モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、1989年のル・マン24時間レースを制したグループCカーの『ザウバー・メルセデスC9』です。
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『ジャガーXJR-9(1988年)』ポルシェのル・マン連覇記録を止め、悲願を達成した殊勲車【忘れがたき銘車たち】
前回の連載で1988年のル・マン24時間レースにおいて、ポルシェの連覇を阻止し、ジャガーにとって31年ぶりのル・マン優勝を果たしたグループCカー『ジャガーXJR-9』を紹介した。
そしてその翌年、1989年もポルシェではなく、新たなグループCカーがル・マン制覇を果たしている。そのマシンが『ザウバー・メルセデスC9』だった。
そもそも『C9』は、1987年に世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)に前作、『C8』の後継車として初投入されたマシンだった。
この『C9』はカーボンモノコックを採用するジャガーとは対照的にアルミモノコックを持つ車両で、このモノコックに風洞実験を重ねて、『C8』よりもダウンフォースを増したボディとメルセデス・ベンツの5.0リッターV8ターボエンジンを組み合わせ、特にこの強力なエンジンを武器にスポーツカーレースを戦っていた。
デビューイヤーこそトラブルに苦しめられたが、メルセデスが1955年に起きたル・マンでの大惨事以来、33年ぶりにスポーツカーレースへの正式復帰を表明した1988年には(エンジン供給自体は1985年より行っていた)、WSPCで11戦中9戦でポールポジションを獲得。ジャガーを凌ぐ速さを見せるまでに進化していた。
しかし、ル・マンではアクシデントによって予選をもって撤退。これでル・マンでの勝利のみならず、WSPCにおいてもジャガーに次ぐ5勝をマークするが、タイトルを逃してしまっていた。
そして1989年。この年、『C9』は発表時こそ前年の黒を基調としたカラーだったものの、鈴鹿サーキットで開催された同年のWSPC開幕戦でボディカラーをオールシルバーへとブランニュー。1950年代以来の“シルバーアロー”を復活させた。
これに加えて1989年仕様の『C9』は搭載する5.0リッターV8ターボエンジンをそれまでのSOHCからDOHCへと変更。周囲を驚かせたボディカラーのみならず、ポテンシャルもしっかりと増してきていた。
この改良も実ったか、この年の『C9』はWSPCにおいて最終的に8戦中7勝という圧倒的な強さを発揮し、タイトルを手にする。
さらにこの年、WSPCのシリーズ戦からは外れていた“本命”のル・マンでは、まず予選でジャガー勢を大きく引き離すタイムをマークしてトップ2を独占する。決勝でも健闘したヨーストレーシングの『ポルシェ962C』やジャガーを退けて、1-2フィニッシュを達成。メルセデスにとって1952年以来37年ぶりのル・マン制覇を成したのだった。
だが、グループCカー時代にメルセデスがザウバーとともにル・マンを制したのはこの1989年のみ。ル・マンでマツダとバトルを繰り広げ敗北した1991年をもって、メルセデスはスポーツカーレースから一時撤退することになる。そしてメルセデスが再びル・マンでの勝利を目指すのは、1998年のことだった。
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