後輪駆動車で、IRS(独立リアサスペンション)を備えており、ハンドリングは最高だが、多くの人にとってスタイリングは残念なものだった。もっと時間と投資をかければ、60年代のGTOのキャラクターに近づけることができたはずだ」と評している。

ルッツ氏はまた、次のGTO(G8セダンをベースにした4ドア・クーペ)が実寸クレイモデルの段階まで進展したものの、2010年のポンティアックの閉鎖によりそれ以上には至らなかったことも明かしている。

キャデラックBLS(2005年)

BLSが「ボブ・ルッツ・スペシャル」の略だという話は単なるジョークだが、GMの製品開発責任者として彼が関わっていたことは確かだ。スウェーデンで生産されたサーブ9-3を手直ししたもので(ディーゼルエンジンはフィアット製)、キャデラックの中では唯一、北米で販売されなかったモデルだ。GMが崩壊の危機に瀕する2009年まで、約7000台が生産された。

シボレーHHR(2006年)

レトロなモデルを世に送り出そうとしたルッツ氏は、(クライスラーPTクルーザーと同様に)GMの反対を押し切ってHHRを開発した。両車が似ていたのは、ブライアン・ネスビット氏(1969年生まれ)が開発に携わっていたせいもあるだろう。ルッツ氏は、ネスビット氏が既存のコンセプトのデザインを発展させるために引き抜かれたと語っている。

HHRは大ヒットとはいかなかったが、少なくとも初期のSSRよりは長生きし、2011年まで生産された。

ポンティアック・ソルスティス(2006年)

2002年のデトロイト・モーターショーでルッツ氏が運転してみせたソルスティス・コンセプトは、2006年に市販車へと昇華した。彼の言葉を借りれば、この小さなロードスターに込められた理念は「シンプルに、純粋に、美しく」というものだった。

ソルスティスはGMのカッパ(Kappa)プラットフォームをベースにしており、サターン・スカイ、オペルGT、大宇G2Xの近縁車種である。

GMCアカディア(2007年)

初代アカディアは、同時代のビュイック・エンクレイブやシボレー・トラバースと同様、ラムダと呼ばれる新プラットフォームをベースとしたSUVだ。ルッツ氏は開発の初期段階で、室内空間を最大化し、スライドドアを備えた直線的なデザインを見せられたと回想している。「そういうことじゃない」とルッツ氏は言い、変更を求めたそうだ。

新しい案には大変満足した。「アカディア、エンクレイブ、トラバースは、ボディの表面処理という観点からは米国の自動車産業の最高傑作だと思う」と彼は2011年に語っている。

キャデラックCTSスポーツワゴン(2010年)

2008年に第2世代のCTSのセダン仕様が導入され、その後ステーションワゴン仕様のCTSスポーツワゴンが加わった。ルッツ氏はこれに「非常に熱心」であり、メディアも同様だったという。実際、「お客さん以外はみんな気に入っていた」という。

6.2L V8を搭載するCTS-Vのステーションワゴンもあった。「米国には、スポーティなキャデラック・ワゴンを買う人がたくさんいると確信していた。それは間違っていたらしい」

シボレー・ボルト(2011年)

クルマづくりに携わる人なら、いつかは「最も誇りに思うクルマはどれか」と尋ねられるだろう。ルッツ氏にとって、それはシボレー・ボルトである。ガソリンエンジン搭載のレンジエクステンダーEVである。

彼はボルトについて「最も重要で、最も困難で、最も多くの発明を必要とし、チームにとって最大の挑戦だった。チームはそれをやり遂げ、わたしはとても壮観だと思った」と語っている。

シボレー・コルベット(2014年)

第7世代(C7)のコルベットは、本来あるべき姿ではなかった。ルッツ氏によると、2003年の時点でミドエンジン方式での設計案を目にしており、C7にも採用する明確な計画があったという。残念ながら、GMの財政が悪化の一途をたどる中、10億ドル近い開発費用がかかることから断念。

「その代わり、2億5000万ドルという予算を得て、 “ベストを尽くせ” ということになった。2億5000万ドルで量産型のミドエンジン車を作れるわけがなかった」

結局、ミドエンジンのコルベットが実現したのは、ルッツ氏がGMを去ってから10年近く経った2020年のことだった。

初代プリウスへの嫉妬

ルッツ氏がトヨタで働く姿は想像もできないが、彼は同社の生産プロセスを高く評価している。中でも、最も携わりたかったのが1997年の初代プリウスだという。

「プリウスにより、トヨタは世界の技術リーダーで、思いやりのある会社だと思わせた」

GMも「プリウスに勝るとも劣らない有望なハイブリッド車の案をいくつも持っていた」にもかかわらず、「財務状況がマイナスだった」ために断念したと彼は主張する。また、「トヨタとプリウスに対する一般大衆の称賛に腹が立ったので、ボルトを作った」とも語っている。

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みんなのコメント

1件
  • fxnhe501
    言うまでもなく縦置きFWDのシステムは、フランソワ・カスタン氏の古巣であるルノー(AMC)から来たものである。ルノー流の縦置きFWDを最後まで保持したのはこの二世代に渡るLHカーシリーズだった。
※コメントは個人の見解であり、記事提供社と関係はありません。

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