自動車工場が担っていた影の役割
執筆:Graham Robson(グラハム・ロブソン)
【画像】英国の影の工場 登場する英国車 トライアンフ、ミニ、ランドローバー、ジャガーなど 全141枚
画像提供:Graham Robson(グラハム・ロブソン)
翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)
第二次大戦直前の1936年、英国政府はシャドー工場プログラムなるものを立ち上げた。防衛産業に関わる工場の努力を称え、事業へ反映させるものだ。
プログラムは成功し、マリーン社製エンジンやスピットファイア戦闘機なども、開発元の工場以上に、協力工場の手で組み立てられることになる。ランカスター爆撃機やハリケーン戦闘機も、シャドー工場とは別ではあったが、同様に効果的に生産された。
英国中部のA452号線を走ると、ジャガーの大きな工場が目に入る。ここは、古くから自動車を生産していたわけではない。1940年代には、同じ建物内で数千機ものスピットファイア戦闘機が組み立てられていた。
2021年製のベントレーが生み出される工場も、1940年代にはマリーン社製のV型12気筒エンジンが組み立てられていた場所。コベントリーのスタンダード社工場からはモスキート爆撃機がラインオフし、デイムラーも装甲車を作っていた時代がある。
80年ほど前、英国は急速に武装化を進めた。航空機やエンジン、戦車、トラックなどの標準が規定され、政府の資金で工場の整備が進められた。戦後、それら工場の多くは役目を終え、民生向けの住宅建材や自動車などの製造へ転用されている。
英国の工場には、今でもカモフラージュ塗装が残されている場所も多い。1930年代後半に作られた工場の多くは、どれも形が似ている。ドイツ人が飛行機に乗って、自動車工場の偵察撮影を頻繁に行った理由でもある。
歴史的に重要な意味を持つ古い工場だが、近年は新しい建物へ建て替えが進んでいる。今回は、自動車工場が担っていた、影の役割の一部をご紹介させていただきたい。
1. ブラウンズレーン:デイムラー/ジャガー
デイムラーは、第二次大戦期にいくつかのシャドー工場を有していた。その1つ、コベントリー・ブラウンズレーンのシャドー工場では装甲車の製造が行われていた。1945年の任務終了後はデイムラーが引き払い、ジャガーが利用を始めた。
そこで製造されたのが、スポーツカーのXK120やEタイプだ。ほかにも、Mk VIIやMk 2、XJ6、レーシングマシンなど、多くの名車が生み出された。1960年代にジャガーはデイムラーを買収。デイムラー・ブランドのリムジンも製造されている。
その後、このシャドー工場は利用者が転々と変わる。1966年にはBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)が移って来るが、1980年代に休止。約10年後にフォードが転用するものの、現在は跡形もいない。
ジャガーの生産拠点は現在、バーミンガム近郊のキャッスル・ブロムウィッチにある。
マニアな小ネタ:1951年以降、ジャガーはル・マン仕様のCタイプやDタイプといったレーシングカーと、量産モデルをブラウンズレーン工場で生産している。
2. ラドフォード:デイムラー/ジャガー
1. に続いて、デイムラーとジャガー。コベントリー・エリアには、大きな2拠点を構えていた。かつてのラドフォード・シャドー工場は、ランチェスターと、後に買収するデイムラーのモデルが製造されていた場所だった。
戦時中は装甲車の製造をしていた。戦争が集結すると、高級車に続いて、スポーツカーのデイムラー・ダートSP250も生産が始められる。1960年からはデイムラーを買収したジャガーが工場を利用し、V型12気筒エンジンの製造などを行った。
スタンダード・トライアンフも工場の一部を取得。レースカーのトライアンフTRS製造のほか、グループBラリーを戦ったMGメトロ6R4のエンジンなども作られた。
1990年、ジャガーはフォードが買収。今では工場のあった跡地は、住宅地として利用されている。
マニアな小ネタ:ラドフォードには、バスの製造工場も存在していた。3バルブ・エンジンも組み立てられていた。その中でデイムラー・ダートSP250は、唯一この場所で製造されたスポーツカーだった。
3. ライトン:ルーツ・グループ
ヒルマンやハンバー、サンビーム、タルボといったブランドが属していた、ルーツ・グループ。事業は拡大し、1939年にはどこの工場も手狭になっていた。
そこでA45号線沿いに建設されたのが、コベントリー近郊、ライトンのシャドー工場。ルーツ・グループにとっても大きな恵みとなった。大戦が始まると、ライトン工場では多くの軍用車両や航空機用エンジンが生産された。
戦争終結後、ライトンの工場は自家用車の製造へシフト。サンビーム・タルボ、ハンバーなど、多くの市民向け車両がラインオフした。
ヒルマン・アベンジャーズは1970年から製造が開始。プジョーも1980年代にコベントリーでの生産を始めるものの、フランス企業はその後撤退。すべてが売却されている。
コベントリー・エリアにはその後、近代的な建造物が数多く出現した。その中の1つには、ジャガー・ランドローバー社の大規模な複合施設も含まれている。
マニアな小ネタ:ライトンのシャドー工場は戦後しばらく、サンビーム・タルボの生産拠点として活用されている。
4. カンリー:スタンダード/トライアンフ
キャブレターを製造するクローデル・ホブソン社や、航空機エンジンを手掛けるブリストル・マーキュリー社の小規模工場などが位置していた、コベントリー近郊のカンリー・エリア。第二次大戦に合わせるように改修が急進する。
スタンダード社のサルーン、フライング・スタンダードを製造していた工場は、ブリストル・ボーファイター戦闘機やモスキート爆撃機の組み立て拠点へ転身した。
戦争が終結すると、その場所はスタンダード社やトライアンフ社の生産拠点へ一新。建物を活かし、ヴァンガードにヘラルド、TRシリーズにスピットファイア、スタッグなど、傑作モデルがラインオフした。
航空機エンジンのウェットライナー技術がそのまま採用され、設計開発部門のあった場所は、キャブレターの製造施設へ置き換わった。ブリテッシュ・レイランド傘下にあったオースチン・ローバーのスタイリング部門も稼働していた。
だが、いずれのブランドも勢いをなくし、1980年代には自動車の製造は終了。2000年代に入ると、施設自体も姿を消した。
マニアな小ネタ:1961年に工場の組み立てエリアが拡張。ロケット・レンジというあだ名が付いていたという。
この続きは後編にて。
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みんなのコメント
当時のカタログはかなりジャガーの生産工程について記載されていて、ジャガーってすげえと思った。
コノリーレザー、ウッドパネル、さらにはボディの作成までラインの写真がいっぱい掲載されていたなあ。
こんなに手作りの部分が多いのかと驚いた。
品質的には当時は最悪だったらしいが。