■「誰もがクルマに乗れる社会」を目指した
クルマを買うなら、どちらかと言えば“安い”方が嬉しいもの。
2024年8月現在、日本で最も安価な乗用車はダイハツの軽乗用車「ミライース」が約86万円となっており、さらに軽商用車も加えるとスズキの軽トラック「キャリイ」が約75万円で購入できます。
とはいえ、クルマは複雑なパーツの集合体であるため、これ以上の低価格化となると簡単なことではありません。
しかし世界には、新車であるにも関わらず、日本円にして約28万円という極端な低価格を実現したモデルが存在していました。
【画像】超カッコイイ! これが28万円の「コスパ最強モデル」です(25枚)
それは、インドの自動車メーカー「タタ(タタ・モーターズ)」が2008年に発表した小型車「Nano(ナノ)」です。
同車は10万ルピーで発売され、日本円に換算すると約28万円(当時のレート)という価格を実現。
“世界で最も安いクルマ“として、世界中で大きく話題となりました。
当時のインドは経済的に急速な発展を見せており、2003年の自動車保有台数は約1000万台に達していましたが、それでも庶民の足としては、まだまだバイクが主流。
クルマを購入できない階層では、バイク1台に家族4人が乗って移動するのが当たり前で、さらに移動や輸送にもバイクが用いられていました。
そこで当時のタタ・モーターズ会長 ラタン・タタ氏は、「多くの人の手に届く低価格で、安心・安全に移動できるクルマを作ろう」と提案。
こうして「10万ルピーカー」構想がスタートしたのです。
当時のインドにおいて最安値だったクルマは、スズキ(マルチ・スズキ)の「800」で、その価格は約20万400ルピー。
10万ルピーカーは、この半分以下の価格で販売する必要があったため、「乗用車としての開発は非現実的だ」と多方面から指摘されました。
しかしナノは、見事にこれを具現化します。
その実現には数々の工夫が凝らされており、まずボディサイズを全長3.1m×全幅1.5mと超小型化することで、鋼材の材料費を大きく削減。
またワイパーは1本のみに減らし、助手席側のドアミラーや給油キャップまでも省きました。
さらにブレーキは4輪ともドラム式、エアコンも非搭載と、可能な限り構造を簡略化し、ハッチバックのように見えるスタイルでありながらバックドアを持たない4ドア車にするなど、徹底したコストダウンが図られています。
しかしただ安いモデルということではなく、実用性も追求。
全高は1.6mと背が高く、ボディは卵を想起させるワンモーションフォルムとすることによって、大人4名が快適に乗車できる広々とした車内スペースを確保しました。
パワーユニットには、最大出力34馬力を発揮する623ccの2気筒エンジンを車体後部に搭載。
組み合わせるトランスミッションは4速MTのみとシンプルな構造でしたが、車体重量が約600kgと軽量だったため加速も良好で、最高速度は105km/h、さらに燃費も20km/Lと優れた値を記録します。
こうして数々の工夫と割り切りにより戦略的な価格を実現したナノは、先述のように大きなニュースとなり、販売店には客が殺到。予約の申し込みも20万件を超えたといいます。
しかしその後ナノは、鋼材や石油など材料費の高騰によって価格が徐々に上昇。
また悲運なことに車両火災も発生するなど、安全性の低さや安っぽいエクステリアがナノの評判を悪化させ、「ナノを買う金額で、もっと上質なエアコン付きの中古車が買える」という声も広がります。
こうしてナノは、年間25万台という生産目標に対し、2010年と2011年では7万台しか売れず、目標台数を大幅に下回ってしまいました。
しかしタタはナノの改良を地道に続けます。
やがて燃料に天然ガス(CNG)を併用できるモデルや、外装や装備の充実した上級グレードを追加。さらに2015年には内外装を一新した「Gen X ナノ」が登場し、電動パワステやATのトランスミッション、バックドアを備えた5ドアボディ化するなど、装備を充実させました。
一方で、車両価格は最安グレードでも約20万ルピーとなり、当初の構想であった「10万ルピーカー」とは大きくかけ離れた存在に。
こうしてコンセプトの変わったナノは、一定の支持を受けつつも2018年に生産を終了し、その後は明確な後継車も登場していません。
※ ※ ※
国際通貨基金(IMF)の推計によると、2025年にはインドの名目国内総生産(GDP)は日本を抜いて世界4位になると予想されています。
また、ナノの開発元であるタタは、現在では当時とは比較にならないほどに大きな自動車メーカーへと成長しており、先進国の自動車メーカーに負けないほどの性能やデザインのモデルを多数ラインナップするに至っています。
革命的とも言えるコンセプトで登場し、国の発展と並行して価格と品質を向上させ続けたナノは、「多くの人がクルマに乗れる社会」の実現とともにその役目を終えましたが、小さなボディが背負った大義は、世界の自動車史から永遠に消えることは無いでしょう。
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